わたしの風景絵図 世界に“まち”を見る
ここまで、未来に向けて再生しつづける 「とうきょう」という“まち”への共感を応援歌風に語ってきました。これからいよいよ視点を広げて、地球上に点在する「これは」と思う都市に目を向けていこうと思うのです。人と“まち”が対話し、お互いに刺激し合いながら、生きることに参加できる“まち”。面白い都会の、幸せな空間を求めて。
世界には、人に知られた都市だけでも星の数ほどもあって、その性格たるや尋常一様ではありません。
文化の華咲くルネサンスの都市、砂漠の宝石のようなオアシス都市から、神々と動物と人が共生する都会、水の都、森の都、草原の都と、冠された言葉だけでも興奮過多症の僕の胸は踊るのです。
そこで
まずここではとりとめのない雑感を装って、次へとつづく幾つかの所感を述べておきます。
はじめに断わっておきますが、僕はこれからここで、ありもしない夢のような“まち”を語ろうとは思いません。現実に存在して蠢く、生きた“まち”を語るのです。
「夢のある〜」とか「理想の〜」という枕詞のついた“まち”には必ず文化都市とか、計画都市、ニュータウンといった眉ツバものの行政臭さが匂います。この手の、絵にならない“まち”は世の中にいくらでもあって、こうしたあるレベルにターゲットをしぼって計画されていく「住み分け」の思想は「人にやさしい町をつくる」という最近はやりの薄っぺらなコピーにのせられた施政者が、その試行錯誤の悩みから一挙に逃れる安易な方便になります。
アメリカのいくつかの大都市を見てください。人種別の住み分けが進んだ街区には、人と人との対流は起こり得ず、街角ごとに善と悪、貧困と富裕、光と闇という、二極化した世界が、角つき合わせている世界が現出しつつあります。街の狭間に生き残るホッとするような空間、どっちつかずの空き地は、犯罪防止を理由に存在さえも許されなくなってしまいま した。
よどんだ都会の悪意を逃れて、人々は郊外へ、理想的な文化生活(又は自然環境) を求めて住み分かれていきます。
以前唖然とするシーンをテレビで見ました。老人の理想郷のような“まち”を取材した番組だったと思います。
完璧に整備された住宅で老人たちが親身なサービスを受けながら、食事をしたり、ダンスをしたり、ゲームを楽しんだりしているのです。カメラは緑の自然の中に円形に計画されたその町の全貌を映し出します。中心から放射線状に建ち並ぶ同 じスタイルの家々。同じ空気と同じ環境の中で、あふれる光と生きる歓びに満ち満ちた町——。
でも、まてよ。あの光の中には影が無かったじゃないか。影のない生活なんてあるのかしらん。もしかしたら、老人の方が、あの“まち”の影そのものだったりして。
もしそうならば、あの“まち”は巨大な隔離施設ということか。死ぬる自由さえ奪われた老人達の強制収容所。
話が怖くなったところで、初めに戻そう。
「まちを見る」とはどういうことか。 なぜ “まち”を見るのか?
我々が文化的な生きものであり、人間の営みの場である集落を必要とする限り、 より高い文化に、より快適な環境に常に憧れ、それを手に入れようと努力します。 日本にとってお手本は、古くは中国であ ったし、朝鮮半島であったわけです。その目が、黒船の来航で一気に西洋へと向かったからといって、その憧れに何の変質も起こりはしなかったし、それは世界 的な趨勢として、特にアジア域の近代化を促進させたものでした。
そして今、我々の生活が限りなく西洋化され均一化の方向に近づいていく時、 我々の憧れはどこへ向かっていこうとしているのでしょうか?
原始への憧れから、自然を愛し、自然に回帰しようとする運動もあります。
しかし、身の廻りに人工物をこれだけ配しておいて自然回帰とは、単なるレトロ・アナクロニズムの守備範囲。まるで 一昔前、人間が自然と共生するために、原野を切り開き、道路や街を造って、テープカットしていたのと同じ発想の範疇でしょう。
質問にもどる。
我々は憧れを見失ったのか?
忙しい現代人は、古代のロマンに憧れる。 ゆったりとした時の流れの中で本能のままに生きる歓び——。
我々の目には、自由の謳歌と、人間の気高さを具現したアクロポリスの神殿が映るだろうか、あるいはバビロンの空中庭園都市が。