元屋敷遺跡のお墓 ~埋設土器~
死ということを文化にしているのは、地球では人類だけです。
縄文人も死に対して特別な行いをしていたことが分かっています。それは、特別な場所をつくったり、墓地を定めたりといったことから推測されています。
死に対する特別な行いとして、縄文人はお墓を作りました。
縄文時代のお墓は、土坑墓という遺体を埋葬するための穴が主になります。しかし、縄文時代も後半になると文化が熟成し、埋葬の仕方も多様になります。
ここでは、縄文時代後期(約4000年前)~晩期(約3000年前)の遺跡である奥三面遺跡群元屋敷遺跡から検出されたお墓である埋設土器について紹介していきます。
埋設土器とは
埋設土器とは、屋外に土器を埋めておいたものです。
元屋敷遺跡埋設土器の出土状況
おもに深鉢形土器が埋められていました。
最近の発掘では、福島県川俣町前田遺跡44号土器埋設遺構から幼児の頭骨が検出されました。元屋敷遺跡の埋設土器も同じように幼児の棺として子供を土器の中に納めていたと考えられています。
埋設土器の特徴
元屋敷遺跡の埋設土器は出土状況から埋設態位、欠損状態、付随物、埋設方法といった観点から分類しました。
埋設土器分類模式図(元屋敷遺跡Ⅱ報告書から)
元屋敷遺跡からは、埋設土器が206基も検出されています。
上記の出土状況の特徴から
1. 深鉢形土器が最も多く90%以上を占める。
2. 埋設態位はA:正位がほとんど。B:逆位は1割以下。
3. 欠損なしで埋設されるものが70%。胴下半を欠損するものも24%ほどある。
4. 付随物は、a:伴わないものが50%ほど、c:石が伴うもの36%となっている。大型の平らな石を蓋石とする例がある。
5.単独で埋設されるものが約90%である。その中で3割は近接して埋設されていた。特定の場所に埋設される傾向がある。
以上の点がわかりました。
つまり。。。
埋設土器は、
普段使いの深鉢を、
決まった場所に、
土器の口を上に向けて、
場合により平たい石を土器の蓋にして、
穴の中に埋めている。
ということです。
埋設土器は、棺にするためだけに作られたものではありません。普段から鍋として使っていた深鉢を埋めました。深鉢にオコゲやススがついていることから日常的な煮炊きの道具であることが分かります。
また、子供は子供のお墓の場所、大人は大人のお墓の場所というように埋葬の仕方、場所が大人と子供では違いました。
隣接する埋設土器(元屋敷遺跡報告書から)
平らな石を蓋にしていた例がありました。丁寧な埋葬だと感じさせます。子を想う親心は、縄文時代から変わらないようです。
おわりに
人間は、腕力、爪、牙、素早さといった身体的な攻撃能力は低いのですが、群れでくらし、道具をつくり、集団で狩りをするといった社会性の高い生き物です。縄文時代は、ひとりでは生きていくことが難しい時代でした。だからこそ、人と協力することで生きていたのでしょう。それは、子供であっても大切な仲間であったことが考えられます。
なかなか子供が大切にされていたことは証明しにくいのですが、埋設土器という子供のためのお墓があったということは、子供を縄文社会の一員として認めていた証であると考えられています。
それでは、なぜ子供の棺に土器が使われていたのでしょうか。それも日常的に使っている深鉢を。
おそらくは、
深鉢形土器は煮炊きする道具であり、命をつなぐ、命をはぐくむ道具です。
そして、子供も女性のおなかの中で命をさずかり、命をはぐくんで、生まれ出てきます。
つまりは、
命をはぐくむ器に納めて、また、母体に帰ってきてくれることを祈っていたのではないかと想像します。
縄文時代は、子供のお墓や食料事情・医療状況・民俗例・民族例といったことから0歳までで亡くなっている子供が全体の1/3ほどであったのではと推測されています。
縄文人は、子供が亡くなったことを悼む気持ちに対して、埋設土器を使った子供のお墓という形で表現していたのでしょう。
元屋敷遺跡埋設土器スナップ
某街紹介TV番組のようにすいすいスクロールしてお楽しみください。
深鉢 縄文時代後期後葉(約3,500年)
深鉢 縄文時代後期後葉(約3500年前)
深鉢 縄文時代後期後葉(約3500年前)
深鉢 縄文時代後期(約4000年前)
深鉢 縄文時代後期後葉(約3500年前)
深鉢 縄文時代後期(約4000年前)
深鉢 縄文時代晩期(約3000年前)
深鉢 縄文時代後期(約4000年前)
深鉢 縄文時代後期(約4000年前)
深鉢 縄文時代後期後葉(約3500年前)
深鉢 縄文時代後期(約4000年前)
深鉢 縄文時代晩期(約3000年前)
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