令和5年度 春の企画展 縄文Magic
はじめに
縄文時代になると、あきらかに、生活に活用するとは考えられない道具が登場してきます。
このような道具は、いのりや病気平癒、豊穣などの願望に結び付いたものと推測されています。
ここでは、縄文人が、自分たちの力ではどうにもならないことの解決策として作り出した道具を、縄文人のMagicアイテムとして、縄文人の、どのような気持ちが込められたものだったのかということを探っていきます。
展示は、Ⅰ人の形にこめた思い、Ⅱ実用から非実用へ、Ⅲ縄文儀式への装い、Ⅳ儀式がおわったら、という4つの構成からなります。
縄文人が形にした願いとは、どんなものだったのか?その一端でも、縄文人が残したモノから探っていきます。
Ⅰ 人の形にこめた思い
道具を人に形にしたものや人体の一部を模したもの、人形の手足頭を省略したものなど、縄文人は、人をベースにした道具を、多数、残しています。
人をベースにした道具には、どのような思いがこめられていたのでしょうか。形やつくり、使用痕などの観点から、その思いに迫ります。
土 偶
土偶は、言わずと知れた縄文時代を代表するMagicアイテムです。
人の形、つまり頭、両腕、胴、両足を備えた土製品です。
目立つ特徴として、胴部に、乳房のような表現がある点、下腹部がふくらんでいる点、妊娠中に強調される正中線のような表現がある点から、土偶は、女性、しかも妊婦さんを表していると推測されます。
しかし、頭の形、顔面表現、体の表裏に施される文様をみると、単に「人」を表しているのか疑問が残るところもあります。
土偶は、縄文時代草創期後半から確認されており、縄文時代晩期末までの1万年以上もの間、縄文人の信仰を集めてきた呪術具です。
これだけ長期間、日本列島中に広がっていたため、その役割が、途中変化していたことは想像に難くありません。
しかし、実際にどのように変化したのかは、よく分かっていません。ただ、頭がない、手足がない、大きくなる、自立する、自立できない、文様の変化などといった手がかりから、土偶研究は、日夜、進められています。
新潟県北部の村上市内遺跡から出土した土偶は、縄文時代中期半ばから確認できました。
縄文時代中期中葉の土偶
カッパ形土偶
頭頂部が平坦である特徴から、妖怪の河童の皿の載った頭を連想させることからのネーミングです。
カッパ形土偶は、縄文縄文時代中期(約5000年前)から北陸、新潟、長野県北半を中心に分布する土偶です。
多くのカッパ形土偶は破壊されていることから、その全体が残るものは少なく、新潟県糸魚川市長者ヶ原遺跡で出土した、ほぼ完形のカッパ形土偶が有名です。
新潟県村上市からは、高平遺跡と春木山遺跡から、カッパ形土偶が出土しました。どちらも縄文時代中期中葉(約4500年前)を中心とした遺跡です。
カッパ形土偶の愛称のように、頭頂部が平らで、円形、楕円形に広がっていました。
平らな部分は、なにも文様が無いものと、センター分けの髪の毛を表現しているのか、葉っぱの葉脈を表現しているかのような特徴をもつものがあります。
また、顔面表現がなされないものと、横線や刺突により目口を表現したもの、粘土紐を丸めて目を表現したもの、眉鼻を粘土紐で表現したものがあります。
顔が命の土偶さんですが、カッパ形土偶は、あまり顔面表現にはこだわらないようです。
また、円板状に広がった頭部には、貫通孔があります。
対向するように2から3ヶ所の穴があることから、この穴に紐を通して、吊るして使ったと考えられます。
身体は、長者ヶ原遺跡の例などから勘案するに、腕を広げた、自立できるものだと推測されますが、村上市のカッパ形土偶は、壊されて、頭だけでの出土が多いです。
カッパ形土偶も、完形例からすると、この後に紹介するバンザイ土偶のようなフォルムと推測されますが、吊るすことを考えると自立する必要性はあまりないように考えます。
しかし、儀式において、棒の先端に結んだ紐につけられ、宙をまった後に、どこかに着地するというパフォーマンスを行っていたのなら、自立する必要もあるのかとは思います。
また、後述するバンザイ土偶は、自立し、据え置かれているためなのか、頭が上を見上げています。太陽や月、山などを見上げていたのでしょうか。
一方、カッパ形土偶は、紐で吊るされるためか、まっすぐ前を見すえています。顔がないものもあるくらいですし、頭頂部を見せたいのかと思わせるものも多いです。
頭頂部が凹んでいるものもあるので、その部分に何かを置いて、儀式参列の縄文人に配ったりしたのかもしれません。
すこし妄想が行きすぎました。
カッパ形土偶という愛称で、妖怪じみています。人の形を模していますが、あきらかに人とは別物であると思わせる風貌です。いや、貌さえ表現されていないものもあります。
縄文時代中期の広い範囲の人々が、なんらかの神話のようなものを共有していたことが、カッパ形土偶の存在から推測されます。縄文時代中期の縄文人には、カッパ形土偶をみると、自分たちの存在意義を思い起こされていたのかもしれません。
そして、人とは異なる、大いなる自然を形作ったのものが、カッパ形土偶だったのではないでしょうか。
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