もったいぶって小出しにすると器は小さく、気前よくすべて出すと器は大きくなる
これもシンプルな話ですわ
出し惜しんだりもったいぶったりしてると、長持ちはするかもしれんが、人としての器が小さくなっていく
つまるところ、一瞬一瞬に対して臆病なことによって純度が薄れ、感性も薄れて濁り、臆病と不安がさらに自分をむしばんでいく、そんで色々と縮小していくということだ
気前よく全力で何かをすれば、その日はすっからかんになるけど気分もよくなるし次の日には器がでっかくなっている
これがまあ、自信とかいうやつですな。だいたい結果もついてくるし、結果が思わしくなくても課題とそれをどうすればいいかが大体ハッキリ見えるのでモヤモヤしないで済むし、むしろやる気がさらに湧いてくる。いい循環に入れるのね。
勘違いしてはならんのは、気前の良いフリでも全力のフリでも意味がないってことな。前に言った偽の男らしさと似てる。
人間関係とかでも、自分が底が浅いと思われることを恐れて出し惜しみして長い関係を保とうとする人が多いけど、それじゃ本末転倒やぞ。
安心してほしいのは、底が浅いと思われることが不安でこそこそ隠してる部分は、自分でも感じてるように実際には底が浅いんだけどw ていうか世間で判断されてる表面的なもんには大して深いも浅いもなくて、深いとかいわれているものでも大した深さではない。だから浅くても全然OK!くらいの気持ちで十分。「え?浅いかな~?wそっかあ、ま、いいけど!」ていうね。
え?そこ?っていう自分でも気づいてない当たり前とか自然体の部分にすっごい興味深い部分・魅力があるもんだからね。そういうのは他の人が一生かけても真似できなかったりするから。
僕は人と会うときはそういうものをいかに気づけるか感じ取れるかばっかり考えとるよ
言い換えるとすれば、その人がどこか待ち望んでいて今も死ぬ前でもらってもずっと変わらず嬉しい言葉かな
短いけど以上。