見出し画像

人に顔を見せる機会が減ってきた。

買い物は家に居ながらAmazonをウロウロ
散歩で街を歩いてみても皆マスクで目から下は隠れている。
ご飯はUber Eatsが運んできてくれる。
コミュニケーションはclubhouseで、顔は見ずに声だけで、

顔は人間の象徴。
時に大きなメッセージを含み、
時に人々を魅了する芸術となり
時に責任の所在と化す

その顔を見せる事が少なくなってきた社会を僕は”生きやすくなる”なと、なんとなく感じた。何故ならSNSが普及しすぎたこの時代に「顔」を出すことは非常にリスキーだ。
自分の顔が何かのきっかけで「責任の所在」を負ってしまった時。顔は切り離せない。こんな恐ろしい話はない。顔は容易に大衆に見せるものではなくなる。


もう一つの要素として
「顔は口ほどに物を言う」という派生語があるように、顔から放たれる情報量は非常に多い。
そして、特に対話の時にその情報量を上手くコントロール出来ないとノイズになることがある。喋っているときの目線、表情の柔らかさ、口角の具合、そもそもの容姿。あまりにも情報が多い。
わかりやすく言えば真面目な話をしている相手の鼻毛が飛び出ていたら、鼻毛にばっかり気が取られて何を話しているかなんて入ってこないだろう。それはノイズだ。もちろん顔から放たれる情報量を上手くコントロールして、適切な表現を届けられる人もいる。そんな人はとても優秀だ。

しかし端的にメッセージを伝えたい場合。
情報量を絞った「音声のみ」「テキストのみ」の方が伝わる場合も全然ある。

時代的にどちらかと言えば「音声」に注目が集まっている。
なので声を綺麗に出す需要が高まるのかな〜なんて思ったりしている。
昨日たまたまテレビを見たら声優さんの特集が組まれていて、なんか凄い羨望した。

皆、顔を見られることを意識して顔を整えて生きてきたはずだ
だがもしも顔よりも声の比重が大きくなったら、皆声を綺麗にすることに注力するだろう。

一方で、顔はリアルな友人や家族にだけ公開する希少価値の高いものになると思ってる。


多くの人に見られると思って意識する顔と
大切な人にだけ見せると思って意識する顔とでは

きっとなんか違う気がするんだよな、

いいなと思ったら応援しよう!