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【令和6年度 夏・秋の企画展】奥三面の瘤付土器~新潟県北部における縄文時代後期後半の土器に付いて~

はじめに

令和6年度 縄文の里・朝日 夏・秋の企画展「おく三面みおもて瘤付こぶつき土器~新潟県北部における縄文時代後期後半の土器について~」の図録です。

奥三面遺跡群おくみおもていせきぐん元屋敷もとやしき遺跡出土、縄文時代後期後半の深鉢ふかばちがた土器を中心に、新潟県新発田しばた中野なかの遺跡、新潟県上越じょうえつ籠峰かごみね遺跡、山形県小国おぐに下叶水しもかのうみず遺跡、山形県東根ひがしね蟹沢かにさわ遺跡の土器を一堂に展示した企画展です。

縄文時代後期後半に、東北地方に出現した瘤付土器こぶつきどきは、北海道、新潟にも波及はきゅうし、関東、北陸にも持ち込まれていました。
広範囲にわたる分布は、各地の土器との時間的、空間的なつながりを知るための手がかりとなっていました。

ここでは、縄文時代後期後半に登場した瘤付土器の共通性と奥三面の瘤付土器の独自性を紹介していきます。

瘤付土器とは

瘤付土器は、約3500年前、縄文時代後期後半の土器群の愛称ニックネームです。
土器研究では、その地域を代表する土器により「型式名」が設定されることが多いのです。しかし、なかなかに判別はんべつしがたい場合があることもあります。
例えば、火焔型土器かえんがたどきです。新潟県長岡ながおか馬高うまたか遺跡の火焔土器かえんどきと特徴を同じくする土器群として、火焔「」土器と呼ばれています。しかし、現在は研究が進み、馬高遺跡出土の土器群を代表とするということで「馬高式土器」としてもいますが、火焔型土器という呼び名が定着しています。

同じように、瘤付土器でも、東北地方を中心に北海道、新潟に分布し、北陸、関東でも出土する点や各地での独自の特徴がはっきりしない点、研究の際の仮名かめいが定着してしまったということから、瘤付土器と言う愛称あいしょうで呼ばれているのです。

瘤付土器の研究について

瘤付土器は、1930年、山内やまのうち清男すがお氏により「奥羽おうう亀ヶ岡かめがおか式と関東の安行あんぎょう式との共同の母体」ととらえられ、1962年には、後藤ごとう勝彦かつひこ氏により仙台湾せんだいわん松島湾まつしまわん周辺の資料から宮古みやこ編年へんねんが提示されました。
その後、安孫子あびこ昭二しょうじ氏により、広域に分布する瘤付土器を「コブ付土器様式」として、器形きけい文様帯構成もんようたいこうせい文様もんようの組合せから5系統、7段階の編年を提示し、このうちの第Ⅰ~Ⅳ段階が瘤付土器分類の基礎となっています(第1図)。

第1図 安孫子編年 安孫子昭二1969

ちなみに、第Ⅰ段階はくびれる器形で胴部どうぶくびれ上下が2つの文様帯、おおぶりの入組文いりくみもんが特徴です。
第Ⅱ段階はくびれない器形も登場し、胴上部の文様帯になり、文様は入組文、連弧文れんこもんとなります。
第Ⅲ段階では、くびれない器形で、文様帯がせまくなり、入組文や連弧文も横にのびるようになります。
第Ⅳ段階では、くびれるものは胴部上下2つの文様帯に2段の入組文があるものと、くびれがなく上部に1つの文様帯がさらに狭くなり、線のように細い入組文となるものになります。

その後、1988年に小林こばやし(旧姓:高柳たかやなぎ圭一けいいち氏により仙台湾周辺の瘤付土器が整理され、田柄たがら貝塚かいづかでの層位そうい的な出土状況しゅつどじょうきょうと合わせた編年が発表されました(第2図)。

第2図 小林編年(小林圭一1999)

層位をもとにした分類により、安孫子昭二氏の編年をさらにブラッシュアップした編年を示しました。現在でも小林氏の編年が瘤付土器の基準きじゅんとなっています。

ちなみに、第Ⅰ~Ⅱ段階は安孫子あびこ氏とあまり変わらないのですが、第Ⅲ段階において、入組文などに充填じゅうてんされる縄文のわりにおここぶきざれつが使用される点、文様の多段化ただんか線化せんかの指摘しました。第Ⅳ段階では、くびれた器形に文様帯が胴部2ヵ所になるものとなる点や三叉文さんさもんの登場、入組文が2段になる点、入組文への刻み列の充填といった点がげられます。
安孫子編年では差異さいの分かりづらかった第Ⅲ段階と第Ⅳ段階とがはっきりとした区別され、その後の段階である大洞おおほらB式への変遷へんせんも整理されました。

新潟県内の瘤付土器に付いて

新潟県内の瘤付土器は、1960年代の研究において、下越かえつ地域を「上山うえのやま式土器」、中越地域を「塔ヶ峰とうがみね式土器」、上越地域を「葎生もぐろ式式土器」という型式名けいしきめい設定せっていされましたが、追随ついずいする出土資料が少なかったこともあり、その型式学的特徴などが精査せいさされることがありませんでした。
葎生もぐろ式土器に付いては、中部高地ちゅうぶこうち系土器群が混在こんざいすることが指摘されましたが、それ以上の研究は進まない状況でした。

その後、1990年代後半から2000年代前半に北越ほくえつ考古学こうこがく研究会けんきゅうかいによる新発田しばた中野なかの遺跡の報告やおく三面みおもて遺跡群元屋敷もとやしき遺跡、上越じょうえつ籠峰かごみね遺跡といったまとまった資料が公表され、安孫子あびこ編年へんねん小林こばやし編年へんねんとの比較ひかく検討けんとうがなされました。

現在では、古澤ふるさわ妥史やすし氏による元屋敷もとやしき遺跡における検討けんとうにより「大波状だいはじょう口縁こうえん深鉢ふかばち」という新潟県北半を中心とした独自性の指摘してきされました(古澤ふるさわ2006・2009・2011)。また、第Ⅱ段階が卓越たくえつするのに、第Ⅲ段階が判然はんぜんとしない状況から『新潟県の考古学Ⅲ』の中では、後期後葉は、1~3の三期区分され、従来じゅうらいの瘤付土器第Ⅰ段階を後期後葉1期、第Ⅱ段階を2期、第Ⅲ~Ⅳ段階を3期としてまとめられています(古澤ふるさわ2019)。

瘤付土器のまとめ

  • 瘤付土器とは、愛称ニックネームです。

  • 安孫子昭二氏によりその特徴と広域分布が示されました。

  • 瘤付土器の特徴は、小林圭一氏によりブラッシュアップされ、現在も活用されています。

  • 新潟県では、石川いしかわ日出志ひでし氏、國島くにしまさとし氏、渡邊わたなべ裕之ひろゆき氏、滝沢たきざわ規朗のりあき氏、古澤ふるさわ妥史やすし氏により研究が進められていました。

  • 新潟県には、瘤付土器の中でも「大波状だいはじょう口縁こうえん深鉢ふかばち」という土器群が独自に発展しています。

瘤付土器の特徴

瘤付土器の簡単な特徴を挙げています。

  1. 胴部半ばにくびれる器形とくびれのない器形の2つがあります。

  2. 口縁部が波状になるものと平縁へいえん突起とっきがつくものの2つがあります。

  3. 口縁部こうえんぶ胴部上半どうぶじょうはん胴部下半どうぶかはんの3つの文様帯もんようたい(文様が描かれる場所)があります。

  4. 文様もんようは、入組文いりくみもん連弧文れんこもんからなります。

  5. 文様の起点きてん中間点ちゅうかんてん終点しゅうてんとなる位置に瘤状突起こぶじょうとっきとよばれる粘土粒ねんどつぶがつきます。

以下、奥三面の瘤付土器などにより1~5の特徴を例示します。

1のくびれる器形

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