緊縛師対液体人間
「貴方、私を縛ってみてくださらない?」
招かれざる客のその女は、挑発的な笑みを浮かべる。深い夜空の色をした瞳は、ワインを一滴こぼしたように瞳孔だけが紅く染まっていた。
「……どいてくれないかな。まだ作品制作の途中なんだ」
男はすげなく答える。それもそうだろう、その女は彼の芸術作品の上に腰掛けているのだ。
「そこをどうにかお願いできないかしら、荒縄締太郎さん」
女はそう言いながら誇示するように脚を組み替えた。女の動きに、作品がわずかに身じろぎをした。
荒縄締太郎。緊縛師。数々の数奇にして困難な緊縛を成し遂げてきた今世紀最大の緊縛家である。過去に彼が制作した作品の中にはランドマーク、要人、風景そのものなど錚々たるものが並ぶ。彼がひとたび作品モチーフを選んだならば、警察も軍隊も彼を止めることはできない。
彼が現在手掛けているのは「星座図」である。彼は今、射手座を調達してきた。アトリエに戻ると、女がいたのだ。時たま、彼の熱心なファンがアトリエに押しかけ作品にしてほしいと懇願することがあった。締太郎はそのような者をあえて縛るつもりは無かった。
押し問答をするのも面倒な締太郎は、手に持つ麻縄を放つ。それは意思があるようにするりと彼女の首に巻き付いた。締太郎はくいと手首を引く。それだけで女は作品から引きずり降ろされるはずであった。
ぱしゃり
水面を打ったような音がして、麻縄が抜けた。水分を含み、重くなっている。締太郎は女の首を見た。水面が波を打っていた。
「どうかしら、少しは興味を持ってもらえたかしら?」
女はいたずらっぽく口を歪める。彼女が再び脚を組み替えると、その衝撃で彼女の肌に幾紋もの波が走った。
「私、ちょっと水っぽいってよく言われるの。貴方なら私を受け止めてくれるかと思ったのだけれど……」
締太郎の目に暗い炎が灯った。
「……君、星座は?」
「星座?ええ、水瓶座よ」
それは彼の作品に足りない最後の星座であった。
【序 了、破へ続く】
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