人は自分にとって大きすぎる存在を疑うことができない
タイトルの通りだ。
ギャンブルに関する記事で書こうかとも思ったが、
ギャンブル以外にも通じることなのでこちらに書く。
人は自分にとって大きすぎる存在を疑うことができない
親、会社、政府、宗教、部活、軍隊
ギャンブルの胴元、ゲームの運営会社、
界隈のTwitter、有名人、教祖、先輩
社会の風習、みんながそう言っていること
自分にとって大きすぎるものに、重大な嘘があったとすれば、
自分の信じていた、前提、体系が揺らぐことになる。
すると、それまでの見え方や行動がすべて違ってこざるを得ない。
味方だと思っていた人、賢いと思っていた人、
安心だと思っていたもの、信じて頼れると思っていた情報
明日もそこに行けばなんとかなると思っていた場所
すべてが土台から揺らぐことを人は最も恐れる。
一方、揺らいだ後に立て直せるだけの実力や、人生経験、代わりになる何かを見つけられると思える人は、そもそも妄信ということをしない。
そもそもそういう状態にならない。
人は、組織は、すべては流動的で強くも弱くもあり、
程度によるが嘘も方便も使うものだ、と。
それでも今ここで、自分によくしてくれている。
そのことに感謝しよう、と思う。
最も恐ろしいことが起きた後、人は生き方を変えずにいられない。
社畜をやめた人間、親や保護者に見捨てられた人間、宗教をやめた人間
ギャンブルで破産させられた人間
皆、180度人生が変わる。
人間にとっての最大の恐怖を越えたとき、
超える度に人は真実に近づいていく。
これまでの時代は試練の時代であった。
何もかもが闇の中、仮初の幸せを選ばされてきた。
影の付きまとう幸せ、ぬかるみを感じる安定
知らぬが仏、ばかになれ
そこからいくつの隠された残酷な真実に向き合えたかが、試されてきた。
これからは、そういったことが一つまた一つ減っていく。
税金から軍事から、性のことから容姿問題まで、
何もかもがアケスケに語られ、
隠しごとで力を蓄えてきた者たちが力を失っていく。
そういった流れが、各自が「大きすぎる存在」と向き合う機会をもたらすだろう。