令和五年春企画展「縄文Magic」とは
令和5年4月15日より開催し、6月25日で終了した、縄文の里・朝日の春の企画展「縄文Magic」の概要を振り返ります。
縄文Magic
まず縄文Magicというタイトルにしたのかということですが、
漢字だと、呪術具とか、儀礼の道具とか、祭祀具とか
普段つかわないような漢字がならぶので、とっつきにくかと考えました。
また、Magicの印象には、エンターテインメント性も想起させ、なおかつ、魔法のような超自然へのアプローチ的なイメージも抱いていただけるかということで、タイトルを縄文Magicとしました。
今回のタイトルに対して、みなさんの受けた印象はいかがでしたでしょうか。
縄文Magicとは
縄文時代の普段の生活に直結しているとは考えにく道具を紹介する展示でした。
土偶とか、石棒とか、ヒスイのネックレスとか、縄文人は、弓矢や土器、磨製石斧などの普段使いの道具とは違った道具を持っていました。
現代人も同じようにお金やスマホとかだけでなく、お守りや数珠、ウエディングドレスなどの非日常の装備がありますよね。
縄文Magicでは、縄文人の日常的ではない行動を示唆する道具を紹介したのです。
この企画展のテーマには、「縄文を見つめるものは、また、縄文からも見つめられている」ということを、展示した縄文の道具を通じて感じていただきたいとして、掲げています。
縄文を見つめるものは、また、縄文からも見つめられている
縄文時代の呪術具は、人体を模したものが多いです。
視・聴・嗅・味・触の五感を通じて、体感している肉体は、内なる自分と外の世界をつなぎ、広げる大切な機能です。
世界がひろがると、植物、動物、魚と自分たち人間との違いが浮き彫りになり、人間そのものの特殊性を表現し、共有する道具が作られたのではないでしょうか。
それが、土偶や石棒、人面付岩版などの道具です。
これら人体を模した道具は、縄文人が人間というものを見つめ、表現し、他の縄文人に伝わる物語として共感性の高いものだったのでしょう。
そして、数千年経った、現在の人間が、縄文のMagicアイテムを見ても、人間を模していると感じられる道具です。
我々、現代人は、縄文の不思議道具をただ眺めているようで、縄文の研ぎ澄まされた感性を注ぎ込まれているのです。
縄文をのぞくものは、また縄文からものぞかれているのです。
数千年経ても変わりない感覚を共有しているのです。
縄文人の権威とは
縄文の道具には、権威を象徴したのではないかと考えられる道具があります。
蛇紋岩製の大形磨製石斧や環状石斧、独鈷状石器などは、実用的な刃を研ぎだしておらず、使えない道具でした。
このような使用していない、できない道具は、その道具で行う活動がグループの中で非常に価値のある活動であり、そのグループの尊厳のようなものを表す道具であったことが推測されます。
このような権威を象徴する道具を「威信材」と呼びます。
威信材は、階層社会の出現と結び付けられることが多いです。リーダーの存在、地位の存在をほのめかしているからです。
原始共産制的な社会であったように表現される縄文時代ですが、
1万年におよぶ期間、日本列島という縦長の島国という環境の中、縄文人は、様々な地域に適応した生活様式と海や山のルートによる広範にわたる他地域との交流を行っていたのです。
人間は、弱い生き物であり、それを克服するために、集まり、情報を共有し、協力して生きてきました。
これは、脳が常に不安という感情を作り出し、生きのこるのに必要な行動をとらせることからだったと考えられています。
不安によるストレスは耐え難いものであり、その緩和のためにも、安心させる存在が必要であったことでしょう。
縄文人は、土偶や石棒などをつかう祭祀を行うことで不安を払拭し、安心を得るための分かりやすい存在として環状石斧や独鈷状石器といった威信材を掲げる人物が必要だったのです。
威信材と考えられる道具の多くが、役目がおわった後、決まった場所に廃棄されることから代々継承される階層のようなものではなく、
その時々に選ばれた人、
例えば、トチノミ採取チャンピオンやカエル捕獲チャンピオン、初めて子供ができた人などなど
縁起のいい人のような感じの人々が選出されて、儀式のとりしきる人が決められたいたのではないかと推測されます。
現代でも、婿なげ(新潟県十日町市松之山の奇祭です)や厄年の人が豆まきするなんてことがありますよね。
儀式には正装があった
縄文人は、アクセサリーを身に着けていたことが分かっています。
ヒスイ製のビーズや土製の耳飾り、漆製の竪櫛などが出土するからです。
このような装飾品は、日常的に身に着けていたということではなく、儀式や祭礼が行われる時に身に着けていたと推測されます。
このような装飾品を所持し、身に着けられるということが儀礼参加資格であったのかもしれません。
竪櫛や玉類はお墓から出土します。
このことから、装飾品は、家族などに譲られ、伝世するものでなく、
個々の縄文人が、身に着けるに相応しい資格を有していたということが分かります。
つまり、
熊の獲得チャンピオンであった人、他地域から迎えられたパートナー、遠くの地域へ旅した人などなど
お墓以外からも出土する耳飾りは、耳たぶに穴をあける行為は、痛みを伴うので、通過儀礼として誰もが行っていたことが想定されることから、その人に属する装飾品として、お墓に一緒に埋められることはなかったのでしょう。
儀式の後は宴会
縄文時代後期から縄文magicアイテムが増えていきます。そして、注口土器、台付鉢、浅鉢といった宴会で饗する器が多くなります。
宴会のための器が縄文時代後期から増えてきます。
縄文Magicアイテムもこの時期からいろいろなバリエーションを見せてきます。
儀式して、宴会して、みんなのチームワークを強めたようです。
遺跡の中で儀式を感じさせる出土の仕方
縄文時代の遺構の中から検出された状況が、儀式をした後を示していることがあります。
これら儀式の痕跡は、縄文人たちが力を合わせてつくった施設を終わらせる時に、儀式をして、これまでの感謝を込めて、お供えをして送ったことが推測されます。
縄文人も自分たちが協力して作った施設に愛着があり、縄文人同士の共同作業でのつながりを確認する意味でも、きちんとした手続きにより廃棄したのではないかということが発掘状況から見えてきます。
縄文Magicを終えて
改めて縄文人の活動は、多岐にわたり、Magicアイテムを用いて行う儀式も複雑な意識から行われていたのではないかと推測されます。
ひとつのMagicアイテムでひとつの儀式を行うのではなく、ひとつで複数の役割があったり、たくさんのMagicアイテムを組み合わせて使ったりしていたことが考えられます。
現代でも、
お地蔵様に、幸せや長生き、病気平癒とたくさんの願い事をしたり、
結婚披露宴で、衣装替えしたり、ケーキ入刀(そしてファーストバイト)、キャンドルサービスなどの催しを行ったり
しますよね。
縄文人も、現代の我々と変りなく、不安になり、悩み、それをみんなで解決するするために、縄文Magicを行っていたのです。
今回の企画展で紹介した縄文Magicアイテムは、縄文人の不安をはらうと同時に、我々、現代人の不安にも効くはずの道具なのです。
なぜなら、縄文人も現代人も不安の根は同じだから。。。
しかし、使い方を忘れてしまった現代人に、縄文Magicアイテムは、今は静かに佇んでいるだけです。
縄文時代研究は、日進月歩で進んでいます。いつか本当の使い方をした縄文Magicが開催され、みなさんに届く日がくるのかもしれません。
最後に、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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みなさんの縄文ライフが実りあるものであらんこと。
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