プリンストンオフェンスとは~ピートキャリルと現代NBA
前回、NBA・ゴールデンステイトウォリアーズについて投稿しました。
このウォリアーズのバスケットボールに、プリンストンオフェンスという戦術・戦略(というよりも、フィロソフィー)はけっこう大きく関わってきます。
今回は、プリンストンオフェンスについて。
プリンストンオフェンスとは~ピートキャリルと現代NBA
プリンストンオフェンスのことは日本でもご存知の方が多いのではないでしょうか。
学業が優秀な私立校が集まった名門カンファレンス、アイビーリーグの一つであるプリンストン大学で長らくコーチを務めた、故ピートキャリルが発案したオフェンスで、キャリルはこのオフェンスで何度なく強豪校をアップセットしてみせました。
毎度お馴染み、ウォールストリートジャーナルの記者さんが、キャリルとプリンストンオフェンスについての記事を書かれていたので紹介します。
ピート・キャリルとプリンストンオフェンス
ピートキャリルはペンシルバニア州の出身。
地元のディビジョン1校・ラファイエット大学へ進み、24歳の時、高校コーチに就きました。
1966年、36歳の時に1シーズンだけ、やはりペンシルバニア州のD1・リーハイ大学(CJマカラムの母校)ヘッドコーチをつとめ、翌1967年から1996年まで、ちょうど30年(!)、プリンストン大学のヘッドコーチとして活躍しました。
その後は縁故のあったNBAサクラメントキングスなどでアシスタントコーチを歴任。
リーハイでの1シーズン含め、NCAAディビジョン1コーチとしての通算成績は525勝273敗。
13回、プリンストン大学をアイビーリーグチャンピオンに導き、2006年にバスケットボール殿堂入りを果たしています。
アスレティックスカラシップ(スポーツ奨学金)を認めていないアイビーリーグのプリンストン大学にあって、度々強豪校をアップセットする要因となった、キャリルが編み出した”プリンストンオフェンス”は、バスケットボール界から大きな注目を集めてきました。
※写真はThe Basketball Bookより。おすすめです。
Pete Carril Saw the Future of Basketball:ウォールストリートジャーナルの記事
<要約>
◆ピートキャリルはNBAリーグパスでゲームを観戦し、そのボールムーブメント、フロアスペーシング、そしてこれまでに見たことのないスリーポイントショットに感心している。
◆ただ、こうしてNBAのベストチームを見て楽しむのはワケがある。そのNBAのベストチームが、かつてキャリルがコーチしていた昔のプリンストン大学のようにプレイしているからだ。
※ゴールデンステイトウォリアーズを指しています。
◆86歳(当時。2022年、92歳で他界)のキャリルは"ヨーダ”、バスケットボールの賢人として認知されており、より能力の高いチームに勝てるようにデザインされた、プリンストンオフェンスの創始者だった。しかし彼の仕事は部分的にしか認められてこなかった。
◆それがここ最近、「キャリルが現役時代にやっていたように」バスケットボール界が進化し、キャリルの手法に注目が集まるようになってきた。
◆ゴールデンステイトウォリアーズは、バックドアカットをしないし、クリーブランドキャバリアーズはショットクロックを十分に使っていない。が、多くの場面で、それらのチームはキャリルのスタイルを真似ている。今日のNBAのトレンドは、何十年も前のキャリルのアイディアと同じである。
◆キャリルはスリーポイントショットを偏重した。「私はスリーポイントショットを愛している。なぜか?それは同じショットなのに我々に2点ではなく3点を与えてくれるからだ。」
◆彼はスモールボールをプレイするビッグマンを重宝する。1980年代にキャリルの下でプレイしたボブスクラビスの話:「5人全員がアウトサイドに出て、スリーポイントショットを決めていた。」「もしシュートできなければ、プレイできなかった。」
◆彼はまた、ミッドレンジのショットを嫌っていた。プリンストンでスクラピスとチームメイトだったマットラピンの話:「もし我々のシューティングチャートをつけ、その何本がレイアップorスリーポイントなのかを見てみたら・・・それは9割、もしくはそれ以上になっていたはずだ。」
◆彼らはまた、現代NBAのような”ペース”も持っていなかった。これはプリンストンとは大きな違いである。NBAチームはテンポを速くする。プリンストンはテンポを抑える。
◆しかしそれでも、リーグがより速くよりアスレティックになったとしても、プリンストンオフェンスの原理原則はそのままである。それらは現代に対応し、拡充した。
◆プリンストン大学現ヘッドコーチのミッチヘンダーソン(1998年プリンストン卒):「NBAで行われていることと長い間プリンストンで追求してきたことには、とても強い相関性がある。」
◆プリンストンのシステムはショットクロック十分に使っていた。バックドアカットでディフェンスを苦しめ、まるで大昔(モノクロの映像)のようにプレイしていた。しかしその遺跡のようなプリンストンオフェンスはいつも、それがベストであると人々を夢中にさせた。「我々はプリンストンオフェンスがゲームをスローダウンしているという考えと向き合わなければならなかった。」とヘンダーソン。「それは真実と大きくかけ離れている。」
◆プリンストンオフェンスを強力にする本当の意味は・・・良いショットを得ることだ。プリンストンはコートでスペースを作ること、しばしばポストプレイヤーがアウトサイドに出て、誰かがスリーかレイアップを打つべくオープンになるまでボールをパスした。そして良いショットを得た。それは今NBAでプレイしている誰かに似ているかもしれない。
◆昔は「変わっている」とされたが、今では常識だ。昔はキャリルの考えは受けれられなかったのだ。そしてプリンストンオフェンスの最も革新的な部分は、キャリルが早々にスリーポイントを導入したことだ。
◆スリーポイントラインは1987年のシーズンにカレッジバスケットボールに導入され、プリンストンが元々持っていた戦術にはまった。キャリルのチームはすでに長距離ショットを打っていた。これらのショットが突然、より価値のあるものになったのだ。
◆スクラビス:「スリーポイントラインが・・・我々のアドバンテージとなったんだ。」
◆キャリルはスリーポイントの優位性でプレイヤーを勇気づけた。「ライン(スリーポイント)はまだ受け入れられていなった。」ラピンが言う。しかしキャリルは気にしなかった。彼はもし選手のつま先がラインに乗っかっていれば練習を止め、後ろに下げさせた。選手がどれだけバスケットから離れていても問題にしなかった。キャリルはどれだけ離れていても、オープンならシュートすることを許した。
◆最初のシーズン(1986-87)、他のコーチたちはまだスリーポイントがバスケットボールを壊してしまうのではないかと議論していた。そんな中、キャリルのチームはスリーポイントが全体の30%を占め、2年後には42%になった。さらに2年後はプリンストンのシュートの半分近くがスリーポイントになった。(上図参照)
◆それは今季(2016-17)のNBAの記録と同じ。1991年当時では過激とさえ言えた。NCAAトーナメントにおける平均的なチームはそれが22%で、37%以上のチームはなかった。プリンストンは48%だった。彼らは誰もがその意味を知る前に、分析的に知っていた。
◆キャリルのチームはまた、誰よりも、スリーポイントショットを単なる3点よりもっと価値のあるものと理解していた。それははかり知れない心理的な影響でった。彼らは、ディフェンスにバックドアレイアップを気にかけさせた。「相手を混乱させたんだ。」とはスクラビス。
◆彼のアイディアが広まったけれども、キャリルはのんびりしていない。サクラメントキングスのアシスタントコーチであったキャリルは、ゴールデンステイトウォーリアーズと、そして特にサンアントニオスパーズのファンである。「誰がプレイするかではなく、、、」「彼らのやり方こそ真実だ。」キャリルはまた、バスケットボールの将来を気にかけている。
◆「スリーポイントが多い。」「それでは面白くなくなるかもしれない。」
◆カレッジバスケットボールにおいても、より多くのスリーポイントが見られる。プリンストン大学は、所属するアイビーリーグがどのカンファレンスよりもスリーポイントが多かった今シーズン、そのアイビーリーグの中でもスリーポイント依存度が最も高かった(レギュラーシーズン優勝)。
◆しかしスリーポイントショットは毎回、特にNCAAトーナメントにおいて、番狂わせを起こすための武器であった。一発勝負のトーナメント方式は、弱者をやる気にさせた。
◆キャリルのキャリアにおいて最大の勝利には、実際に青写真があった。
◆1996年のNCAAトーナメント1回戦における、前年優勝のUCLAを下したプリンストンのアップセットは、毎年3月に、そのスコアが”43-41”と可笑しいので思い出される。しかし、あのゲームはスタッツ的に異常であったことは見落とされている。プリンストンは46本のFG(試投)のうち、27本がスリーポイントショットであった。
伝説のゲーム(1996年)。*桜木ジェイアール、チャールズオバノンともにスターターです
プリンストンはディフェンスを切り裂き、UCLAの選手をスリーポイントラインの外側まで引っ張り出し、リム周りにスペースを作った。それが最後のポゼッションにつながった。センターのスティーブグッドリッチはフリースローライン付近でボールを持ち、決勝レイアップを決めたウィングのゲイブリューリスにパス。UCLAは誰もバスケット(ゴール)付近にいなかった。
◆プリンストンがこの見事なバックドアで43-41とした後、テレビカメラがショックを受けるUCLAベンチを映した。完璧な一場面だった。信じられない様子で自らのシャツを噛みしめている一人の選手・・・*上に貼り付けた動画の58:55あたり
◆ずっと後、NBAではアイソレーションオフェンス世代が頭角を現してきたころ、この選手がフロントオフィスに雇われた。彼はボールをシェアし、フロアを広げ、ポジションをスウィッチし、大量のスリーポイントショットを打つチームを作り上げた。彼こそがボブマイヤーズ。ゴールデンステイト・ウォーリアーズのゼネラルマネージャーである。
*元記事
https://www.wsj.com/articles/pete-carril-saw-the-future-of-basketball-1488903876
読み終えて
個人的に、プリンストンオフェンスはゲームのテンポを遅くするのが一つの基本であると考えていました。
よって、記事中の、現プリンストン大学ヘッドコーチの「スローダウンするわけではなく、良いショットを打つことこそ真の目的である」という言葉が最も印象に残っています。
このUCLA戦はあまりに衝撃的でしたのでよく覚えています。
最後のバックドアレイップを食らった選手のディフェンスをしていたのは、のちに日本で活躍したチャールズオバノン。ベンチにはいまも現役の桜木ジェイアールが見えます。
でもまさか、ボブマイヤーズがここにいると知ったのは最近でした。面白いものですね。
ピートキャリルのプリンストンは、1989年にも象徴的なゲームをしています。
NCAAトーナメント1回戦。最下位シード、#16のプリンストンが、アロンゾモーニング率いる1位シード、ジョージタウンを相手に、最後までわからない戦いをしたゲーム。
そのスコアはやはりロースコア。49-50でした。
*記事中の、スクラビスとラピンが出てきます。
*この時のジョージタウンのヘッドコーチ、ジョントンプソンは、前年ソウル五輪アメリカ代表のヘッドコーチ。また、この1988年に、彼の息子のジョントンプソン3世がプリンストン大学を卒業。JT3は現ジョージタウン大学ヘッドコーチです。
プリンストンオフェンスは難解なオフェンスとして知られます。そしてその習得にはかなりの時間を要するとも。が、大きな成果をもたらすことは歴史が証明しています。
*参考書籍
この英語版はけっこうクセがあるので、日本語訳版をおすすめします。
あらためて。
これは絶対に残しておきたいと思っていました。
「良いショットを作る・創ることこそが本質」であるならば、ショットクロックに関係なく、プリンストンオフェンスは現代バスケットボールに十分活かされるはずです。
実際に、活かされている。
キャリルの教え子で、記事中にも出てくる、ミッチヘンダーソンがコーチを務める”元祖”プリンストン大学ではもちろん、多くのコーチがプリンストンオフェンスを進化させているのが現状と言っていいでしょう。
それらのコーチたちについてもまた後ほど。
最後に。
キャリルの著書を日本語訳された、故二杉茂さんとは現役時代によく対戦しました(天理大学の前任地時代)。
天理も関西一部校とはいえ、リクルートでは大きなアドバンテージがあるわけではない学校。
二杉先生もまた、"The SMART TAKE FROM THE STRONG"を地で行く方だったと思います。
そして、あらゆる面で平凡も平凡な私は(涙)、圧倒的強者ではなく、創意工夫によってそれらを倒そうとする方々に惹かれるのです。
■プリンストンオフェンス関連資料をこちらにまとめてあります。