見出し画像

【今、縄文が熱い】「地味にすごい!下越の縄文時代」6施設の見どころ紹介1

下越ってどこ?


 新潟にいがた県北半を下越かえつといいます。京都に近いほうが上越じょうえつ、東京に近いのが中越ちゅうえつ、そして、残りが下越です。新潟県の北半、7市2町3村が下越と言われる地域にぞくしています。海あり、山あり、平野あり、おまけにがた砂丘さきゅうありと自然豊かな地域です。

新潟県の地図

 この地域の6つの施設しせつ、新潟県埋蔵文化財まいぞうぶんかざいセンター(第1会場)、新潟市文化財センター(第2会場)、阿賀野あがの歴史民俗資料館れきしみんぞくしりょうかん(第4会場)、胎内たいない美術館びじゅつかん(第5会場)、阿賀あが郷土資料館きょうどしりょうかん(第6会場)、そして、縄文の里・朝日(第3会場)において、企画展を共催きょうさいして行いました。
 縄文時代をテーマに、下越地域の中でも、それぞれの特色とくしょくを持った縄文時代を紹介しています。

他施設の紹介もありますので、読むと楽しめます。

 上越地域はヒスイのたまづくり、中越地域は火焔型土器かえんがたどき。下越はどんな縄文でしょうか。それでは、各施設の「地味にすごい!下越の縄文時代」を見ていきましょう。

新潟県埋蔵文化財センター(第1会場)

埋蔵文化財センターの玄関付近

 新潟県埋蔵文化財センターは、新潟県内の発掘調査はっくつちょうさを行っています。そのため、新潟県全域ぜんいき豊富ほうふ出土資料しゅつどしりょうがそろっています。
今回は、下越地域全体の縄文時代資料を展示してくれています。

玄関から正面に。お出迎えしてくれます。

 地味にすごい下越の縄文時代が玄関ぐに展示されています。
 はじめに行った会場で、かならずパンフレット図録ずろくをもらいましょう。30ページにわたる解説かいせつがありますので、見ながら展示を見ると理解りかいふかまりますので、よろしくお願いいたします。

こちらから展示を見ると、分かりやすいです。

 新潟県埋蔵文化財センターの基本コンセプトは、「下越地域の文化財から郷土の歴史を身近みじかに感じ、埋蔵文化財への理解を深めてもらう」ことのようです。

新潟県と福島県会津との境界にある北野遺跡(阿賀町)

 新潟県北東部にある北野きたの遺跡は、縄文時代じょうもんじだい早期そうき後期こうきまで続く遺跡です。
 縄文時代前期前半ぜんきぜんはんごろに、洪水こうずいにあったり、火山灰かざんばいでうまったりと大変だったようです。
 北野遺跡の縄文早期から前期は、東北地方の影響えいきょうをうけた土器です。石器せっきは、かわなめしの箆状石器へらじょうせっき、土を打製石斧だせいせきふ、平べったい石の両端をへこました漁網ぎょもうのおもりである石錘せきすいなんかがあります。阿賀野川あがのがわ沿いの遺跡なので、川魚をとったようです。皮なめしの道具もあるので、山の動物の毛皮を活用していたことも分かります。

阿賀野川中流域にある荻野遺跡(阿賀野市)

 縄文時代中期前葉の萩野はぎの遺跡では、カマボコ状の線で描かれる文様の土器があります。これは、北陸地域に影響された文様手法です。蛇紋岩製じゃもんがんせい磨製石斧ませいせきふがあり、新潟県上越地域との交易こうえきがあるようです。また、平べったい石錘があるので、北野遺跡と同じように、川魚をとっていました。

阿賀町北野遺跡の縄文時代中期中葉の土器群

 縄文時代中期になると、火焔型土器の仲間の王冠型おうかんがた土器や大木だいぎ8式土器という東北の影響を受けた土器とが共存きょうぞんします。信濃川しなのがわ流域りゅういきの新潟県在地ざいちの土器文化が影響をひろげて下越地域にもやってきました。
 火焔型土器は、すごい文様なので、まねして作りたい気持ち、、、すっごく分かります。

阿賀町北野遺跡の縄文時代中期後葉から後期初頭

 阿賀町の北野遺跡では、中期中葉までの火焔型土器がなりをひそめ、東北地方の大木9・10式土器が中心になります。
磨製石斧の未成品みせいひん多面体敲石ためんたいたたきいし砥石といしといった製作道具せいさくどうぐが出土していて、木材、木製品の需要じゅようが高まっていたのか、磨製石斧大量生産が始まります。

阿賀町北野遺跡の縄文時代後期初頭の土器

 北野遺跡には、縄文時代後期初頭の新潟県在地の土器である三十稲場さんじゅういなば式土器が登場します。縄文のかわりにボツボツした掘り起しのこぶ手法の刺突列しとつれつが特徴的な土器群です。この新潟の土器は福島県会津あいづ地域にも広がることから、阿賀町の北野遺跡も土器拡散かくさん役割やくわりになったのではないかと。
 三十稲場式土器には、土器内面にでっぱりがめぐっています。ふたがおける工夫がされています。しかも土器の蓋もあります。新しい調理方法が開発された予感。タジンなべのような無水調理むすいちょうりだったりして、ってのは、言い過ぎですが、土器に蓋をする調理方法が開発されたようです。

縄文時代後期の北野遺跡の第2の道具

北野遺跡でも縄文時代後期になると土偶どぐう石棒せきぼうなどの第2の道具と言われる、実用的ではない道具が出現します。

分類不明の石製品、うん、不明。

装飾品そうしょくひんである土製腕輪どせいうでわ耳飾みみかざり、大珠たいしゅと、ファッションアイテムも充実してきます。

蛇紋岩とヒスイの大珠。ぺかーっと光るとすごくきれい。

 縄文時代後期からは、新潟県最北の村上市の遺跡を中心に展示されます。

縄文時代後期前半の長割遺跡の土器、土偶、石製品、あとアチヤ平遺跡の石製品(村上市)

 縄文時代後期前葉になると、南三十稲場みなみさんじゅういなば式土器という胴部下半に複数ふくすうの線で文様もんようえがくのが特徴的な土器が主体的になります。南三十稲場式土器は新潟県を中心に広がりを持つ土器群です。

縄文時代後期前半の石製品(村上市)

 蛇紋岩製の大珠、線刻礫せんこくれきという石に人体表現じんたいひょうげんきざんだり、文様を刻み込んだりする石製品せきせいひんが登場します。
 大きい土偶と小さい土偶のコントラストも面白いです。

縄文時代後期後半から晩期のいろいろ道具

 下越地域では、縄文時代後期後半から晩期中頃まで、東北の影響を受けた土器が主体的になりますが、それは、文様だけなのかもしれません。

大波状口縁の土器

 新潟県後期後半の土器には大波状口縁だいはじょうこうえんという、大きく波打つようなダイナミックな突起とっきがある土器が多いのです。東北地方では、縄文後期後葉になると次第に平縁へいえんといわれる平らな口縁の土器になります。
 しかし、新潟北半では、晩期直前まで大波状口縁があります。この現象げんしょうは、関東地方の土器が影響していると推測すいそくされます。

いろいろな形の土器。写真中央下は石に文様を刻んだ岩版です。

 また、後期後半から晩期には、いろいろな形の土器が登場します。注口ちゅうこう土器、台付鉢だいつきばち動物形土器どうぶつがたどきなど。

縄文時代晩期後葉の青田遺跡の木製品(新発田市)

 縄文時代もおわりをむかえる晩期後葉に青田あおた遺跡。平地で川沿いにある集落です。縄文人、山の中ばかりに引っ込んでいないのです。
 飾把手かざりとってつき木製品もくせいひん、何か分かりますか?そう、わかりません。スコップにしては把手部分とってぶぶんが小さい感じです。この棒を持っている人がえらい人のようなしるしだったのかとか妄想もうそうさせる木製品です。
 木製品の横槌よこづち。すごく実用的な道具です。植物のくきなどをたたいて、やわらかくして、カゴや、すだれ、敷物しきものに加工しやすくする道具です。

青田遺跡の第2の道具

 青田遺跡にもいろいろないのりの道具が出土しています。
 写真中央の糸玉いとだま。糸を結んで、赤いうるしで固める。どんな意味があったのでしょう。わかると縄文の意味も分かるかも。

異形礫 ひょうたん型の石のくびれ部分に紐が巻き付いてます。

 白と茶色のおしゃれアイテム、異形礫いけいれき。くびれにひもが巻き付いてます。ペンダントにでもしたのかな?お守りとかなのかな?

青田遺跡の鳥屋式土器

 縄文時代晩期前葉から末葉にかけて東北地方の大洞おおほら式土器の影響が強いのですが、晩期後葉からは関東の影響を受けた在地の土器群、鳥屋とや式土器が登場します。
 浮線文ふせんもんという、線が引かれず、残った部分が立体的にみえる文様が特徴的です。東北地域、関東地域といった土器文様文化の大きな流れが新潟県北部で合流しています。

光っていないヒスイの大珠。スンってしています。

 以上、第1会場の様子を簡単に解説しました。
 第一会場は、下越各地域の特徴を網羅的もうらてきに紹介してくれています。
 企画展もまだまだみどころありますし、常設展もありますし、楽しみいっぱいです。

新潟県埋蔵文化財センター 第1会場
9:00~17:00 観覧無料
〒956-0845 新潟市秋葉区金津93番地1

指定管理者:公益財団法人 新潟県埋蔵文化財調査事業団

ここまで、読んでくれて、ありがとうございました。
ぜひとも、会場に足をお運びいただき、縄文のひみつに親しんでください。
見たら、感想を教えてくださいね。

次は第2会場の新潟市文化財センターを紹介。

サポートなんて滅相もないです。 みなさんのお目汚しもいいとこですし、 いいんです、いいんです。 あなたの人生に少しふれられただけで、充分なんです。