【今、縄文が熱い】地味にすごい!下越の縄文時代 6施設の展示紹介4
今回は、第5会場の胎内市の「地味にすごい!下越の縄文時代」をご紹介します。
ほかの施設の見学感想もありますので、みるとさらに楽しめるかも。
胎内市美術館
胎内市ってどこ?
胎内市は新潟県北部にあります。東側の山間部と西側の平野部があり中央を胎内川が流れています。櫛形山脈が胎内市を縦断しており、そこを割って胎内川が日本海に注ぎ込んでいて、いわゆる扇状地という地形です。そのため、扇端部では湧水が豊富で、「どっこん水」とよばれ、親しまれています。また、日本最古の油田をうたう黒川油田があり、産油地でもあります。
企画展
胎内市美術館の展示はどうでしょうか。
分谷地A遺跡の漆塗り木製品
入口すぐに展示されている漆関係の展示があります。
縄文人の漆に関係する道具の展示と現地の匠により復元された漆塗り木製容器の展示があります。
小形磨製石斧により木地の器をつくり、漆容器にためた漆を何度も塗り重ねていたことが想定される縄文道具が出土しています。
朱漆塗り把手付木製容器と漆塗り把手付木製容器、朱漆塗り木製鉢の残欠がならんで展示されています。
縄文時代後期のものです。縄文時代後期になると注口土器という注ぎ口のついた急須のような土器が登場してきます。あわせて片口土器という縁に注ぎ口をつけた土器も出てきます。
このような凝った造りの器は土器だからと思っていましたが、胎内市分谷地A遺跡の把手付木製容器の造形たるや、芸術品です。
木製容器の中からは、ニワトコ、マタタビ、クルミなど20種類以上の木の実の種などが入っていました。お酒なのかエナジードリンクなのか、特製のドリンクが入っていたようです。
大小さまざまな磨製石斧による木材を器にする技術、漆塗りの技術、特製ドリンクづくりと、どれをとっても分谷地A遺跡の縄文人が蓄積してきた知の結晶です。縄文人が様々な情報を共有し、次世代に受け継いでいく知の塊を縄文人はもっていたんだなぁ。SNSがなくても伝わるんだなぁ。
胎内市の縄文土器
縄文時代早期の尖底土器。安定とは、かけはなれた尖った土器。煙道付炉という地面を堀りくぼめて上に穴のある炉が見つかる時期も早期からなので、炉の穴にはめるために土器の底が尖っているのではないのかと推測しています。
屋外でお隣さんといっしょにご飯をつくったのかな?
縄文時代前期になると屋内の炉に代わるので、平らで安定した底の土器になるだと思う。下ごしらえはみんなで。仕上げは個人宅で、なのかな?
竪穴建物や縄文土器の形からみえる縄文人のご近所づきあい。。。
土器は煮炊き以外にも、実用的な再利用と、お墓としての転用が行われていました。
縄文人にとって煮炊きする道具である深鉢は大切な道具であったことが分かります。
縄文時代晩期の土器。
小形の鉢も煮炊きに使われています。一人用土鍋が登場します。
台付土器や透かし入りなど器種にバラエティーが出てきます。
胎内市の縄文人のお墓
胎内市野地遺跡から縄文時代晩期前葉のお墓が検出されました。
屈葬という、足を曲げて、土葬する葬送を行っていました。
また、縄文人の歯が出土していて、並べると犬歯が欠けています。抜歯の風習があったことが分かります。通過儀礼という成人・婚姻にともなう儀式により歯を抜いたようです。胎内市の縄文人も痛みに耐えて大人になったようです。
胎内市における縄文人の植物利用
野地遺跡からは、敷物やカゴといった植物の皮をつかって道具を作っていました。植物の表皮を加工して繊維を取り出し、編んで、敷物やカゴを作り出していたことが分かります。
野地遺跡の敷物はトチノミやクリ、クルミの虫殺しやアク抜きのために、木の実を水にさらすのに使っていたようです。
野地遺跡は低地で水に浸かった状況だったので、保存されていました。縄文人は、現在の発掘で出てくる以上にいろいろな道具を動植物を材料に作り出していたようです。
縄文人、山の資源を活用していたんですね。
縄文人のたべもの
胎内市の縄文アクセサリーなどなど
縄文人の特別な色、そう、赤です。
漆というコーティング剤を開発して、土器、木器、木製品を漆塗りしまくりです。
ベンガラという酸化鉄を粉にして漆に混ぜると、きれいな朱色になります。発掘直後は縄文時代の鮮やかさそのままなのですが、すぐに退色してしまい、残念な思いをしています。展示はじめの現代匠の復元品のようにきれいな発色のものが縄文人が見ていた漆塗りの木製品だったのです。
きれいな赤色は縄文人の気持ちをアゲアゲにしたことでしょう。
漆塗りは、その原料調達から精製、塗り方など複雑な工程を経て完成品にとなることから、知識の伝達方法である縄文人の言葉は、相当に複雑な概念を理解できるレベルのものになっていたことが考えられます。
胎内市の縄文時代には、装飾品や土偶などの儀式の道具がありました。つまり、胎内市では、縄文時代から文化があったのです。土偶や土鈴などから縄文時代前期から、熟成した縄文文化という情報を形にしていた形跡があります。
漆塗り、屈葬、抜歯、敷物やカゴと、胎内市の縄文人の生々しい生き方が発掘から分かりました。胎内市の縄文時代出土品からは、縄文人の生活に必要だったものの多くが失われていることに気づかされます。縄文生活はまだまだすごいひみつがあることを思わせます。
胎内市美術館の「地味にすごい!下越の縄文時代」の紹介でした。単純にすごい!胎内市の縄文時代。胎内市の縄文人はあんなこと、こんなことして暮らしていたんだなぁ。。。
やはり、本物をその目で見てほしいです。写真には写らない実物の魅力がありますね。
楽しい展示でした。漆塗り把手付木製容器。縄文の謎がまたひとつ。。。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
実際に胎内市に見学に行かれた方は、感想を教えてください。
サポートなんて滅相もないです。 みなさんのお目汚しもいいとこですし、 いいんです、いいんです。 あなたの人生に少しふれられただけで、充分なんです。