【ミッドサマー・ナイツ・ワンダラー】
ホローポイントは酷く酔っていた。"仕事"を終えた彼は帰りが一日遅れるとソウカイネットに通信し、宿にチェックインし、オンセンに浸かりオイランを抱いた。ニューロンの奇妙なる同居者に見せつけるように。そして気の晴れない彼はオンセン・バーに赴きスシとサケを浴びるように摂取した。
「ひどい顔ね、ちょっと飲み過ぎじゃなくって?」まとわりつく幻影がくすくすと笑いかける。ディアボリカ、ホローポイントのニューロンの虚像。ホローポイントはテーブルに備え付けてあったダーツを手に取るとディアボリカの眉間めがけ投擲した。
「まあ」ブルズアイ!ダーツマシーンが発光鳴音しディアボリカは平気な顔で拍手する。所詮は虚像、彼女はダーツなどでは死なないし消えない。赤い肌に紫のナイトドレスが映える。彼女はホローポイントのグラスを奪うと軽く呷った。「チッ」ホローポイントはそれ以上取り合わずナッツを口いっぱいに放り込んだ。
オンセン・バーには数人の客。皆めいめいにサケを飲み、スシを食べ、親子がアシユを楽しんでいた。ホローポイントは次のサケを頼もうと顔を上げた。「あぁ……?」その時ようやくホローポイントは奇妙な事態に気がついた。少し前から彼女……ディアボリカはそうしていたが、ホローポイントはその奇妙さに気がついていなかった。
「うふふ、貴方面白いのね」「いやあ、こんなにも綺麗なレディの前で舞い上がっているのですよ」ディアボリカと……客の1人が"談笑"していた。「あぁ……?」ホローポイントは訝しんだ。何かがおかしい……「こんなにも素敵な夜だというのに、俺は贈り物の1つも持っていない!」
男は大げさに肩を落とす。「まあ、どんな贈り物をくれるつもりだったの?」「貴女が望むのならば、あの空に輝く南十字星をプレゼントしたっていい」「星を?」「信じていませんね?ここだけの話、俺は火星の地底世界も探検した事のある……」
「おい、ちょっと待て」ディアボリカと男が会話を止め振り返る。男はスーツ姿であり、顔には埋め込み式のサイバーサングラス。ホローポイントは当初、照明に照らされているのかと錯覚していたが……それは間違いだった。男の肌の色はピンク色であった。「ちょっと、待て」ホローポイントは再び言った。
「なあに?妬いちゃった?」ディアボリカを無視しホローポイントはピンク肌の男を睨みつけた。「お前、何が見えてる」「何がって……この美しい赤肌のレディが見えないのか?」ピンク肌の男は困惑の表情を浮かべる。ホローポイントはしばし沈思黙考し、ダーツの矢を掴むとニンジャの速度で男の眉間めがけ投擲した。
「うおっ!なにをする!」男は……ダーツの矢を二本の指で挟み、止めた。間違いなく、指で挟み、止めた。幻影などではない。「ドーモ、ホローポイントです。お前……何者だ」ピンク肌の男はダーツの矢を後ろに放り投げた「お前……ニンジャか……」ブルズアイ!男のピンク色の肌がダーツマシーンの光に照らされる。
男の周囲に01の風が吹いた。「ドーモ、ホローポイント=サン。ザ・ヴァーティゴです」ピンク肌のニンジャ……ザ・ヴァーティゴの姿に一瞬、奇妙なピンクと銀のニンジャ装束のヴィジョンが重なり消えた。「あー、なんだ?このレディはアンタのベイヴだったわけか?そりゃ悪かったな」「ふざけるな、俺はそんな事を聞いているんじゃない」
「オイオイオイ、俺は何もアンタとイクサをしようだなんて思っちゃないさ、ちょっとした事故だよ、悪かったって!」ザ・ヴァーティゴは両手を顔の前で振る。ディアボリカは机の上にしなだれるように腰掛けニヤニヤ見ているだけだ。
「この女は俺の妄想だ、なんで他人のテメェが見えてやがる」「は?アンタ、なにを……」ホローポイントは答えず再びダーツの矢をディアボリカの眉間目掛け投擲した。「イヤーッ!」「おっおい!なに考えてる!」すかさずダーツの矢をザ・ヴァーティゴが掴み、捨てた。ブルズアイ!ダーツマシーンが明滅する。
「うふふ、護ってくれてありがとう、私のナイト」ディアボリカはよよとザ・ヴァーティゴにしなだれかかり……「おっおいおいよせよ……へっ?」ザ・ヴァーティゴは自分の体をすり抜けるディアボリカの腕を見た。「オイオイ……なんじゃこりゃ?」「そいつは俺の頭の中だけの幻覚、ユーレイ」ホローポイントが忌々しげに吐き捨てた。
「俺の気の迷い、妄想……その筈だった」ディアボリカがニヤニヤしながら椅子に座った。「いても居なくても変わらないただの飛蚊症めいた俺にしか見えないの目のゴミ……そう折り合いをつけたところだ」ホローポイントはグラスを呷る。「それを……自分の妄想に話しかけてけるテメェは一体なんなんだ」
「アー……なんだ……その」ザ・ヴァーティゴは頭をかきながら言葉を探していた。「アー、ワカル。よく分かるぜその気持ち。自分が自分で無くなるというか?どこまでが自分であるか?って哲学か?考え込んじまうよな、俺もよくある」言いながら椅子にどっかりと座り込む。
「俺も似たようなもんでな、あまり自分の意思で行きたい次元に行けるわけじゃない……あ、俺は次元旅行者なんだけどさ、行った先で自分が分からなくなってうどん屋台の主人と思い込んだり、喋る犬と暮らしていると思い込んだり……」「つまり、テメェは俺の新しい妄想か?」
「オイオイ早まるな、よく見ろ肉体がある。つまりだな、俺は元々コトダマ……アー……あっちの世界に近い存在で、んで今はこんなご時世だ」ザ・ヴァーティゴはよく分からない身振り手振りを交えながら話す。「このイカすねーちゃんはアンタのニューロンの中にこびりついた残響みたいなもんか?普段はアンタにしか見えなくても確かに存在はしている。で、俺とは波長が合うか何かで、見える。これならどうだ?」
「より悪い」「ナンデ」「こいつが妄想ではなく実在すると認めろと?ブルシットだ」「悪くないぜ!原因があって結果がある、インガがあってオホーがある。全部がアンタの妄想よりも、よほどいいじゃないか」ホローポイントはかぶりを振る。「それで?実在するユーレイに四六時中付きまとわれるのはいい事か?もう狂ってるか、これから狂っちまうかの違いしかねェ」
「アー……そりゃ……まぁな」ザ・ヴァーティゴは肩を落とした。ディアボリカは変わらずニヤニヤと2人のやりとりを眺めている。「そりゃ、俺だって狂ってるさ。そういう暮らしをしてれば直ぐにな」「ケッ」ホローポイントはグラスを呷る。「オイオイ待て待て、ここで会ったのも何かの縁だ、似たような境遇の先輩であるこのエターナル・ニンジャ・チャンピオンの俺が……」
BLATATATATA!!!!ザ・ヴァーティゴの言葉は突然の銃声にかき消された。「アバーッ!」「アババーッ!」次々と弾丸に撃ち抜かれて行く客!「チェラッコラーッ!」「タマトルッコラー!」ナムサン!湯治ヤクザを狙う敵対ヤクザのテッポダマである!「ドグサレッガー!」「ワドルナッケンゴラー!」
「あらあら」ディアボリカが弾丸の雨の中を歩いていく。彼女はアシユの中に横たわる親子の死体を眺め始めた。「オイオイ……よそでやれよ」ぼやくザ・ヴァーティゴには構わず、ホローポイントは苛立ちも露わにテッポダマを銃撃する。
「ザッケンナコラーッ!」「ナンアバーッ!」「ニンジャアバーッ!?」次々に打ち砕かれて行くテッポダマの頭部!ニンジャリアリティショックの恐慌がヤクザたちを包む!「おーおー、荒れるなあ」息のある者を助け起こしながらザ・ヴァーティゴは呟いた。
「イヤーッ!」「アバーッ!」最後のテッポダマがホローポイントのカラテによって倒れる。「ハァーッ!ハァーッ!」酩酊状態のため呼吸が乱れている。「15、16……あはは20人!」死体の数を数えていたディアボリカがホローポイントを見てニヤリと笑った。
「アァ?ザッケンナコラーッ!」苛立ちのままにディアボリカ目掛け銃を抜くホローポイントの頬を銃弾が掠めた。「……ッ!ザッケンナコラーッ!」BLAM!一発!「アバーッ!」ブルズアイ!瀕死テッポダマの眉間を銃弾が貫いた。バチバチと壊れたダーツマシーンが惨状を照らしていた。
BLAM!BLAM!ホローポイントは続けて銃弾を放つ。カチリ!カチリ!銃弾が切れて尚、彼は撃鉄を引き起こし続けた。狂ったように。狂った世界を否定するように。やがて彼は遊び飽きた子供のように銃を投げ捨てた。
「あーあー……」ザ・ヴァーティゴはスーツについた埃を払いながら、ボロボロのバーの中を見回した。店主は既に事切れており、生き残った客たちは散り散りに逃げ出していた。血に染まったアシユではディアボリカが浮かぶ死体の隣でちゃぷちゃぷと足を遊ばせていた。「せっかくのバカンスが台無しだぜ」
ザ・ヴァーティゴは壊れていない椅子を2つ起こすと、バーカウンターのそばに座り1つを無言でホローポイントに勧めた。ホローポイントは無言で椅子に腰かけた。「…………」「…………」荒れ果てたオンセン・バーの中で、2人の男はしばし無言であった。割れた窓からは夜風と波の音が入り込んでくる。満点の星空と欠けた月が、彼らを見下ろしていた。
一体どれほど無言でそうしていたか、ホローポイントが重い口を開いた「テメェ……さっき何か言いかけてたな」「あ?ああ……そうだな……」ザ・ヴァーティゴは窓の外、星空を指差した。「アンタは知ってるかい?あの南十字星、何十年か前はこのオキナワからは見えなかったそうだ」ホローポイントは空を見た。
「だがポールシフトだかなんだかの影響でオキナワから見える星も変わって、今ではこうして日本にいながら南半球の星も見えるってわけだ」ザ・ヴァーティゴはネクタイを締め直しながら続ける。「つまり、原因があって結果がある、インガがあってオホーがある。でかい変化でも、必ず悪い変化ってわけじゃない。ようは折り合いの問題なのさ」
「……それが結論か?」「ええと……つまり考え込んじまうとよくないって事をだね」ザ・ヴァーティゴは必死に言葉を選んでいる。ホローポイントは小さく笑った。「まあいいさ、それならつまり、今まで通りってことだ」「あっ、そうそう、無理に考えず自然体がね」
その時、ザ・ヴァーティゴの体が一瞬01ノイズに置き換わった。「マジかよ……もう時間切れか……」「どうした?」「あー、旅立ちの時ってやつだな、今回はロクな旅にならなかったぜ」「そうか」それ以上はホローポイントは追求しなかった。「やっぱりテメェも俺の妄想だったかもな」「それがアンタの自然体なら、それで良いんじゃないか?」
バーテンダーの装いのディアボリカがグラスを2つ差し出した。「私の奢りよ。2人のユウジョウに」ホローポイントとザ・ヴァーティゴはそれぞれグラスを受け取る。「ユウジョウ……にはごめんだな」「そりゃそうか、じゃあ……オキナワに、なんてのはどうだ?」「それでいこう」
「「オキナワに」」小気味良いグラスの音が響き、2人の男はサケを呷った。ホローポイントがグラスを置き目を開けると、既にザ・ヴァーティゴの姿は無く、01の風が窓からは抜けていくところだった。窓の外ではディアボリカが01の風を捕まえようと手を伸ばしていた。やがて01ノイズは南十字星の下まで飛んでゆくと、見えなくなった。
【ミッドサマー・ナイツ・ワンダラー】
終わり