証拠として引用された研究は、COVID-19ワクチンが人の癌を促進することを示すものではなく、実験室の細胞でウイルスのスパイク・プロテインをテストしたものでした。
【主張】
COVID-19ワクチンから検出されたスパイク・プロテインには癌の成長を促進する可能性がある。
【評定詳細:裏付け不十分】
この主張は、SARS-CoV-2ウイルスからスパイク・プロテインを産生するために実験室で培養した細胞を用いた研究に依拠しています。
この実験条件は、人体内でCOVID-19ワクチンによって起こることを反映しているわけではありません。
従って、この研究の結果をCOVID-19ワクチンを接種した人に当てはめることは出来ません。
【キーポイント】
COVID-19のワクチン接種は、COVID-19による入院や死亡のリスクを低減し、COVID-19による重篤な合併症のリスクが高い人々にとって特に重要なものです。
このような人々には、免疫系を弱める可能性のある癌やその他の疾患のある人々が含まれています。
現在の所、COVID-19ワクチンが癌のリスクを高めたり、癌の攻撃性を高めたり、癌治療の効果を低下させたりすることを示唆するエビデンスはありません。
【レビュー】
2024年7月1日、America's Frontline Doctorsという団体が "SPIKE PROTEINS FROM COVID SHOTS COULD PROMOTE CANCER GROWTH "というFacebookのリールを投稿しました。このリールは40万回以上閲覧されています。
America's Frontline Doctorsは2020年、抗マラリア薬ヒドロキシクロロキンの有効性を示す証拠がないにも関わらず、COVID-19の予防と治療のためにヒドロキシクロロキンを宣伝したことで広く知られるようになりました。このグループはパンデミックの間中、COVID-19に関する偽情報を流し続けています。2022年、創設者のSimone Goldは、2021年1月6日の暴動の際に連邦議会議事堂に立ち入った罪で60日間の禁固刑を言い渡されています。
COVID-19ワクチンが入手可能になって以来、ワクチン接種と癌とを結びつける主張がSNS上で盛んになされてきました。しかしながら、このような主張は根拠のないものであり、多くの場合、逸話や誤ったデータの解釈に基づいています。Facebookのリールもまた、そのような主張の一例です。
リールの主張は、ブラウン大学の腫瘍学研究者であるShengliang ZhangとWafik S. El-Deiryが2024年6月にOncotarget誌に発表した研究に基づいています。El-Deiry は、COVID-19ワクチンが「ターボ癌」を引き起こすという根拠のない主張を以前に展開していました。Science Feedbackは以前のレビューで同様の主張を論破しています。
ZhangとEl-Deiryは、SARS-CoV-2スパイク・プロテインを産生するように改造された癌細胞は、癌抑制プロテインであるp53に変化を起こすことを発見したと述べています。しかしながら、この研究は実験室で増殖している癌細胞に対して行なわれたものであり、ヒトに対して行なわれたものではありません。その上、この実験はワクチンではなく、ウイルスのスパイク・プロテインを使ったものでした。そのため、これらの結果はCOVID-19ワクチンを接種した人に何が起こるかの証拠にはならず、リールの主張は裏付けが取れていないことになります。
Science Feedbackは、このリールの主張についてEl-Deiryにコメントを求めています。電子メールの中で、彼は、この研究の限界は全て論文の中で認められていると述べています。以下、これらの限界についてより詳しく説明したいと思います。
《研究の結果分かる事は?》
この研究は、SARS-CoV-2のスパイク・プロテインがp53プロテインに及ぼす影響を調べることを目的としたものです。
そのために、研究者達はSARS-CoV-2のスパイク・プロテインを産生するように、ヒトの肺癌、乳癌、大腸癌、肉腫の細胞を実験室で培養することにしました。
p53はよく知られた腫瘍抑制プロテインであり、制御不能な細胞増殖から身体を守る働きを有しています。特に、p53はDNA修復、細胞分裂、プログラムされた細胞死(アポトーシス)を制御する重要な役割を担っているため、一般に「ゲノムの守護神」と呼ばれています。
p53は通常、有毒化学物質や太陽光線による紫外線といった、細胞のDNAを損傷するようなことが起こるまでは不活性な状態にあります。この損傷がp53を活性化し、損傷を修復するか、修復不可能な場合は細胞分裂を停止して自己破壊するよう細胞に指示します。要するに、p53は損傷を受けた細胞が蓄積し、無秩序に分裂し、腫瘍化するのを防ぐ働きをするということです」。
この研究では、スパイク・プロテインを産生する細胞は、そのプロテインを産生しない細胞と比較して、p53の機能に変化が見られることが判明しました。これらの細胞を化学療法剤シスプラチンに暴露した結果、スパイク・プロテインを産生しない細胞と比較して、薬物によるダメージはあるものの、細胞の反応性は低いことが確認されています。このことは、癌細胞の生存率が僅かに増加したこととも関連しており、薬剤が殺す細胞の数が予想より少なかったことを示唆していると考えられます。
これらの結果から、著者らは、SARS-CoV-2は、特にSARS-CoV-2感染を繰り返すと、細胞が腫瘍化するのを防ぐ天然のバリアを減少させるのではないかと推測しました。更に、この可能性のあるメカニズムは、「一般的なウイルス感染やmRNAワクチンだけでなく、細胞毒性や他の癌治療を受けている可能性のある癌患者にも関連するかもしれない」と付け加えています。
最後に著者らは、SARS-CoV-2スパイクのようなウイルス性プロテインが細胞のDNA修復機構に与える影響を更に調査することを呼びかけています。そうすれば、ワクチンのような治療戦略を開発する際に、このプロセスを阻害するリスクを最小限に抑えることが可能になると彼らは主張しました。
癌の半数以上はTP53[1]に変異を持っているものの、p53の機能不全は癌を引き起こすのに十分ではないことが研究によって示唆されています。むしろ、癌は複数の進行性の遺伝子変化の結果である可能性が高いと思われます。
Oncotarget誌に掲載された研究について、この研究の著者の一人であるEl-Deiryは、X/Twitterのスレッドで、癌におけるp53の複雑な役割について次のように語っています:
《スパイク・プロテインを産生する細胞での結果を、COVID-19ワクチンを接種したヒトに直接当てはめることは不可能です》
この研究は、SARS-CoV-2ウイルスが細胞内のDNA修復を阻害するメカニズムの可能性を示唆しています。しかしながら、これらの結果はあくまでも予備的なものであり、この研究で使用された実験室の条件にのみ当てはまるものです。
第一に、実験はいずれも細胞培養で行なわれており、人体のような生物全体とは大きく異なっています。細胞培養は、制御された再現可能な環境で生物学的メカニズムを研究するための貴重な初期モデルです。しかしながら、複数の組織や臓器が互いに連結している人体の複雑さをシミュレートすることは不可能です。このため、細胞培養で得られた結果は、同じ現象がヒトでも起こることを実証することは不可能です。
更に、この研究は癌細胞におけるSARS-CoV-2スパイク・プロテインの影響しか評価していません。これらの細胞は健康な細胞と比較して、p53機能の変化に対する感受性が異なる可能性を持っているかも知れないからです。著者らは考察の中でこれらの限界を認めています:
第二に、この研究はワクチンからではなくウイルスからのスパイク・プロテインの効果を評価したものです。考察より:
ウイルス由来のスパイク・プロテインとCOVID-19ワクチン接種によって誘導されるスパイク・プロテインとは非常によく似ていますが、同一ではありません。具体的には、ワクチン・スパイク・プロテインには、プロテインを安定化させ、ウイルス・プロテインがそうであるように細胞膜内での融合を妨げる変異が含まれています。ウイルスのスパイク・プロテインとワクチンのスパイク・プロテインとは異なるため、一方のスパイク・プロテインで得られた結果は、他方のスパイク・プロテインでは成り立たない可能性があります。
スパイク・プロテインを産生するために、研究者達はこのプロテインをコードする遺伝物質をプラスミド(環状DNA分子)に挿入し、細胞に移植する方法を採用しました。これは人為的なプロセスであり、その結果、正常な機能を妨げ、細胞に対して毒性さえ持つプロテインを大量に生産することになります(過剰発現)。これは、研究されたプロテインに特異的なものではなく、単にどんなプロテインでも大量に生産することから生じる影響を引き起こす可能性があります。しかしながら、この研究では、SARS-CoV-2とは無関係のプロテインを過剰発現させた細胞でp53の機能を評価することで、この影響をコントロールしたわけではありません。
最後に、癌細胞がスパイク・プロテインを産生した場合、DNA損傷に対する反応が減少し、生存率が僅かに向上することが示唆されました。しかしながら、この研究は「これらの変化がSARS-CoV-2スパイクのp53シグナル伝達抑制効果の結果であるかどうか」を立証することは出来ませんでした。言い換えれば、スパイク・プロテインがp53を妨害することによって変化が引き起こされたとは証明出来なかったのです。
米国国立癌研究所と米国癌学会は、COVID-19ワクチンが癌を引き起こしたり、癌の侵攻性や再発性を高めたりすることを示唆するエビデンスは今の時点ではないと述べています。以前のレビューで説明したように、COVID-19ワクチンが癌を引き起こすことを説明しうる妥当な科学的メカニズムも存在しておりません。
この研究は、SARS-CoV-2スパイク・プロテインが癌細胞におけるある癌抑制プロテインの活性に影響を与える可能性を示唆していますが、COVID-19ワクチンを接種した人はおろか、SARS-CoV-2感染者においてもその効果は実証されておりません。
《引用文献》
1 – Chen et al. (2022) Mutant p53 in cancer: from molecular mechanism to therapeutic modulation. Cell Death and Disease.