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【今、縄文が熱い】地味にすごい!下越の縄文時代 6施設の展示紹介3

 今回は、第4会場の阿賀野あがの市歴史民俗資料館の「地味にすごい!下越の縄文時代」をご紹介します。

他施設の紹介も見ると楽しいかもです。

阿賀野市歴史民俗資料館

 阿賀野市ってどこ?
 新潟県を流れる阿賀野川の中流域にあります。白鳥の飛来地ひらいちである瓢湖ひょうこ弘法大師こうぼうだいし開山かいさんした五頭山ごずさんといった自然あふれる土地柄とちがらであり、新潟市のベッドタウンといった都会的な側面も持ち合わせた地域です。新潟県内での酪農発祥らくのうはっしょうの地であり、ヤスダヨーグルトはさいこーです。
 阿賀野市歴史民俗資料館は、東日本2番目のアミューズメントパークとしてならしているサントピアワールドの近くなのです。

新潟県の地図 真ん中くらいが阿賀野市  出典:Map-It マップイット(c)

阿賀野市歴史民俗資料館の展示は、コッてます。
「阿賀野市歴史民俗資料館、そう、ひと味違うのね」って感じです。
縄文人と数に関するテーマで阿賀野市の縄文時代を紹介してくれています。

阿賀野市歴史民俗資料館 旧山手小学校の校舎を利用しています。

 阿賀野市歴史民俗資料館の「地味にすごい!下越の縄文時代」はどんなのでしょう。
 阿賀野市歴史民俗資料館では、「縄文人の算数・数学」と副題し、縄文人の数字や図形にどのような認識にんしき世界観せかいかんを阿賀野市内の遺跡いせき出土品しゅつどひんから紹介するというテーマがあります。

縄文人の算数・数学

ここからです。く、反射が。やはり実際に来ていただかないと。
数字の1に関する土偶。県内1大きい遮光器土偶しゃこうきどぐうです。
これも数字の1の土偶。県内1の顔の大きさのハート形土偶。
く、これで元屋敷遺跡のハート形土偶が2位に。。。
数字の2に関する土器。ふた土器どきで2個セットだよ。

 阿賀野市内で出土した土偶どぐうがお出迎でむかえです。
 なになに、数字の1と縄文人は、県内一の大きさの土偶とのこと。
 くそ、ワクワクしてきたぜ。楽しい縄文時代じゃないか。
 こんなのサントピアワールドとあわせてのアミューズメントじゃないか。

 次は、数字の2に関する展示。2つで1つだって。縄文時代後期初頭の三十稲場さんじゅういなば式土器には、ふた形土器があって、深鉢ふかばちとセット。深鉢の内側には蓋がおちないようにでっぱりがめぐっているのです。蓋は蓋で、深鉢の突起とっきにあわせて4か所がめくれています。
 蓋をして作る鍋料理なべりょうりってなんだったんだろう。縄文人の美味しい想像もふくらみます。

次は、土器を上からのぞいてみよう。
突起があると円だけにみえない。
土器って使う時は、上からみるものだ~ね。

土器を上から見てみるって、どんなことだろう?
見てみると、分かりますよ。
意外と、円ではない。
 横から見ていると、火焔型土器かえんがたどき波状口縁はじょうこうえんの土器とか、使いにくいんじゃないの?と思ってしまうけど、効率こうりつだけでじゃない大切なものがあるんじゃないかと視点してんを変えると見えてくる。
縄文人のこころを豊かにする数があったのではないかと考えさせます。

数字の5と7に関する展示。ぐぬぬ、やはり反射が。
5に関する展示。手がありますね。重ねたい感じです。

 数字の5は、5本指の手。中部高地ちゅうぶこうちにも手の表現があるのですが、5本指ではない。5本指は、人体表現じんたいひょうげんのようです。
 この土器は縄文時代中期中葉の東北伝統の土器に他地域のいろいろな文化があわさり、阿賀野市で、手として表現されました。動物の手ではなく、人間の手が表現されているのです。
 あなたも、手をかさねて見たくなりませんか。

7に関する展示。埋設土器です。

 縄文人の7は、埋設土器まいせつどきです。
 「七つまでは神のうち」ということわざのように、縄文人の子供も幼児のうちに亡くなることが多かったようです。埋設土器は幼児用の棺桶かんおけです。普段使いの土器が棺桶になります。食べ物を作り出す土器にひとかたならぬ思いがあったようです。
 成長できなかった我が子を大切に埋葬まいそうするということは、命というものを縄文人は知っていたんだなぁと考えさせます。

縄文人の6は、石船戸いしふなと遺跡の掘立柱ほったてばしら建物や土橋どばし遺跡の大形掘立柱建物の模型もけい

6に関する縄文人の展示は、掘立柱ほったてばしら建物です。
六本柱の建物です。四角に、棟持むなもばしら2本の亀甲形きっこうがたがいい感じです。
 遺構いこうや建物の作りなどから「縄文尺じょうもんじゃく」があるのではないかと考えられています。縄文のスケール、35㎝じゃないかと。縄文人のひじから指先までの長さじゃないかと。
うーむ、縄文人が柱と柱の間の間隔かんかくはかる時、みんなで「小さく前ならえ」をしていたと想像すると。。。楽しくなります。

縄文人の8は、三十稲場さんじゅういなば式土器の突起です。8の字です。

8に関する展示は、三十稲場さんじゅういなば式土器の突起とっきの部分です。
8字に粘土をけるのは、文字の書き順とはちがい、左側から貼り付けが主流です。
たまに、文字と同じ書き順と同じように粘土貼り付けしてるものがあります。どれかは、実際に見て来てください。

縄文人の4と9に関する展示
縄文人の9に関する展示 縄文人が食べた木の実や植物

縄文人の9は、収穫の秋、9月ってことです。
みなさんは、縄文人って、クリばっかり食べてると思ってませんか?阿賀野市のあたりだと、湿地しっちがあるので、ヒシの実とか食べてました。また、ヒョウタンの種があり、育ててた?というような植物があります。

土橋どばし遺跡の埋葬まいそうされた人骨。現在、調査中です。
縄文時代後期 ツベタ遺跡の焼人骨しょうじんこつ

 縄文人に関する4は、縄文時代後期の土橋どばし遺跡の四角に組まれた縄文人の骨です。土橋遺跡の骨には強い火にさらされた亀裂きれつがないので、いったん土に埋められて、ある程度まで骨になったものを掘り出して、再度、骨を四角におさめて埋葬まいそうしているそうです。丁重ていちょうな埋葬方法のひとつです。

 同じ時期のツベタ遺跡からも人骨が出土しました。この縄文人骨は、白く、亀裂があるので、強い火で火葬されたことが分かります。ツベタ遺跡の縄文人は、亡くなって時間をおかず、火葬かそうされて、埋葬されました。

同じ時期の縄文人でも、いろいろな埋葬がされました。

ここは、縄文人の3と10に関する展示
縄文人の3は、三角形の石鏃、石の矢じり

 動物を狩るための道具である弓矢は、縄文時代になって出現してきた道具です。動物を狩猟しゅりょうするために工夫された石鏃せきぞくの形から、縄文人が意識した角度がありました。

縄文人に関する10 縄文人の行動範囲

縄文人に関する10は、縄文人の行動範囲こうどうはんいです。
阿賀野市の同時代遺跡の距離や石器に使う石材がとれる場所などから10㎞が普段からの行動範囲と考えられます。20㎞離れた場所の石材もありますので、20㎞までは移動した時もあったようです。
石材は地元の人でない分からいことなので、このような地道な研究が縄文人の事実を解き明かすことに重要になります。

よいこのみんな、縄文遺跡をはかりまくろう。

 展示を楽しんだら、計算問題を解いて、答えがあってたら、阿賀野市遺跡トレカがもらえるかも。レッツ!チャレンジ!!

常設展示室の縄文時代

縄文時代の常設展示1

阿賀野市歴史民俗資料館は、常設展示もいいです。

阿賀野市の縄文時代中期の土器群です。
縄文時代中期 なんか不思議な土製品どせいひん耳飾みみかざ
はい、ばんざーい! バンザイ土偶でーす。
縄文時代中期の土偶
縄文時代中期の土偶 すごいワンちゃん感。
阿賀野市の縄文時代後・晩期の常設展示
縄文時代晩期の動物形土製品
あら、下にも穴が!ふえになるかも。あと奥の動物はなに?カメ?
縄文時代晩期 遮光器土偶

阿賀野市歴史民俗資料館の「地味にすごい!下越の縄文時代」の紹介でした。単純にすごい!阿賀野市の縄文時代。阿賀野市の縄文人はあんなこと、こんなことして暮らしていたんだなぁ。。。
やはり、本物をその目で見てほしいです。写真には写らない実物の魅力がありますね。
楽しい展示でした。数と縄文。縄文の謎がまたひとつ。。。

阿賀野市歴史民俗資料館 第4会場
観覧無料
9:30~16:30 開館日:土・日・祝日
*平日は、希望日の1週間前に5名以上の予約で開館します。
〒959-2204阿賀野市永福910番地
TEL:0250-62-5322
Email:syougaigakusyu@city.agano.niigata.jp
HP:http://www.city.agano.niigata.jp

ここまで読んでくれてありがとうございました。
実際に阿賀野市歴史民俗資料館に見学に行かれた方は、感想を教えてください。


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