ハートセンター病院受診迄の間
2月17日夕方~2月18日の朝にかけて、風雪注意報が発令され、南国では珍しく雪が積もっていた。まるで、17日に紹介状先病院医師の言葉が、母の心を絶望の淵に追いやった為に起きたような悪天候だった。畑に降り積もった雪が数日後に迄残っていた。
私個人は、母が日曜市を出している関係で、母の申告をJA青色申告会の申告期日と時間帯指定が22日午前の指定時間迄だったので、夏休みの宿題をまとめてやる子供みたいに必死で仕上げていたので、畑に行けない状態になり、母は相変わらず週2回プールに通いながら、立体マスクやリュックサックを縫っていた。
思えば、畑に行けない事も、あの呪詛の言刃が母の心を蝕んでゆく事がはじまった一因だと思う。
勝ち気な母が
『このまま手術せんずつ、自然に任せて死のうかしら?』
と言い始めた。
[心臓発作ってどのくらい苦しいか知ってる?我慢出来ないレベルだよ。
自然に任せてとは言うけれど、それって自殺をするのと同じだと思うよ?
重利さん(母の父故人)が女の子やき大事にせんといかんと喜んでくれていたのに、お祖父ちゃんがそれを知ったらとても悲しむと思うよ]
と、今一度冷静になるように、母の弱みの亡き祖父を引き合いに出して、少しだけ冷静になるように言葉をかけた。
母方の神棚に、祖父の御霊はないけれど、祖母を介して
・母の夢枕に立ち、命を粗末にするなと祖父から言って欲しい
・祖父母共に、母の命を守って欲しい
・なんとか母の生きる気力が戻るように導いて欲しい
等と、ご飯を神棚にお祀りする時には必ず手を合わせてお願いするようになった。
兄も心配で「手術で助かる方法があるのなら、ちゃんと説明を聞いてから治療したらいい。死にたいがか?阿呆」とぶっきらぼうな言い方だけど心底心配しているから出た言葉で、母の心に喝を入れる事で、医師の呪詛の言刃をある程度解けるようになった。
でも、病は気からなので、病気の進行なのか?医師の呪詛の言刃のせいなのか?
ワイドショーを見ながら昼食を食べた後、サスペンスドラマを見ながら夕方頃迄昼寝をする時間が伸び、TV視聴終わりの夕方~6時迄の手作り品の作成は少しずつしなくなっていった。