「思いやり」の自論
どうやら、私は思いやりが無い人間だそうです。
俗に言う、冷たい人間だそうです。
家族、恋人、友人、全てから言われた事があります。
私はその人たちが考える「思いやり」については理解しているつもりですが、同時に私の考える「思いやり」も理解して欲しいというのが本音です。
「思いやり」は辞書を見ると次のように記載されています。
その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。
引用:三省堂 大辞林 第三版
その本質は私も変わりません。
では、なぜそう言われてしまう事が多いのか。
それについて分析してみたいと思います。
問題解決するか、同情するかの差
例えば「彼氏とケンカしちゃったんだよね〜」とか、「仕事で怒られちゃって〜」
という話があったとします。
正直、相手がどうでもいい人だったら私は「同情」だけをすると思います。
ただ、もし相手が大切な人で真剣にその問題について考えていたら、私は解決策を一緒に考えます。
(男性は理屈、女性は感情とかいう話は置いておいて)
問題解決は誰がするのか
問題解決は、結局は自分でする事です。
頑張れと言って、同情して放置する事は思いやりなのでしょう。
本当に問題解決に向けて取り組むなら、出来る限りヒントを与え、最後には自分で解決できるように導くのが本当の思いやりでは無いのでしょうか。
分かっているけど理解できない
正直、分かっています。
愚痴とかなら特に。
みんな同情を求めているんです。
ただ、同情だけは解決できません。
それはストレスの埋め合わせみたいなものだからです。
私も、どうでもいい愚痴と真剣な悩みくらいは判断できます。
ただ、そこで真剣に話に乗り、出来る限り力を添えて最後には自己解決できるまで導く。
これをするとみんな途中で嫌になってしまうのはなぜでしょうか。。。
最後に
極論ですが、愚痴なら人に話すな、真剣な悩みなら真剣に最後まで取り組め。
これが私の考えです。
(この記事が愚痴っぽくなってる?!)
ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?