誕生日について

誕生日 を掘り下げて考えてみます。

変な人でしょ?おそらく想像以上に変な人です。
他の記事を読んで確かめてくださいな。


きっかけ 誕生日に対するしっくりこない気持ち 


世間で当たり前のように行われている 誕生日のお祝い

何歳頃からか、しっくりこない気持ちが蓄積していった

それをうやむやにしたまま今日まで来たのです。
そして、見渡すとそういう人結構います。

そもそも、祝うことについて
まず直球な疑問 「誕生日が来ることって本当にうれしいの?」

まず自分はどうか。→別にそこまで嬉しいわけではない。

これは何歳のときでもそうだったように思う。
そして肯定度も年々下がっている。

祝われることについては多少嬉しい。
メッセージ類も多少嬉しい。

自分の誕生日でも家族の誕生日でも
なんとなく盛り上がる機会があること それ自体は嬉しい。

誕生日そのものとか、儀式っぽいものより、それにどう向き合っているか?的なことのほうが嬉しさを感じる。

この疑問は割といろんな人に聞いたことがあります。
結果は、ほとんど同じようなものでした。

やっぱりそうなんやな・・ってのが率直な感想。


次にマイナスな側面

仲の良い友達とか、彼女とか、そういう人たちの誕生日をどうするか問題

誕生日を積極的に開催するとか
プレゼントを考えるとか

そういうのはとても苦手だった。
シンプルに自分がそれで心底喜んだことがないから。

両親でいえば、父親はそういうことが最も苦手な人間で、誕生日に肯定的な感情を持っているところを見たことがないし、
母親はどちらかといえば肯定的な態度ではあるけども、心からそう思っているかといえば、今の自分と似たような程度。

誕生日に対してこれくらいの温度感を持った人が困るのは、

誕生日の開催が義務っぽくなるとき。

例えば部活やサークルで、全員の誕生日を年中祝ってるような場で、

自分が祝ってもらったしお返しにやらなきゃなー とか
そういう義務感とか義理に近い動機で、誕生日会とかメッセージを「しなければいけない」感じで期日が迫ってくるとき

こういうときに起こる感情は、
その人を祝う気持ちよりも、「なんで人を祝うために追い立てられてんだろ・・」という気持ち

続いて

祝いたい思いよりもマイナスの思いが強くなることへの罪悪感
自分の気持ちを置き去りにするように迫ってくる義務的な誕生日という風潮への苛立ち

もっとそれぞれの心に沿った形でそれができるはずじゃ?という思いと、

世間的な誕生日という儀式を用いた、政治的な意味合い(誕生日が活発に祝われることは社会的な成功の証明)への心からの嫌悪

それらがそこはかとなく感じられる集団の一部の人間のいやらしい心根への失望と、同時にそういった人間がいることによって活性化し保たれているコミュニティーによって受ける恩恵については返さねばという思い

だけども、それは誕生日であることがふさわしいのか?という枝葉の疑念

そして、多人数の場合 

誰に送ったとか送らないとか
誰の誕生日会はやったとかやらないとか
誰のほうが豪華だったとか

もうここまでくると吐き気がするレベルになるのでなるべく考えないようにしていた。

こういったものが、煮え切らない態度をとなり、

結局は、誕生日そのものについての態度は明確ではないけども、
やるからには、誘われたからには、その場は最大限に楽しくする

おめでとうという気持ちは持てないけども、
俺たち一緒に歳とってってるなぁ!これからもよろしくなブラザー 

明らかに誕生日祝いを返す気が起きないであろう人で、誕生日を送ってもらった人には、本当に丁重にありがとうね(本当に申し訳ないね、、でも返せないけど、たまたまそういう状況になったら祝いの意は示させてもらいますので)という雰囲気を込めて返す

というコミュニケーションに落ち着いていった。


20代後半からは、そういった義務的なものは減ったのもあって、
気持ちと行動を徐々に揃えやすくなっていった。

変わっていって一番よかったのは、

派手に祝うことより、何をどうするかより、

マイナスな気持ちを抱くことがゼロにできたことが自分にとっては最も喜ばしいことだった。

そもそも、誰かに対してマイナスな感情を抱きたくもないし、
ましてや、これから肯定的な何かをしようとするのに、
そのせいで否定的な、ストレスを感じるようなことをしたくもない。

自分の誕生日で誰かに絶対にそういう気持ちになってほしくもないし、
もしそうやってストレスを感じるならば何もしないでほしいし、

何年かに一回だけでもいいから、
その人らしくその人もいい気持ちになる方法で、
どんなことでもいいから、やってくれたらそれが一番いい

自分がされたいこと されたくないことと
自分が祝う側のとき 両面がきっちり揃ったので、本当にすっきりした。

それが実現できてやっと、徐々に、形にはまらずに
相手が喜ぶことを純度高く考えられるようになり、
それと自分の気持ちが反することもなくなった。

そこからは人によってメッセージだけになったり
ケーキだけになったり
何年かに一回だけになったり
誕生日の時期と多少ずれてもOKになったり
前はしていたけれど今は何もしない(けれどもそこには両者のすっきり感がある)間柄になったり

と、本当にバリエーション様々にはなったけれど、

それによって自分と相手が嫌な気持ちになることがゼロになったので
ストレスを感じることが一切なくなった。


そんなこんなでストレスフリーにはなったけれど、

世間の幸せな誕生日のあり方をたまに見聞きすると、
もっともっと良い形にしていけるんだろうなとも思うわけです。

で、これらは、結婚式だったり葬式だったり

各種のイベントごとに対しても似たようなもんだと思うわけです。

イベントごと問題は2つに集約されるように思います

・個々人の心の問題(嬉しいか?)
・政治的問題(人間関係の力学、付き合い、評価)


誕生日や行事に対してマイナス面を抱えて苦しんでいる人や社会に向けて思うのは、次のようなこと

・政治的問題(人間関係の力学、付き合い、評価)

1.まずイベントをやる動機が心か政治かと、その割合を把握したら?
2.政治のためにやってるもので苦しむのは必然
3.混ざってるものは、できるだけ心に沿う形にしていく

・個々人の心の問題(嬉しいか?)

1.自分が受けた肯定的感情以上には楽しみは感じられない
2.まずはマイナスな気持ちが起こらない範囲でやろう
3.温度差があれば低いほうに合わせるしかない
4.それぞれの関係性に合わせて徐々に育もう

※人を喜ばせるのは好き うんたら問題はややこしくて逸れるのでここでは触れません。

もういいかな飽きた。終了!



ps. すげー 誕生日に思うことっていろいろあるんだな。
誕生日で主役になれる!とかなれた!
主役にしてもらえたとか1ミリも考えたことも感じたこともない。
てかなれるの?笑

ここまでの情熱がある人がやるとなるのかもしれないね。とも思った。
その一方でやっぱり関係性とか普段の思いがあってこそとも。
こういう方の開催したものをyoutubeとかで見て心変わるかな?


https://note.com/takumi010113/n/n1f7d57d2f7b1

「僕が人の誕生日を祝うことに熱狂できる理由」です。

あなたにとって誕生日は何ですか?

プレゼントをもらう日ですか?ケーキを食べる日ですか?泣く日ですか?感謝を伝える日ですか?色々考え方はあると思います。

私にとって誕生日は、「誰しもが主役になれる日」です。

今回は、自己開示も含めて、なんで大学まで全く人の誕生日を祝ったことのなかった僕が、人の誕生日を年間50回以上も祝ってるのかをお話ししようと思います。

目次

  1. 第1章:僕の史上最悪な誕生日

  2. 第2章:僕にとって誕生日会とは?

  3. 第3章:誕生日の鉄則

  4. そして、365人の大切な人の誕生日を祝ってるようなhappyな人間になりたいです。

第1章:僕の史上最悪な誕生日

僕が誕生日を祝う理由は、端的に言うと「自分が感じた寂しさを大切な人には感じて欲しくない」と強く思っているからです。

僕の誕生日は、2001年1月13日です。この時期大学生ならわかると思いますが、テスト週間ですよね。

そーなんです。1月13日生まれの僕は誕生日を祝われにくかったのです。そして、大学一回の1月13日当日も何一つ連絡がなかったので、寂しげにホテルの派遣バイトに行きました。

その日は、たまたま成人式と被っていて、いつもより華やかな空間が僕の心をより寂しくしていきました。

そして、帰ろうとした時、カバンの中に財布がないことに気づいたのです。

僕はもともと、よくものを忘れるおっちょこちょいな性格だったので、「探せば見つかるやろ」と思って1時間探し続けたのですが、見つからず、ホテルの人に連絡し、警備室に相談することになりました。

警備室のおっちゃんに言われた言葉が、「もう、見つからん。盗まれたと思っといた方がいいで兄ちゃん」でした。

その瞬間頭が真っ白になったのを覚えています。
結果、最後まで見つからず、警察に紛失届を出しにいきました。そして、警察所から出た時、僕の誕生日は幕を閉じていたのです。

その日から1週間は、本当に落ち込みました。(財布のこと誕生日こと色々)

同時に、僕の周りにいる人にはこんな思いさせたくないと強く思うようになりました。そして、サークルでTD(誕生日ディレクター)を勝手に名乗って自分の同期の誕生日は祝うようになりました。

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