歌集『命の部首』で焦る
知人が18年可愛がり大事にしていた犬を亡くされたと聞いた。かける言葉が見つからないのは、以前実家の母が愛犬を亡くし、長年ペットロスシンドロームに苦しんだことがあるからだ。どんな言葉をかけられたいか、それとも放っておいてほしいのか、何を言っても駄目なのか。でも何とか「あなたの気持ちはよく分かりますよ、あまりに悲しみすぎると亡くなった愛犬もあなたを心配しますよ」ということを伝えられないかと考えた。
そこで、実家の母のペットロスの気持ちに寄り添ったあの短歌をLINEで送った。木下龍也さんの有名な愛された犬についての歌である。
あ、はい、この短歌知ってますけど…みたいな反応だったら気まずいなーとドキドキ心配しつつ送ったのだが、先方からは「ありがとう」という返事が来てほっとした。
LINEは大嫌いだが、LINEがあって良かったと初めて思った。この令和の時代に誰かに歌を送る、歌だけをポツリと送る、なんて、LINE以外に手段ありますかね?
手紙で歌だけをポツリと送る→なんか重い。
ハガキで歌だけをポツリと送る→なんか重い。
メールで歌だけをポツリと送る→なんか重い。あと件名に悩む。
電話か、会ったときにポツリと歌を詠む→なんか気恥ずかしい。
LINEのように無粋で味気ないもののお陰で、相手の負担にならぬよう、さりげなく歌を贈って気持ちを伝えることができたのは意外だった。もし私が歌を詠む才能がある人物であれば、捻り出した数々の名歌を毎日いろんな人にLINEで送りつけていたことだろう。才能がなくて本当に良かった。
歌を詠む才能はないので、素敵な歌や歌集を人に「ほらほらほらちょっとこれこれ!」と伝えたり薦めたりすることはある。最近、獣医師を目指す学生さんにプレゼントしたのが歌集『命の部首』(久長草太/本阿弥書店)である。
現役獣医師さんの歌集なのだが、獣医学部の学生時代に詠まれた歌が多数あり、命と向き合うことを生業とする人の内側からの景色を垣間見ることができる。獣医師という職業に対し、「ひたすら生真面目でピュア」という先入観を私はいつの間にか持っていたが、久長さんの歌から漂ってくるそこはかとないおもしろさはそのイメージをあっさり覆して来る。命の重さと真摯に取っ組み合いながらも、常におもしろポイントを探っては密かに悦に入っている、久長さんのそんなA面とB面の二面性の魅力を感じる。
もしA面B面どちらか片方しかない歌集であれば、ここまで私は気に入らなかったと思う。命の重さは分かる、本当に分かる、よく分かるから、そればかり言われると辛い。読んでいて辛い。軽妙でユーモラスな歌も好きである、好きではあるが、しかしそればっかりだと、あのさ、もうちょっとどうにかさあ、と文句も言いたくなる。
(自分で歌を詠む才能がないので文句が多いのである)
私は、小さい頃から、動物が大好きなだけに、テレビのドキュメンタリーで動物が死ぬシーンや、可哀想な動物の小説や物語など、本当に苦手だった。動物に関する辛いニュースをちらっと目にするだけで、胸がドキドキして、嫌な気分がずっと続いた。
そして、見るのが辛い、可哀想なのは苦手というだけで、結局何もできない自分に本当にうんざりしていた。
そんな私でも、歌集『命の部首』は、久長さんのそこはかとないユーモアに助けられ、最後まで読むことができた。思えば1000年以上も前から人は歌を詠んで誰かに気持ちを伝えてきたのだ。久長さんの思いを、短歌という形のおかげで私は受け取ることができたのだろう。
ただし問題がひとつある。肝心の、本を贈った相手が受験勉強で忙し過ぎて、まだ読めていないとのことである。「読んだ?ねえねえ読んだ??」と何回も尋ねるのも大人げない。ここはそっとしておこう。
…いや、しまった。ひょっとしたら、私は受験生に対しちょっと余計なことをしてしまったのだろうか…焦る。