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【今、縄文が熱い】地味にすごい!下越の縄文時代 6施設の展示紹介2

 今回は、第2会場の新潟市にいがたし文化財ぶんかざいセンターの「地味にすごい!下越の縄文時代」をご紹介します。

他施設の紹介も見てもらえると楽しいかも。。。

新潟市文化財センター

 新潟市ってどこ?
 新潟県を流れる信濃川しなのがわ阿賀野川あがのがわ下流域かりゅういき越後平野えちごへいや新潟砂丘にいがたさきゅう福島潟ふくしまがた南側に弥彦山脈やひこさんみゃく、東側に新津丘陵にいつきゅうりょうからなる豊かな自然が魅力みりょくの都市です。平野部へいやぶが広がっており、稲作いなさくさかんです。そして、海の魚、米、日本酒、野菜とグルメ都市でもあります。また、日本書紀にほんしょきにもみられる新津油田にいつゆでんがあり、日本有数の産油地さんゆちでもあります。
 新潟市文化財センターではどんな展示がされているのでしょうか。

新潟市は、地図中央。大きいです。
出典:Map-It マップイット(c)

新潟市文化財センターは、どんな展示かなぁ。常設展も充実じゅうじつしていますし、楽しみです。

新潟市文化財センターの外観で~す。
玄関に企画展の看板あります。

新潟市の縄文時代

新潟市出土の土器がお出迎え

 新潟市文化財センターのロビーから「地味にすごい!下越の縄文時代」が始まります。
 新潟市の縄文時代を、角田かくた山麓さんろく新津にいつ丘陵きゅうりょう新潟砂丘にいがたさきゅうの3エリアに分けて紹介してくれます。

角田山麓の土器1
角田山麓の土器2

 角田山麓では、縄文時代草創期そうそうき石斧せきふが出土していて、土器は、縄文時代早期そうきのものから出土しており、縄文時代前期ぜんきから晩期ばんきにわたり定住ていじゅうしています。日本海沿岸にほんかいえんがん交易拠点こうえききょてんとして角田山麓の縄文人が活動していました。

御井戸おいど遺跡のアスファルトがべっとりした土器
新津丘陵の土器
角田山麓・新津丘陵の土器

 新潟市内における南側の角田山麓と東側の新津丘陵の土器。縄文時代各時期にわたり縄文人が活動していたことが土器の存在で分かります。縄文人は山がお好きなのかな?
 土器は、角田山麓、新津丘陵とも同じ時期なら同じ文様の土器になってますね。新潟県っぽい土器です。

新潟の砂丘の出土品です。

 こちらは、新潟市の北部、海沿うみぞいの地域、砂丘からの土器、石器などの出土品を紹介しています。
 亀田砂丘の説明によると、6,900年前に砂丘ができたようです。縄文時代前期(約6,000年前)の土器が出土しているので、このころから縄文人が砂丘で活動していたようです。その後も縄文時代が終わっても砂丘では人々が活動していました。

縄文時代中期ごろからの磨製石斧ませいせきふ製作せいさくが分かる出土品です。
新潟市の縄文晩期後葉といえば、鳥屋とや式土器。い~い土器です。個人的に好きな文様もんようです。
石冠せきかんです。すごい存在感があります。底のゆるいカーブは、ほんとうに頭にのせたくなります。
鳥屋とや遺跡いせきの縄文時代晩期後葉の土器群。

 はい、鳥屋とや遺跡の鳥屋式土器。考古学史に燦然さんぜんかがやいていてほしい土器です。あ、でも、工字文こうじもんという東北の同時期どうじき土器である大洞おおほら式土器の文様を持つ土器が。在地ざいちの独自性と東北地域の土器とが共存できる度量どりょうが新潟縄文人の心意気こころいきなのです。

多面体敲石ためんたいたたきいし

 多面体敲石ためんたいたたきいし磨製石斧ませいせきふをつくる時に、形をととのえるために、コツコツとたたいていくうちに、丸くなってしましました。たたくと道具の方もへっちゃう。なんかせつない道具です。身をけずり役に立つ道具です。
 新潟県内の縄文時代後期から磨製石斧づくりの道具として登場します。定型的ていけいてきな磨製石斧の作り方が新潟中で共有されていたしるしです。

砂丘の縄文人が食べていたもの。

 砂丘は、海と平野をへだてているので、平野側に湿地しっちができます。湿地には鳥がきたり、ヒシが繁殖はんしょくするようで、新潟市の砂丘の縄文人は、ヒシの実や鳥を食べたようです。また、汽水域きすいいき(海水と川の水が混じる場所)にはヤマトシジミがいたので、食べていたようです。

こちらは砂丘の縄文人の交易です。
砂丘に遠くからの交易品が来ています。

 砂丘の遺跡に、上越地域のまが玉が来ていて、海のルートからの交易品こうえきひんがあります。また、陸側の阿賀野川のルートでは、新津丘陵産のアスファルト、阿賀野川上中流のメノウや輝緑岩きりょくがん鉄石英てつせきえいなどが交易品として出土しました。
 砂丘の縄文人は、海と川の交易拠点こうえききょてんとなっていたようです。

顔のパーツの土製品です。鼻と耳。
土製のアクセサリー。ペンダントトップとピアスです。
新潟市の縄文時代中期の土偶どぐう
新潟市の縄文時代後期前葉の土偶

 水のみやこ、新潟。水運すいうんつかさどっていたのは、縄文時代からでした。明治時代に開港かいこうすることになるわけです。 

 次は、常設展示室内にも、企画展示がもよおされていますので、早速もはや

常設展示室への重々おもおもしい扉が開くと、ありました。縄文土器。う~ん、いい土器だ。
こちらは、縄文時代晩期の御井戸おいど遺跡出土の木柱もくちゅうですね。しっかりした太い柱です。
たく探訪たんぼうなら、「いや~、素晴らしい柱ですねぇ。」とほめたたえられます。

新津丘陵の天然アスファルト

企画展示のはじまり、はじまり~。
新潟市新津特産のアスファルト
さすが原油げんゆ原産地げんさんちの新潟市新津

常設展示室内にも、今回の企画展の展示が。まずは、新潟市新津産の天然アスファルトの活用が展示されています。
新潟市では、縄文時代中期の土器に天然アスファルトがついていることから、縄文時代中期から天然アスファルトを活用していたと考えられます。
以後、縄文時代中~晩期までアスファルトを活用していました。
また、岩石に原油がしみこんだアスファルタイトが出土しており、天然アスファルトが豊富な地域であったことが分かります。

それでは、ぐるりと見ていこう。

新津丘陵の遺跡

新津丘陵の縄文遺跡が紹介されています。
縄文時代草創期の御子柴みこしば型石斧がたせきふ

新津丘陵で最古の縄文遺跡から紹介されています。
長野を中心に分布する、縄文時代草創期の御子柴型石斧みこしばがたせきふや縄文時代早期、前期の土器など、縄文時代の初めの段階から新潟市東側で活動していました。

新津丘陵の縄文時代中後期の土器など
アスファルトの付いた石は魚とりのあみのおもりなのか、装飾品そうしょくひんなのか。
新津丘陵のたいら遺跡の出土品
土器の混和剤こんわざいについての展示 川砂かわずな軽石かるいしが使われていました。

 土器づくりの粘土ねんどには、焼いた時、割れにくくするつなぎ(混和剤こんわざい)となる石がふくまれています。
 新津丘陵のたいら遺跡では、土坑どこうに混和剤となる川砂がためてありました。縄文人の土器づくりセットです。

縄文時代後晩期のはら遺跡の出土品
土器の底についた敷物しきもののあとを紹介しています。

角田山麓の遺跡

ここからは、角田山麓かくたさんろくの遺跡紹介です。
角田山麓の大沢谷内おおさわやち遺跡にあつまるいろいろな地域の人々

 角田山麓かくたさんろく大沢谷内おおさわやち遺跡には、新潟県北部でつくられた土器や石材が集まっています。
 土器に含まれるつなぎの砂から砂丘地域や新津丘陵の土器が持ち込まれています。また石材が新潟県北部のものが持ち込まれているので、大沢谷内遺跡に新潟市内の縄文人があつまって、交流する場所になっていたと考えられます。

のじの展示。
のじじょう石製品せきせいひん 不思議な石製品 イモガイを輪切わぎりにしたペンダントトップをまねしたのか。
くるっと回る。渦巻うずまき。縄文人のこころにグッとくるデザインなのだろうけど、
数がそんなに多くないので、すごい貴重です。
まだまだ続く角田山麓の遺跡紹介
味方あじかた排水機場はいすいきじょう遺跡 え?そんなとこから出たの?

 味方あじかた排水機場はいすいきじょう遺跡。地下19mで作業していた時に土器片を発見。そんな深くから出る?いや、出たんです。地形のみょう低地ていちは、すごく深いところに遺跡がある。新潟市には、分かっていない遺跡がまだまだたくさんありそう。

御井戸遺跡の木材

 御井戸おいど遺跡から出土したつなかけあとのある木材。切り倒した木を綱にかけて引っぱって持って来たんだね。工夫してある。さすが縄文人。

いわぱら遺跡と上堰うわせきがた湖底こてい遺跡の土器 縄文時代後期の土器群

 三十稲場さんじゅういなば式土器、南三十稲場みなみさんじゅういなば式土器、加曾利かそりB式土器、瘤付土器こぶつきどきと新潟県における縄文時代後期の土器がいろいろです。

ヒスイって完成品が出回でまわってると思ってたけど、作りかけもあったんだなぁ。
角田山麓の縄文人が食べていたもの。
イトヨやヒシの実、シジミとがたにいる動植物だね。
あ、ヒョウタン。育ててたのかな。
あ、縄文のワンちゃん
角田山麓の縄文人、川や海の動物性たんぱく質を豊富に摂取せっしゅしている。
角田山麓の遺跡にあるいろいろな地域の土器や石材せきざい
珍しい石材で石鏃せきぞくがつくられました。

 角田山麓の縄文遺跡には、海のルートを通じ、北陸ほくりく佐渡さど、東北の土器や長野の黒曜石こくようせき、佐渡の鉄石英てつせきえいなどが持ち込まれています。交易拠点こうえききょてんとしてさまざまな地域の人や情報が入っていたことが分かります。

縄文時代前期の布目ぬのめ遺跡と新谷あらや遺跡の土器

 新潟県の縄文時代前期はじめの基準となる土器が出土した遺跡、そう、それが布目ぬのめ遺跡。かたむきの違う縄文のあとを順番にころがす羽状縄文うじょうじょうもんが特徴的です。また、口縁端部こうえんたんぶにもななめにきざ矢羽根状やばねじょう刺突列しとつれつがあります。

布目遺跡の布目式土器 口縁部に矢羽根状の刺突列
縄文時代前期の新谷あらや式土器。土器の底面ていめんに縄文をおしつけたり、爪形つめがた刺突しとつ渦巻うずまきにしたりです。
ひらたい石のはじを打ちいて、ひもがひっかかるようにしたれき石錘せきすい

 新谷あらや遺跡出土土器を基準きじゅんとした縄文時代前期の土器のことを、新谷式土器と命名されています。
 新谷式土器と漁網ぎょもうのおもりであるれき石錘せきすいは、北海道南部から能登半島まで日本海川沿いの遺跡から出土していて、同じ文化圏であったことが分かります。

常設展示の縄文

縄文時代の食べ物とか石器とか展示してあります。
縄文時代の呪術具じゅじつぐ
縄文土器もあります。
縄文土器は大きいものは中期、後期から晩期に小さくなります。
御井戸おいど遺跡の加工途中の木製品。
縄文時代には、土器以上に木製の器があったんだ。磨製石斧がたくさんあるからね。

新潟県埋蔵文化財センターの展示。。。
すごく濃密のうみつ。砂丘。新津丘陵。角田山麓。
砂丘や角田山麓の遺跡は、日本海側の交易拠点として、物流や情報をやり取りするクロスロード新潟にふさわしい活動の痕跡こんせきが認められます。下越の他の遺跡からも東北、北陸、関東、信州とさまざまな情報や物が行きかうのですが、新潟市は、すごいです。
なぜなのかは、新津丘陵の特産品とくさんひん、天然アスファルトを広く各地の縄文人が求めたからにほかならないからでしょう。
やはり、写真では伝えきれないので、ぜひとも実物をその目で確かめてほしいです。

新潟市文化財センターの「地味にすごい!下越の縄文時代」の紹介でした。単純にすごい!新潟市の縄文時代。新潟市の縄文人はあんなこと、こんなことして暮らしていたんだなぁ。。。
やはり、本物をその目で見てほしいです。写真には写らない実物の魅力がありますね。
楽しい展示でした。アスファルトと縄文。縄文の謎がまたひとつ。。。

新潟市文化財センター 第2会場
観覧無料
9:00~17:00 土・日・祝日は10:00~16:00
〒950-1122 新潟市西区木場2748-1
TEL:025-378-0480
Email:bunkazai@city.niigata.lg.jp
HP:http://www.city.niigata.lg.jp/kankou/rekishi/maibun/index.html

ここまで読んでくれてありがとうございました。
実際に新潟市文化財センターに見学に行かれた方は、感想を教えてください。

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