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友達ならまた会おう

「流行」に懐疑的な人が世の中にはいる。

例を挙げるなら

「clubhouseなんて私はやらないよ。あんなの中国企業がバックエンドにいて情報を吸い取られるんだ」
「最近の音楽は機械で作られたものばかりで中身がない。昔みたいに生の人間が作る音楽こそ至高」
「最近のファッションなんて私にはわからない。私は変わらず自分に合うものを着ればいいんだ」

など、なんじゃかんじゃ言いながらそういう方々はずっと変わらない。

そういう方々を否定したいわけではない。
ただ僕自身はどちらかと言うと流行に流されて自分が徐々に変わっていくのを見るのが好きなタイプなので、その立場から話をしたい。


距離を置いたのはどっち

これを見てる皆さんにも経験がないだろうか?

仲の良い相性の良い友達が、何か新しい趣味とかコミュニティとか著名人にハマリ始める。
するとそこからなんとなく友達の人間性が変わっていってしまって、友達としてなんか合わなくなってしまった…。
その友達は新しいコミュニティで新しい友達を作り、どうやら楽しくやっているようだ。あの時の友達はもういない。なんだか寂しいな…っと

こんな経験、多かれ少なかれあると思う。
この寂しがっている人の視点からだと「変わってしまうことが残念なこと」みたいに描かれやすいが
実は変わっていってる人の視点からは「価値観と人間関係をアップデートしている」だけに過ぎない。

この時、実は友達としての距離を作ってしまうのは、
変わっていった人よりも、変わらずにそこに居続けた人であることの方が多い。

人間は時代の中で生きている。
その時代が流れる中で生まれたものを、もちろん取捨選択の自由はあるが、多かれ少なかれ取り入れていく必要があると思う。

明治維新後に「散髪抜刀令」が出てちょんまげを辞めて髪を下ろした人のことを、寂しく思う人も当時はいたかもしれないが。今はもちろんいるわけがない。
およそ20年前に女子高生の間で流行ったファッション「ルーズソックス」や「アムラー」を今も名残惜しく続けている人なんて、いないだろう。
14年前にAppleから「iPhone」発表された時に「ボタンがない携帯電話なんて使えない」と否定的な意見が結構あった。だが今となってはみんなほとんどスマートフォンだ。

時代は常に動き続けていて、日々新しいものが生まれていく。
その時代の中で生きる我々人間も、日々新しい出会いと変化を享受して生きていく。というのはごく自然なことだと思う。

だから友達や周りの人間もきっと変わり続ける。
その変化によって遠くに感じてしまうこともあるかもしれないが、変化自体を否定したくはないなと思う。

少しでも同じ時間を共有した友達なら、変化の中でもきっとまたいつか会える。

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