教師はツブシガキカナイか?
教師はツブシガキカナイか?
「教師はツブシガキカナイ」と言われるが本当か?
結論、と願いを言えば、「教師はつぶしがきく。」
「先生は社会を知らない」と言われる。
「若い先生は、子どもを持ったこともないのだから、子どものことはわからないでしょ」と、保護者に言われる。
でも、ほんとうに先生はその程度の人材なのか?
教員免許を持っているということは、一定の知識・技能を認められているはず、ではないのか?
教員になってからも…
教育心理学
教科の系統的知識
指導スキル
アセスメントスキル(子どもを見る目)
保護者とのコミュニケーションスキル
教材作成スキル
を駆使して、子どもたちのために日々奮闘している。
…でも、あれ? ちょっと待って?
どれも社会では使えないことばかりでは?
…否…そんなことはない
どれも本質を見れば、社会で活用できることばかりである。
例えば、
教育心理学では、「動機づけ」の理論がある。
「動機づけ」とは、かんたんに言えば「やる気」を持たせることである。
会社の経営者であれば、社員の教育が必要なので、いかに動機づけするか、は業績に直結する。
「アセスメント」とは、子どもの行動の意味を読み取るスキルである。
子どものようすを瞬時に判断するために、日頃から行動の意味を読み取り、原因を探り、適切な言葉かけや修正をしなければならない。
常に指導する優先順位の判断が求められる。
…などなど
教師のもつ力は、決してツブシガキカナイものではないはずである。
持ち出し可能な力
しかし、なぜ「ツブシガキカナイ」と教師みずからも卑下してしまうのか。
それは、これらのスキルを自分で使いこなしている、と思えていないからである。
指導スキルや知識を客観的にとらえて、言語化できず、意図的に使いこなしていないことが原因と考えられる。
では、そんな教師の高度な専門性を、客観的にとらえ、言語化して、意図的に使える「持ち出し可能な力」にすることはできないのだろうか?
例えば、よく言われることだが、一流のアスリートが、優れたコーチ・監督になれるわけではない。
同じことが、教師にも言える。
特に指導のうまい教師は、自分の指導のよさを人に伝えることが下手である。
さらに、往々にして、指導のうまい教師は謙虚に学ぶことが多いため、積極的に自分のことを開示しないのである。
そこで、そのよい指導を翻訳する人、スキルや知識を編集する人が必要だと考える。
翻訳してもらったことを教師自身にフィードバックし、意識化していく。
子どもに指導するその専門性こそ、社会に還元するべき力であることに気づいてほしい。
自分の指導を言語化できる教師になれば、どんな業種にも必要な資質を客観視することができるだろう。
「勘がいい」とは先を読む力
アルバイトの店員で、「勘がいい」と言われる者がいる。
大手チェーンの飲食店や小売店には、アルバイトがいつでもだれでも一定の水準で仕事ができるようにマニュアルがある。
しかし、全員がマニュアル通りの作業を行っていてもなお、「勘がいい」と言われるアルバイト店員は存在する。
そんなアルバイト店員を観察してみると、仕事の「勘のよさ」とは、ものごとの「先読み」ができるかどうか、ではないかと思う。
次に何をするか、を読んで必要な行動を選択して、適切にこなしていく。
飲食店では、店員の視線を見ていれば、勘がいいかどうかを判別できる。
勘のいい店員の視線は、常にお客さんの様子、テーブルの上の料理の状態をスキャンしているのである。
メニューを選んで注文をしたいと思っていないか、コップの水がなくなっていないか、席を立ったのはお会計なのか、トイレなのか…
その仕事をこなせるスキルも必要だから、練習はもちろん必要である。
そしてその上で、「勘の良さ」「先読みの力」があれば、仕事を進めるための重要な資質となる。
教師の場合は、目の前の子どもの行動、言葉の意味を読み取り、適切な指導を判断して、あらかじめ手を打つことが「勘がいい」教師と言えるだろう。
海外の教師もツブシガキカナイのか?
つまりは、教師一人ひとりが、教育の専門性を高めつつ、その力を客観的にとらえ、世の中の役に立つ形、世間に持ち出し可能な形で磨いていることが大切なのではないか。
そうして、自らの力が社会に認められるものになれば、社会の側からも教育以外の分野でも活躍してほしい、とオファーがくることだろう。
それでは、海外の教師もツブシガキカナイと言われているのだろうか?
アメリカには、「Teach fo America」というNPO団体がある。
「全米で最も優秀で情熱のある人材を、2年間教師として厳しい条件にある学校に派遣をする」というプログラムだ。
特筆すべきは、毎年、全米の学生が就職したい企業ランキングの上位に位置していることだ。
2年間教師として派遣された後には、名だたる企業へ就職していく。
つまり、受け入れる企業は、このプログラムに参加していることは優れた人材である、と認めているからである。
実は、日本にもこの趣旨を受け継いだNPO団体はある。
日本のTeach for JAPAN は、まだ知名度は高くないかもしれない。
しかし、志を高く持った若者の選択肢の一つになっている。
ひとつのしずくが大きな川になっていく。
一人ひとりの若い教師が顔を上げ、自分の仕事を振り返る。
自分の仕事の一つひとつが、世界につながっている、世界をつくっている。
そのことに気づき、さらに自分を磨いていく。
その行動が、つぶしがきくとかきかないとかなんて小さなことではなく、大きな川の流れを作っていくことだろう。