八王子千人同心
2024.6.8~9
スポーツエイドジャパン主催
【日光千人同心街道ジャーニーラン】
が開催されました。
江戸時代、
八王子にいた千人同心が日光東照宮に
火の番勤務で通った街道がある。
いろいろ呼び方はあって、
日光千人同心街道、
千人同心街道、
日光街道、
日光脇往還とか、、、
すべて間違いではありません。
実はこの大会、人気上昇中。
6月開催のため、日中は晴れると30度近い
気温になるため、過酷です。自分の荷物は全て自分で背負っていくため、途中で止める時はリタイア報告をしてすぐ帰宅できるのはメリット。
今回はエントリー締切日を待たずに定員を
オーバーしエントリー終了になったほど、
人気上昇中の大会です。
八王子から日光まで159kmのみち。
制限時間は32時間。
大会名は
日光千人同心街道ジャーニーラン
スタートする前に
【これを知っていたら100倍楽しめる!】
という予備知識を自分なりに作っておきました!参考にした資料はいろいろで、あくまでも個人の趣味の範囲、楽しむための知識です!少々間違いもあるかも。
なにも知らずに千人同心の旅をするよりは、江戸時代の千人同心を想像したり時代背景を現代と比較しながら旅をすれば
歴史街道ジャーニーランは無限に楽しさを
体感できるのだ!
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★1580年代、織田氏の甲州征伐により滅んだ武田氏の侍を徳川家康が家臣にし、大久保長安が中心になり武田の遺臣としてまとめた。
★秀吉による小田原攻めで滅んだ北条氏からも侍を集め、次第に人数は増えていき250人→500人→1000人と増えた。
★関ヶ原の合戦にも参加。
★大坂の陣にも参加。
★千人同心の組織は、
同心10人の長が1人、
これを組頭といいます。
組頭10人(同心100人)の長が
千人頭といいます。
千人頭が全部で10人いるので、
総人数1000人の同心組織となります。
★武田信玄の娘である松姫は武田氏滅亡後も生きのびて、八王子にいたため、千人同心にとっては精神的な支えになっていた。
★千人頭は旗本(1万石未満)という身分になり、将軍家直轄の家臣。
★跡継ぎがいれば代々受け継がれる身分。
★跡継ぎがいない場合は、千人同心株として売買されていた(養子)。相場は30両~50両、名誉ある家だとそれ以上も。
★蝦夷地の開拓で派遣。ロシアからの防衛と土地の開拓を目指したが、厳しい環境で苦戦し撤退。
★千人同心の中には文化事業に精通した同心もいた。
★14代将軍家茂の上洛にも帯同。
★江戸湾の外国船対策、警備隊で出動。
★戊辰戦争では『千人隊』の名称で戦う。
★日光東照宮に攻めてきた新政府軍の板垣退助は八王子千人同心と親交があった。板垣退助の先祖は武田信玄の重臣板垣信方であったため、名字を乾から板垣へ変えた。
『武田氏家臣』のつながりで、
千人同心からすれば板垣退助は近い存在であったと思う。
★日光東照宮を戦火から守った背景には、
八王子に攻めてきた際の千人隊の礼装での迎えいれと嘆願書を出したことも功を奏したのではないだろうか。
簡単ではあるけど、説明できる
千人同心とはこんな感じ。
大会当日の朝、
千人同心の親玉である
大久保長安陣屋跡
へ行き、これから東照宮へ参ります!
と報告。令和の千人同心は歩けなくなったら電車を使うことも報告(笑)
そして、
精神的支えが必要なので
松姫さまに癒されたく訪れた
『信松院』
さらに千人同心の像をみて
当時を想像する。
朝早くからのレンタル自転車の旅も終わりにして、スタート会場の西八王子の千人町興岳寺へ。
まずは石坂義礼のお墓参り。
準備万端でいざ日光東照宮へ。