NUDE礼賛ーおとこのからだ展
NUDE礼賛ーおとこのからだ展に行きました。全ての女装に見てほしい、いや言い過ぎました、全ワタシにめっちゃ刺さりました。
とくに美しく怪しいドール的な美男子を作り描く小川クロさんの作品にはガツンとみかん。小川はちいかわと読みます。
下のツイートの2枚目が小川さんの作品のドール。
キュレーションは木村了子さん。女性がイヤらしい眼で男を描く作品で知られる画家。ビーナスとか、美術の歴史では男性がイヤらしい目線で理想的な女を描いてきたけど、女もやらしい目線で理想の男描いちゃるって感じ。違ってたらすみません。
男のヌードがテーマなので、巻頭を飾るのは、浅草御用邸のお風呂の銭湯絵でおなじみのガチムチ、サムソン系。嫌いじゃないけど、特に好きでもない。先日、スペイン大使館のLGBTQ+展で感じた「(ワタシにとって)これじゃない」感の覚悟をしかけました。
6月のLGBTQ+展は大使館で展覧会ってスゴいって感激したけど、内容はガチムチなゲイとゲイの派生である(とされる)ドラァグクイーンが中心の歴史で日本の女装カルチャーに近しいものをあまり感じとれませんでした。(ヨーロッパのLGBT文化についてはとても学びが多かったです)
同じ頃に行ったBunkamuraのボテロ展でも、「違うんだ!ワタシの女装はそうじゃないんだ!」(ほかの絵は「そうか!そうか!そうくるか!って感じで展覧会として面白かったです。いま、名古屋でやってるみたいですね、おすすめ)
昨年、アーティゾン美術館で知った森村泰昌さんを「この人こそ女装に違いない」と京都の京セラ美術館まで森村泰昌展(ワタシの迷宮劇場だったかな)を見にいきました。
森村泰昌さんからは、なりたい自分になろうとするではなく、色々なものになれる自分というコスプレ思考を感じました。勝手に女装と思ってますが、森村泰昌さんはそもそも女装を売りにしてないようです。
ヌード礼賛展に話を戻します。小川クロさんの作品に、ワタシの女装心をグワシと掴まれたのです。
先ほどの大きなヌードの人形。中性的てドール的で、股間には毛がない。作家のインタビュー記事だと、少年を意味するのでなく、脱毛済みの男!とのこと。わかってらっしゃる!!
そうこの人形は、作る人の欲望相手ではなく、作る人の「中の人(理想版)なのだ!と感じたのです。
作品を見てビビッと来てインタビューを読んで頭でも納得。自分がなりたい、ジェンダーを越えて異なものになる方法として、絵にすることや人形を作ることは、パートタイムトランスジェンダー(造語)たる女装のワタシには、すごくしっくりきたのです。
女装にも色々な道があって、外からは理解されにくいのが、「コスプレ」との差。「週末に女装するのってコスプレでしょ?」って言われると、違うんだ!だけど、なにが違うんだかは自分でも分からなかった。属性が違う、目的が違う、とまでははっきりしてるわけでもないし。
小川クロさんの作品とインタビューを見て、森村泰昌式のゴールが他者によって設定されているコスプレ女装(似てるかどうか)でなくて、自分の理想の姿(それが存在するかも分からない)を追い求め、自分自身との対話を続けることなのかも、って少し悟りを開いたのでした。ちょっとお寺で座禅してくるワ。
今夜浅草御用邸に行く女装さんは秋葉原駅で下車して行ってみて!
「NUDE礼賛−おとこのからだ展」は秋葉原駅から徒歩2分くらいのビルの2階にあるDub Gallery Akihabaraで今日15日まで。入場料は500円だけど、御朱印がもらえます。これ御朱印帳に貼ったら城印よりも寺社に拒否られるやつだ(笑)
密教立川流のお寺の御朱印ですって誤魔化せば大丈夫かしら
ついでに東京駅の丸善丸の内店まで足を伸ばして小川(ちいかわ)クロさんの人形も並ぶ人形展も見てきました。
ギャラリートークの動画がユーチューブにありました。概要欄に各作家のインタビューがPDFで載ってます。
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