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(クリスチャン向け)キリスト教に対する捉え方

ご無沙汰してます

前回よりしばらくたってしまいました

ジョシュアです。( ✌︎'ω')✌︎

前回、
自分のキリスト教に対する考え方を書くと予告しましたが

そんなに難しい話ではないんで

なるべく短くなるよう努力しますᕦ(ò_óˇ)ᕤ


とりあえず言いたいことを一枚のイラストにまとめました

雑な絵ですみません

イラスト見てもらったらわかると思いますが

キリスト教には

「宗教としてのキリスト教」

「世界観としてのキリスト教」

の二つの捉え方があると思ってます。



宗教としてのキリスト教

宗教っていう名前の通り

これは科学的事実とか、聖書的解釈よりも

個人の信仰、文化、礼拝スタイルなどを重視する考え方です。

リベラル系のクリスチャンとかはこの考えが多い気がします。

あと、信仰の動機が「良い教えだから信じる」「ほかの信者が幸せそうだから信じる」「教会が楽しいから信じる」
って言う動機が多いのかな

極端な例を挙げると

フィリピンとか南米とか

「お前完全に聖書無視して生きてるだろw」って突っ込みたくなる人が「俺はキリスト教です」って自己紹介する。

完全に文化なんですよね。

まあこれは極端な例ですが


聖書が事実かどうかよりも

社会にとって有益な「教え」や「文化」を重視する傾向がある。

あとは

「創世記の創造って進化論と矛盾してません?」

って言う質問に対して

「まあイエスキリストの教えに影響はないから…」
とか
「科学は科学、聖書は聖書。信仰生活と科学は関係ない。」
って言う風にはぐらかす。

これはほぼ確で宗教としてキリスト教をみてますね

世界観としてのキリスト教


世界観としてみてる人は割と論理主義、合理主義の人が多いんじゃないですかね

保守系のクリスチャンはこっちの捉え方が多い気がします。

聖書的世界観と言いましたが

わかりやすく言うと、聖書が教える価値観、歴史観、正義観を哲学ではなく事実として受け止めろって考え方です。

なのでこの考え方の人は
「聖書を研究した結果、事実だったから信じます。」
とか
「進化論が矛盾しすぎてて神の存在が合理的だから信じます」

みたいな動機で信じるってパターン多いんじゃないでしょうか

「宗教としてのキリスト教を信じてたらいつの間にか世界観としてのキリスト教に方向転換しました」って言う人もいると思います


こちらも極端な例を挙げます

ツイッターとかで「クリスチャンやめました!聖書の神を信じます!」って言う人とかいますが

そんな感じで

文化や風習を否定する傾向がある人はほぼ確実に世界観として捉えてる人ですね多分

応用。どっちが正しいのか


僕は結構右寄りの立場ですが

どちらの考え方でも正しいと思いますし

神様に従ってるって言う意味では

同じかなと思います。

むしろ
「どっちが正しい」
って言うよりも

今の自分、今の社会にあった受け止め方をするべきだと思います

僕は

日本のクリスチャンの中には
右の考え方を知る人がすくない気がするので

日本のキリスト教業界は宗教色が強い気がすると勝手に思ってます


別に否定してるわけでも肯定してるわけでもなくて

ただ

そうゆう考え方があるってことをとりあえずこの記事で知ってほしいなって思います。

そして

最後に覚えておいてほしい事があります。

それは

「宗教的キリスト教」の基本的な考え方は
「世界観的キリスト教」をベースに成り立ってると言う事です。

聖書的世界観を理解せずには
キリスト教の単純な考え(十戒など)すら「キリスト教の教え」として捉える事ができなくなるんですよね

なので
宗教でもいいけど世界観もちゃんと理解してくれって感じです

終わりに


みなさんはどのような捉え方でキリスト教を見ていますか?

これを読んでる人は

完全に左とか完全に右っていう人は少ないと思いますが

左右どっちかよりになるとは思うんで

一回考えてみてください。

どちらの考え方でも僕は応援しますし仲良くします!


思ったより長くなりましたが

次回は世界観の重要性をもっと深く語るつもりです。


以上、終わり!



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