夏の自由研究~入組文~
夏休みも終盤。夏休みと言えば自由研究。そこで縄文の里・朝日で土器をみる時に100倍たのしめるように土器の文様について解説。これをみて、ご来館いただけると、あっ!!、となるかもです。では、はりきっていきます。
入組文、そう、これは入り組んでいる文様。
縄文人が組みこんだ土器文様。
入組文、縄文人のこころ、しあわせのぐねぐね模様。
入組文。。。
ここでとりあげた入組文とは、縄文時代後期後半(約4,000年前)に東北地方中心に分布した瘤付土器に描かれる文様のことです。
階段状に描かれる文様がぶつからないように組み合わせられて描かれています。組み合わせれた文様はダイナミックなもの、細かいもの、細いもの、繊細なもの、とさまざまなものがあります。
ここでは、文様がどのように変化していくのかということをおいかけていきます。縄文人が文様をどのようにとらえ、変化させていったのかを奥三面遺跡群元屋敷遺跡出土の土器からみていきましょう。
始まりの入組文
ここ奥三面遺跡群元屋敷遺跡では、縄文時代後期半ば(約4,000年前)に、関東地方の土器型式である加曾利B式土器と同じ特徴の土器が出土します。
写真の土器は、加曾利B3式土器の特徴を持つ土器です。胴部半ばに、左下へと流れていくような縄文の帯がみてとれます。このような文様を磨消縄文と呼びます。2本線の間に縄文をころがし、線の外側をすり消した文様です。
また、帯の中の縄文は羽状縄文と言われる縄文の施文手法で、ねじり方の違うヒモを段違いで転がす手法が特徴的です。
胴部半ばに描かれた文様は、平行する線が右上から左下へと流れるように描いています。これがはじまりの入組文です。
帯状の磨消縄文が描かれた土器
そして、弧を描く帯が組み合わさった磨消縄文も登場します。
弧を描く磨消縄文の入組文
形作られる入組文
入組文は少しちいさく描かれるようになります。羽状縄文も用いられなくなります。
前段階でみられた弧を描く磨消縄文の入組文は、入組文の中に楕円を描くことにより表現しています。
前段階まで、2本の沈線の間に羽状縄文を施す手法が維持されていたためにおおぶりな入組文となっていましたが、羽状縄文をやめ、入組文のスリム化がすすみました。
この段階は、いわゆる瘤付土器第Ⅰ段階(高柳圭一1988)と言われている土器群に相当します。入組文が完成した段階です。一見、複雑に見えますが、弧線が組み合わされた文様です。線をよくみると描いた順が分かります。
多様化する入組文
スリム化がすすんだ入組文は、2段になるもの、隣接する入組文同士が合体したもの、縄文がネガポジ反転したかのように施されるもの、七宝繋文といったいろいろな文様パターンが登場します。
2段の入組文
2段になる入組文が用いられています。多段化によった入組文は多様化していきます。
広がらない入組文
階段状に広がる入組文が、切り返しでもどることによりつづら折り状の文様となっています。多段化する入組文の発展形です。
弧線連結状入組文
弧線連結状入組文は、多段化した入組文が隣接した入組文と組み合わさった文様です。直線的な構図と弧線が融合した幾何学的な文様です。
縄文ネガポジ反転した入組文
本来的には、2本の弧線間に縄文施文されますが、このタイプの文様は、縄文施文される位置が逆転したものです。
七 宝 繋 文
伝統模様のような文様。前出の弧線連結文が変化して出来上がった文様。おおまかな文様の割付を意識しないと途中でおかしくなるので、文様配置に気を使います。
これの土器群は、瘤付土器第Ⅱ段階に相当する土器群です。入組文が発展し、多段化、シンプル化、幾何学模様化といった変化をみせる段階です。入組文を用いて、縄文人のクリエイティビティを発揮していきます。
細長くさらに多段化する入組文
この段階では、多様化した文様が、直線化し、何段もの重なりをもつ入組文に変化します。
直線化する入組文
いくつもの弧線を上から下に半分ずらしながら組合せ、弧線の末端を結ぶように平行する線が幾重にもめぐります。平行線の間には、線の幅がせまいためなのか、縄文ではなく、刻み列がつけられています。
掘り起し瘤をもつ入組文
直線化した入組文へ、縄文の代わりに、刺突列をほどこしたものです。刺突の工具の先端が半円形であり、突き刺して持ち上げるということで、粘土粒を貼り付けていた入組文を表現しました。縄文と粘土粒はりつけの両方を表現した文様です。
直線化し、多段化する入組文
この土器の文様をよく見ると、最上部に線があり、直線的な入組文が2段、平行線があり、直線的な入組文が3段、平行線があり、直線的な入組文が4段、平行線があり、直線的な入組文が4段、そして、平行線、間が無文で平行線という構図になっています。
直線化という文様のシンプル化と多段構成する文様配置という相反するようなことをしています。努力の甲斐あってか非常に素敵な文様になっていると感じます(あくまで個人の感想です)。
省略される入組文
平行する直線と粘土粒はりつけにより入組文が表現されています。この平行線は、半截竹管(1)を用いて、押し引き手法(2)により描いたものです。独特な線ですが、掘り起し瘤の線と同じ工具で描かれています。
(1)半截竹管:竹を半分に割り、先端が断面半円形になっている。文様を描く道具。
(2)押し引き手法:半截竹管を突き刺し、引きもどすをくりかえして線をひく技法。
瘤付土器第Ⅲ段階に相当する土器群を紹介しましたが、入組文の簡略化が進んでいます。描き方の簡略化、縄文や瘤状粘土粒の省略が認められます。大ぶりだった入組文、さまざまな変化をみせた入組文は細く直線化しました。このあと、入組文はどのような変化をみせていくのでしょうか。
最後の入組文
簡略化しつくした入組文は最後にどうなっていくのでしょうか。縄文人の文様への思いはどのように変わっていくのか。さっそく見ていきましょう。
直線化した入組文?
第Ⅲ段階同様の直線化した入組文のようですが、縄文(この土器は擬縄文★)がほどこされます。線を何度もなぞり、太くはっきりした線になっています。簡略化とはちがった変化がみられます。
★擬縄文とは、ヒモでなく、オオバコの穂の部分などで縄文に似せたもののことです。
線をなですぎて三叉文が出現
この土器も直線化したはずの入組文が弧線になっています。線を何度もなぞっています。下段の入組文の縦になっているところをよくみると、△のくぼみが、むかいあわせになっているのが分かります。三叉文という文様です。
入組文から独立する三叉文
この土器も直線化からすこし変化し、2段で密接した入組文にくっつくように三叉文が出現します。さらに進んで、上段の口縁部突起部分に三叉文が用いられています。
瘤付土器第Ⅳ段階になると、シンプルな入組文に変化します。第Ⅲ段階では、直線化し、多段化していった入組文でした。それから、第Ⅳ段階では、2段構成の入組文となり、入組文を描いている線を何度もなぞり、太い線にしています。この何度もなぞる行為から三角形のへこみが強調されていき、三叉文が誕生します。この三叉文が、入組文と組み合わさる以外にも用いられていくことになります。
入組文とは。。。
入組文とは、縄文時代後期後半(約4,000年前~)に東北地方中心に流行した土器文様のひとつです。
平行する線の間に羽状縄文をほどこす帯のようだった文様がS字カーブのように曲がる表現から始まります。それを表現するために弧線を組み合わせて入組文を描きました。
そして、弧線の組合せは、弧線連結状入組文、七宝繋文などへと多様化していきます。多様化がきわまると、入組文は平行線化、省略化され、圧縮された入組文へと変化しました。
最終段階では、シンプルな入組文に落ち着きます。そして、次世代の文様である三叉文が生み出されるのです。
入組文は、次段階では、三叉文との融合が進み、複雑な形の磨消縄文で形作られていきます。また文様は多様化と省略化をくり返して行くのです。
文様は、まるで生物進化のようです。入組文は姿を消します。もとになる帯状の磨消縄文から波及していき、種類を増やし、残っていく文様、消える文様、そして、ついに入組文は消滅します。しかし、そのエッセンスは三叉文が表現しているのです。
三叉文ととけあう入組文
入組文は、消滅したかのように見えますが、そのエッセンスは三又になった文様の中にずっと引き継がれているのです。このようにして、縄文のセンスは残り続けていくのです。
参考・引用文献
高柳圭一 1988 「仙台湾周辺の縄文時代後期後葉から晩期初頭にかけての編 年動向」『古代』85号
小林圭一 1999 「東北地方 後期(瘤付土器)」『縄文時代』10号1冊分 縄文時代文化研究会
小林圭一 2008a 「瘤付土器」『総覧 縄文土器』
『総覧 縄文土器』刊行委員会
小林圭一 2008b 「縄文時代晩期初頭に関する一段層―山形県高瀬山遺跡出土
土器の検討を通して―」『先史考古学研究』第11号
阿佐ヶ谷先史学研究会