ツイートに収まらなさそうなボヤキ。
アンチが湧けばそれだけ、注目されている証拠。
なんて言葉をよく聞く。
それなら、アンチ出てこいよ、おらっ!って思ってた。
ファンはいてもアンチがいない。
全然、いい事だし、それで悩む方がアホらしい。
まぁ、でも自分で自分の事アホだと思ってる節もある。
少し、今述べたことについて考える機会をいただいた。
屋台の仕事で、イベントの告知しようと思って「僕ミュージシャンやってて、、、」と話しだすと、「知ってます」と言われた。
「テレビに出てたのも知ってます(7年前)」と去りながら言われた。
余裕が無かったので聞き取れなかっただけかも知れないし、
その人に悪意はないとも思うのだけれど。
普段そー言う会話があると建前でも「応援してます」とか言われるもんだけども無かった気がするんだよな。笑
あったのなら、気持ちとしてちゃんと受け取れなかったのは本当申し訳ないとは思うけど。
で、そこで思ったのは
あ、俺のアンチは確実にいるんだ。と。
見えてないだけで。
と。
再度言うが先に触れた人がそうだと言ってるわけではない。
SNSとかYouTubeではアンチがコメントしてるのをよく見かけて勘違いしていた。
あーゆーコメントするやつはバカな人が多いと思う。
でも、賢いアンチだって沢山いるのだ。
そう言う人間が取る賢い行動とは何か。
「無関心」である。
そう思うと、結局アンチコメントがついたりするのは本当に尊いことだよな、なんて変なルートから言葉の真意に辿り着いてしまった。
それが憎しみだったりしたとしても、人の注目を集める事が出来るのは凄い事だと思う。
俺に足りないものはなんなのか。
足りてるものはなんなのか。
あなたに足りてるものはなんなのか。
足りないものはなんなのか。
「足るを知る」
追い求める事が美徳の人間にとって果たしてそれが正解なのか。
わからない事だらけだ。
走る。