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「地味すご下越の縄文」をよりよくたのしむために~その1~

はじめに

新潟県下越かえつ地域の6施設(新潟県埋蔵文化財まいぞうぶんかざいセンター、新潟市文化財センター、胎内たいない黒川くろかわ郷土文化きょうどぶんか伝習館でんしゅうかん阿賀野あがの市歴史民俗資料館、阿賀あが町郷土資料館、村上むらかみ市縄文の里・朝日)で共同開催している企画展「地味にすごい!下越の縄文時代」の魅力を紹介します。

以前も紹介したのですが、今回は、各施設の逸品いっぴんを中心に紹介します。逸品かどうかについては、個人の感想なので、ぜひとも、あなたの逸品を見つけに、夏休みですし、すずむこともできますし、歴史探訪れきしたんぼうに出かけませんか?


新潟県埋蔵文化財センター

新潟県埋蔵文化財センターの入口

新潟市秋葉区にある新潟県埋蔵文化財センターでの展示は、

下越の縄文時代を概説がいせつ的に説明してくれる展示になっています。

新潟県埋蔵文化財センターの逸品

ここでの逸品は、やはりヒスイ製の大珠たいしゅでしょう。

新潟県埋蔵文化財センターで展示されている阿賀町北野遺跡の大珠

大珠は、縄文時代中期中頃(約5000年前)から登場するペンダントトップになる装飾品そうしょくひんと考えられています。
長さが5㎝以上の玉類たまるいを、主に大珠たいしゅ呼称こしょうしています。阿賀町北野きたの遺跡からは、ヒスイ製2点、アルビタイト製1点、計3点、村上市長割ながわり遺跡からは長さ10㎝の蛇紋岩じゃもんがん製の大珠が出土しています。

大珠は、大きい宝石という魅力かがやきと、現地にない素材そざいで作られたものが遠くから運ばれてきているという事実があいまって、下越の縄文人のいとなみへと思いをはせる素敵すてきなアイテムなのです。

まだまだある逸品

新潟県埋蔵文化財センターに展示されているものには、まだまだ魅力みりょく的な縄文アイテムが展示されています。

村上市熊登くまと遺跡出土の岩版がんばんと動物形土製品どせいひん

縄文時代晩期ばんき(約3000年前)になると、縄文人の感性センスがいろいろなものに反映されるのです。

顔面表現がんめんひょうげんされているような岩版がんばん

村上市熊登くまと遺跡の岩版

石に文様を刻み込んだ道具で、お守りのようなものと考えられています。この岩版の真ん中には、顔面表現のように、横方向の刻みが3ヵ所に刻まれています。
縄文人の祈りをこめた道具です。

村上市熊登遺跡出土の動物形土製品

動物形土製品は、海獣かいじゅう、つまりオットセイやアシカ、または、水鳥みずどりを表しているのではないかと考えれています。
動物は、縄文人の命をつなぐ存在で、その感謝の形が、土製品として表わされているようです。
縄文人と自然との共存が示された土製品。素敵です。

彫刻ちょうこくされた木の棒

新発田市青田あおた遺跡出土のかざり把手とってつき木製品もくせいひん

縄文時代晩期末、新発田しばた青田あおた遺跡出土のかざり把手とってつき木製品もくせいひんも良いものです。スコップの把手とってのようなかざりがほどこされた木製のぼうです。
スコップのにしたのか?飾りのついたつえなのか?それとも?といった縄文人の生活を想像させる道具です。
縄文人の使った木製品は、長い年月で失われているものが大半で、出土すること自体がめずらしい出土品です。

なぞなぞ糸玉いとだま

新発田市青田あおた遺跡出土の糸玉いとだま

縄文時代晩期末、新発田しばた青田あおた遺跡出土の糸玉いとだま。赤いうるしでコーティングし、まとめて、しばったものです。

どんな意味があるのか、よく分からない道具です。漆でコーティングされていて、しばることができるんだという縄文人の漆に関する技術力におどろかされますし、糸を結ぶことに意味を見出しているという現代人にも通ずるような考えをしていることにも、ハッとさせられます。

新潟市文化財センター

新潟市文化財センターの外観

新潟市西区木場きばにある新潟市文化財センターの展示は、

新潟市を、新津にいつ丘陵きゅうりょう角田かくた山麓さんろく新潟にいがた砂丘さきゅうの3つのエリアに分けて、その特色を紹介してくれています。

新潟市文化財センターの逸品

ここでは、新津にいつ丘陵きゅうりょうで行われていた、縄文時代の天然アスファルト工房に残された出土品が良いものです。

新潟市文化財センターの天然アスファルトに関する展示

新潟市のたいら遺跡の状況から縄文時代中期(約5000年前)から天然アスファルトが使われていたことが分かっています。
また、大沢おおさわ谷内やち遺跡では、アスファルトを精製せいせい・加工した工房があったようで、土器内面に付着したり、土器外面にたれたあとがあったりします。

大沢おおさわ谷内やち遺跡出土のアスファルトが付着ふちゃくした出土品

まだまだある逸品

大沢おおさわ谷内やち遺跡へ各地から持ち込まれた出土品

新津にいつ丘陵きゅうりょう大沢おおさわ谷内やち遺跡からは、アスファルトだけでなく、新潟市各地から持ち込まれたと考えられる出土品があります。いろいろな場所から持ち込まれているようで、市場バザールのようになっていたのではないかと考えられます。

特筆とくひつすべきは、大沢おおさわ谷内やち遺跡付近では手に入らない、加工された木材をまきとして使っていたのです。大沢谷内遺跡での物々交換会は、何日かあって、集まってくる新潟市内の縄文人たちがワイワイしていたのかなと妄想もうそうさせます。

阿賀野市歴史民俗資料館

阿賀野市歴史民俗資料館の入口。小学校を利用して資料館にしてます。

阿賀野市にある阿賀野市歴史民俗資料館の展示は、

阿賀野市の縄文時代を「数」から紐解ひもとく展示となっています。縄文人が感じていた数を出土品を通して紹介しています。

阿賀野市歴史民俗資料館の逸品

ここでは、いろいろと数に関する展示が行われているのですが、なんといっても県内でナンバーワンの大きな顔の土偶どぐうたちが、良いものです。

石船戸いしふなと遺跡の遮光器しゃこうき土偶どぐう 大きいです。
土橋どばし遺跡のハート形土偶。顔の大きさ1位です。

どちらの土偶も精巧せいこうで、すばらしい土偶です。面構つらがまえがいい。
ずっと見てられます。

石船戸いしふなと遺跡の遮光器しゃこうき土偶どぐうの精巧さも、新潟県内ナンバーワンです。首周りの羊歯しだ状文じょうもん、後ろ頭にも施される文様。どれもこれも精巧です。

まだまだある逸品

ツベタ遺跡の深鉢。5本指のような文様があります。

ツベタ遺跡の深鉢の底部付近には、文様をかたどった「手」のような文様表現が施されています。

同じ時期に、長野県、山梨県に手を表している文様がありますが、5本指でなく、3本や4本指で、人間の手ではないようなのですが、ツベタ遺跡の深鉢は5本指です。
なにかをつかもうとしているかのようですし、土器を持ち上げているようでもあります。じっくりと見ると、手が何をしようとしているのか、分かるかもしれませんよ。

常設展示もいいものばかりです。
ツベタ遺跡のバンザイ土偶

常設展示ですが、ツベタ遺跡のバンザイ土偶もすごくいいです。ほぼほぼ完形です。バンザーイってしてます。深呼吸なのかも。空をあおいでいるのかも。という具合に、見ているだけで、楽しくなる土偶です。

土橋どばし遺跡出土の三十さんじゅう稲場いなば式土器の8字突起とっき

土橋どばし遺跡から出土した三十さんじゅう稲場いなば式土器についている8字状の突起とっき部分についての展示です。
土器文様の物語ストーリー共通性きょうつうせいを見つける視点してん、土器への理解を教えてくれるいい展示なんです。見に行ってね。

胎内市黒川郷土文化伝習館

胎内たいない市の黒川郷土文化伝習館の展示は、

胎内たいない市が扇状地せんじょうちであり、そのために、低湿地ていしっち湧水ゆうすい豊富ほうふである土地柄とちがらであることで、縄文時代が良好な状態で保存されていたことが展示に示されています。

ここでの写真は、令和4年6月26日まで会場だった伝習館でんしゅうかん隣接りんせつする胎内市たいないし美術館びじゅつかんの時のものです。

黒川郷土文化伝習館の逸品

うるし木製容器もくせいようきの展示
分谷地わけやちA遺跡のしゅうるし把手とってつき木製容器もくせいようき

分谷地わけやちA遺跡出土のしゅうるし把手とってつき木製容器もくせいようきです。複雑ふくざつな形状の把手とってや独特の形といった胎内たいない市の縄文人の技術力の高さを示す木製品です。
把手とってのところをよく見ましょう。

分谷地わけやちA遺跡出土のうるし把手とってつき木製容器もくせいようき

赤に対しての、黒です。やはり、把手とっての作りが複雑で、技術力の高さがうかがえます。
この木製容器の中からは、ニワトコ・サルナシ・ヤマグワなどいろいろな木の実が見つかりました。縄文エナジードリンクを作っていた事が分かりました。トチノミやクルミなども入っており、多くの木の実が使われていたことが分かりました。ヤマブドウだけじゃないんだなぁ。縄文ブレンドの果実酒かじつしゅだったのかなぁと思いをはせること、うけあいです。

まだまだある逸品

二軒茶屋にけんぢゃや遺跡出土の土鈴どれい

縄文時代前期(約6000年前)、二軒茶屋にけんぢゃや遺跡出土の土製のすずです。ふるとカラカラといいますが、中身は空でなく、15個以上の何かが入っているそうです。
日本最古の土鈴どれいは、どんな音色ねいろを聞かせてくれるのかな?

野地やち遺跡出土のカゴ

野地やち遺跡(約3500年前)出土のカゴ。編目あみめはもちろんみ方まで分かる逸品いっぴん。縄文人が植物をどのように利用していたのかがよく分かります。
土器、石器だけではない、縄文人のいとなみがありありと示されています。

阿賀町郷土資料館

阿賀町郷土資料館の入口
屋敷島やしきじま遺跡出土の土偶どぐうをモデルにしたオブジェ「ヤシキ島」が最&高です。

阿賀町郷土資料館の展示は、

火焔土器かえんどきはありますか?~阿賀あがのの「大木だいぎ」と越後えちごの「火焔かえん」~』と題して、阿賀町の縄文時代を縄文時代中期中葉(約5000年前)を中心に紹介してくれています。

火焔土器はあるのか?おい、どっちな~んだい?
気になる方は、早速さっそく、阿賀町へHere we goヒヤウィゴーです。

阿賀町郷土資料館の逸品

阿賀町のいろいろと混ざった土器

違和感いわかん。。。でも、親近感しんきんかん。。。

そんなことを縄文時代中期中葉の縄文人たちに感じさせてたであろう土器たちです。

阿賀あが町は、新潟最東部地域で、福島県会津あいづ地域と接しており、土器の特徴は東北南部的となっています。
この地域を、北陸ほくりく信濃川しなの流域、阿賀野あがのがわ下流域かりゅういきなどのいろいろな地域の人々がおとずれていたようで、土器文様に各地の特徴が交じり合った土器、いわゆる折衷せっちゅう土器が残されていました。

土器の文様もんよう施文せもん方法、構図こうず、施文工具など異なる要素が阿賀町の土器に集まっています。親密な関係であったことが想像されます。

屋敷島やしきじま遺跡出土の折衷せっちゅう土器。迫力あって、独特で、いい土器です。

まだまだある逸品

五十島いがしま遺跡の顔が二つある岩偶がんぐう
入口のオブジェの本物、屋敷島やしきじま遺跡出土の土偶。凛々りりしいお顔立ちです。
キンカすぎ遺跡の巨大板状土偶。でかいし、重い。
写真、反射で。。。実際に見に行ってください。

阿賀町の土偶は、独特です。同時期の土偶は、顔面表現があまり上手くありませんが、阿賀町の縄文人の表現力はすごいです。

土偶もいいけど、はら遺跡出土のくつ形土製品がたどせいひんもね。

全国でも類例るいれいの少ないくつがた土製品どせいひん。形から左足のものかも。雪深いからブーツみたいなのを毛皮とかで作っていたのかと想像させる逸品です。

縄文の里・朝日

縄文の里・朝日の外観

村上市縄文の里・朝日の展示は、

村上市の縄文時代を、土器の変遷へんせん、石器、呪術具じゅじゅつぐ、アクセサリーから村上市の縄文人の生活を紹介しています。

縄文の里・朝日の逸品

高平たかだいら遺跡の台付深鉢形土器

縄文時代中期中葉(約5000年前)の台付だいつき深鉢ふかばち。いわゆる折衷せっちゅう土器です。
口縁部こうえんぶ突起とっきは、火焔かえん型土器の仲間の王冠おうかん型土器、胴部半ばからななめにのびる文様構図は、北陸の土器の特徴。突起上端の文様や胴部半ばに渦巻うずまきがある文様構図は東北の土器的です。

村上市もいろいろな地域の人達と親密な交流が行われていたことが分かります。

春木山はるきやま遺跡の土器の中空突起ちゅうくうとっき部分(3つとも同一個体どういつこたいのものです)

縄文時代中期中葉の春木山はるきやま遺跡出土の中空突起ちゅうくうとっき。この3つは、袋状土坑ふくろじょうどこうという貯蔵穴ちょぞうけつ内に入れられていました。中空突起部分だけです。
大きな土器のはずですが、土器自体はどこに行ったのか?なぜ袋状土坑に入れたのか?突起部分に意味があるのか?縄文ミステリーが始まります。

元屋敷もとやしき遺跡の石棒せきぼう

奥三面遺跡群おくみおもていせきぐん元屋敷もとやしき遺跡出土の石棒せきぼうです。先端一部が割れていますが、ほぼ完形です。

このての石棒せきぼうは、持ったら、まわしたい欲望よくぼうと、壊しちゃうという弱気とえらくなったような高揚感こうようかんがないまぜになります。
縄文人もこんな気持ちだったのかなと、はんなりします。

まだまだ各会場に逸品、あります。

6会場の逸品を紹介してきましたが、まだまだ逸品はありますし、あなたの気になる縄文アイテムを見つけに行きましょう。
そのためにも各会場の様子を下見がてら、下記の記事も見てみてね。

ぜひ、この夏は、あなたの縄文ライフをエンジョイさせに、新潟県の下越地域に来てくださ~い。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

みなさん、好奇心こうきしんと共にあらんことを。。。

サポートなんて滅相もないです。 みなさんのお目汚しもいいとこですし、 いいんです、いいんです。 あなたの人生に少しふれられただけで、充分なんです。