しぶとく生きるJAMのお話。
まずはじめに。
私は文章を書くのが特段上手いわけでもなければ得意なわけでもありません。
そんなわけで私のnoteは読みづらいと思いますが…
ぜひ読んでもらえると嬉しいです。
さて。
私が沼に落ちるきっかけになったのはこれ!と言った物が実はありません。友達が推してて、ふと気になったから。教えてもらって見てみたらハマった、というただそれだけ。典型的な沼落ちです。
なので、
私が今現在に至るまでの経緯を書こうと思います。
私史上プチバズってるツイートよかったら見てください↓↓↓
https://twitter.com/jouku_prince/status/1842434836121993308?s=46&t=kBDwZ49wFIURtBwEx7fyfg
2023年冬。
長年付き合いのある汐恩くん推しの友達にJO1について色々教えてもらい、まずはじめに動画を見ることから始まりました。
感想:JO1は日本人。関西人がいっぱい。
韓国人かと思ってましたごめんなさい。しかも東京都出身1人だけ?11人もいて?ほとんど西?まあ言うてキラキラKPOPアイドルやし、体張ることなんて
……。いや、まさか。
息ができなくなるほど笑った「枕投げ部」。『JO1ってこんな体張るん!?』と衝撃を受けた「と部」。
めちゃくちゃおもろいやん。
ちょうどトロナイ気が始まる直前のことでした。
そして、ひとつ困ったことが発生。
川西拓実と河野純喜の顔の区別がつかん
どっちがどっちや。今喋ってんのが川西か…?いや…顔一緒やんけ…
これが始まりです。
ね?先行き不安でしょ?
どっちが川西拓実でどっちが河野純喜か気になった私は(大嘘)ついにトロナイのCDを購入。新年度、私はJO1の沼に半分足を突っ込みました。
そして、当選したら推しに会えるイベントがあることに驚いた私は試しにヨントンに応募。元々別界隈にいた私は、自分の推しとマンツーマンで対面して話ができるなんて夢のまた夢と思っていました。し、応募してもまあそんな、
当たるなんてことあるかいな!!!!めっちゃファン多いし!!!!
と思ってました。
が、
おかあさーん!!!!見てますか!!!!
あなたの娘は推しに魂を売ろうとしていましたよ!!!
ここから私のJAM生活がスタートするのです。
ね?楽しんでるでしょう。
めちゃくちゃ楽しいんですよ、本当に。
今まで別界隈では感じることのなかった、できなかった経験を大の大人が。はしゃいでいるんです。
こちらは人生で初めて推しを自引きしたあとの新幹線。それはそれもう、おおはしゃぎです。寝れませんでした。
そしてこの後、(いつなのかド忘れしましたが)私は今現在のアカウント『お嬢』を立ち上げました✌︎('ω')✌︎
さて、皆様お気づきかと思いますがノーコメントでお願いしますね(福岡の現場で瑠姫に推し変したなんてこと気づいてはいけません。そう、絶対に)。
と、いうことは
おかあさーん!!!!やったよ!!!!
もう一度言います。別界隈にいたら絶対に経験することのない、
『マンツーマンで推しと話せて、おしの目に自分が映るイベント』
が大発生してしまうのです。
そしてちょうどこの頃、私はめでたく年会員へとグレードアップしました✌︎('ω')✌︎
京セラ初日に参戦することも決まっていて、12月には対面イベントも決定。間違いなく楽しい未来が自分には待っている、仕事も頑張ろう、嫌な出張も乗り越えられる。この時の私はまだ、そう思っていました。
私は元々音楽関係のお仕事をしていたのですが、ある日ポキっと心が折れてしまうことがありました。本人にとっては、何気ない一言だったと思います。それは、私にとって「あなたはいらない」と言われたも同然の一言でした。それも当然、私は本来「いらない」と言われた職業を買われて働いていたのでね。(結構マイナーな職種なので身バレ防止のためここではあえて伏せておきます)
ここから2ヶ月休職をしたのち退職ことになるのですが、この
たった2ヶ月
が、
ほんっっとうに長くて苦しくて辛かった。
2度目の休職届と診断書を提出しに行った時のことでした。
密室に閉じ込められ、パワハラとも取れる上司から浴びせられる発言、常識はずれな行動。助けてくれる人なんてもちろんいない。
今思い返したらめちゃくちゃ怖いんですけど、この時私は自分の周りに味方がいないと絶望を感じて自分の道を自ら閉ざそうしてたんです。生きること諦めてました。結構ガチで。
ちなみに私車、運転できるんですけど。
車持ってたんで、それに乗ったらどこに向かうかも分からなかったですし、そもそも向かう前に事故起こしていたかもしれないですしね。
体重7キロぐらい落ちましたしね。
人間って「生きていたくない」と思ったら最後だな、とこの時思いました。
が、しかし。
この時ふと思い出したんですよ、
『白岩瑠姫とのマンツーマン』
を。
生きなければ…!!!!!!!!!(ちょろい)
その日のうちに私は大阪に逃げました。次の日ガチで前勤めていた上司が迎えにくる予定だったんで。
逃げないと私こりゃあぶねえぞってことで。
〜大阪に飛んだお嬢が生きるためにやったこと〜
現実逃避!!!!!!!
シノビー…可愛かったなあ…
京セラ…めちゃくちゃ泣いたな…
(Voice〜Prologueのセトリ大正解 大号泣した)
↑共感してくれる人いる?居たらかたまろう
京セラでなんだか背中を押してもらった気がしましたね
そしてこの頃から私は大阪に居候していたのですが、一人暮らしをしていた家の水道代があまりにも安すぎて担当の人から
「水道代が安すぎるよ!なんかあったの?大丈夫?なんかあったら電話しな?(バカデカ意訳)」
とメッセージつきで水道料金の紙が入ってるしガスは止まるし。
すみません脱線しました。
本題のオフラインですが、何話すか前日まで全く決まっておりませんでした。ちょっと前までは私も友達に向かってあぐらかいて「まあまあ私はまだ2ヶ月も後だし〜?(ハナホジ)」って話してたのに ごめんな…舐めてたぜ…あれ、いまだに慣れねえよな…
当日、自分の順番がきて瑠姫くんを目の前にした瞬間 今まで泣くらしくて辛くて死にそうになっていた時の感情が一瞬で甦ってきて泣きそうになりましたが、グッッッッッと堪えました。
なぜなら瑠姫くんが
こんな顔をしていたので。
(アッあかん…泣くな…)
困らせてごめんやで。でももう大丈夫。
「生きることを諦めようとしてたけど、今日瑠姫くんに会えて生きるのを諦めなくてよかったと思えたよ」
“ほんとぉ…?よかったあ…ありがとうね、”
と共に、読んでくれた私の名前。
あー、生きててよかった。
今まで「生きててよかったー!」って言うこと多分いっぱいあったと思うんですけど、この日初めて心の底から思いました。
この日一緒に居てくれたスJAMのお姉さん、その繋がりで仲良くなって定期的に会ってくれるしょせJAMのお姉さん。めちゃくちゃ感謝してます。
その2週間後、私は退職届を提出。
辞める時も荷物引き上げる時もなんか色々言われましたが、
㊗️ニート㊗️
ではなく。私はその2週間後からまた働き始めました( ✌︎'ω')✌︎
居候の身で金を入れなければならないのでね。
ちなみにこのオフラインの後、ちゃっかりこんなところに行きました
\INI RTP in 広島/
あのオフラインには実は続きがありました。
「あの、今日のベストアーティスト…!」
“あ、ありがとう!!!”
「いや、見れないんです!!」
“え?????”
ですよね。
瑠姫くん、困らせてごめんなさい。私はあなたに会った数時間後別の王子を拝みに広島に飛びました。
楽しかったです。
そして現在、私は引き続き大阪で元気に働いています。自分が描いていた未来でもないし自分がずっとやりたかった職業でもないですけど、今普通に楽しく働けています。
お嬢、元気です。
『“JO1の存在が、生きることを諦めないでいられる人の支えになる”ということを、私がまだ「生きていたい」と思えるうちに書き残したい』
またやりたい仕事が見つかって働けるようになるまで、どうか皆さん暖かく見守っていてください。
いつかはまた音楽関係の仕事に戻りたいなーとは思ってるけど、今はとりあえず一旦休憩。
また音楽やりたくなったらいつでもできるもんね。
私はJO1のおかげで、まだ生きていたい と思えるようになったから、もう少ししぶとく生きてみようと思います。
生きているうちは、推しに会えるチャンスをじぶんのものにすることができるから。
私には、みんなが書いている沼落ちのブログみたいに綺麗で読みやすい文章を書く能力もなければ、面白く書ける能力もありません。「これで落ちました!」みたいなこともありません。
が、一度人生を諦めようとしたあの日からもうすぐ1年経ついうこともあり、今回綴らせていただきました。
ここまで読んでくださった方々全ての方に感謝。
ありがとうございますʕ∙ჲ∙ʔ
サ!noteを書くのはこれが最初で最後!
国語力のない私はこれが限界!
また会う日まで!
2024.10.6 お嬢