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マリアッチの真夜中のセレナータ

1990年の夏、日本で知り合ったメキシコ人女性が帰国後、「遊びにこない?」と誘ってくれたので、好奇心に駆られてメキシコ市にしばらく滞在した。フリーランスのスペイン語通訳をしていたので、すぐにスケジュール調整をして未知の国に飛び立った。そして、北のはずれにある彼女のアパートに居候させてもらった。一

1か月ほど経つと、俗に「モクテスマの復讐」と呼ばれるひどい胃腸炎を患った。16世紀初頭、新大陸征服のために訪れたスペイン人によって滅ぼされたアステカ帝国最後の皇帝モクテスマ2世の呪いだという。

日本から持っていった薬は効果がなく、現地で調達した強い下痢止めを使った。その上ほぼすべての食べ物にトウガラシが入っていて、外食すると、辛いものが苦手な私は唯一辛くないチキンスープしか頼めなかった。それでも 近所の住民は親切で、貧しいながらも助け合って生活しているのが心地良かった。

メキシコ人は陽気で、アスタマニャーナ(明日にしよう)やケセラセラ(なるようになるさ)という言葉でも知られるように、ラテンタイムで生きている。

今は携帯の普及で連絡は取れるようになっているが、当時は約束の時間に2時間ぐらい遅れることはしばしばあったし、来ないこともあった。また、約束していなくても、突然やってきたりもした。

人と会う約束をして、予定を書き込もうと手帳を取り出して大笑いされたことがある。彼らには明日さえどうなるか分からないのだから、手帳は必要ないのだ。それにどんなときでも決してノーとは言わない。パーティに誘うと、必ず、「うん、行くよ」と答えるが、来ないことも多い。断ると雰囲気がこわれると考えるらしい。

征服者スペイン人に従わざるを得なかった植民地時代の名残だとも言われる。メキシコ人同士では、来ても来なくてもいいという暗黙の了解があるらしいが、外国人には見当がつかないから困る。
 
あるとき、知り合いを訪ねたら、「これから結婚式に行くけど、一緒に行く?」と誘われて、なんとなく行ってしまったことがある。それは、自宅の庭で行われた家庭的でこじんまりとした結婚式だった。ウエディングドレスの花嫁とフォーマルな服を着た花婿が幸せいっぱいという表情で並ぶ姿を前にして、招待客の席でご馳走をいただいた。

知らない人ばかりの中に東洋人の女性がまじっていても、皆何の違和感も持っていないようにふるまった。私は表面上微笑んでいたが、ウエディング・ケーキをほおばりながら、「ここにいてもいいのかしら」という複雑な心境だった。

メトロポリタン大聖堂

ある夜、午前1時か2時ごろ、アパートでぐっすり眠っていた私の耳に、心地よい歌声が聞こえてきた。少しずつ意識が戻ってくると、それは愛の歌、セレナータだと分かった。甘く切なくて、しばらく心地良さに身をまかせた。

だが、こんな町外れのアパートに、それも夜中に何が起こったのだろう。どうやら、アパートの住人の男性が、市内で飲んで酔った勢いで「マリアッチ」という小楽団をつれてきたようだ。

メキシコは男性優位を意味する「マチスモ」が特徴的な国だ。奥さんたちはどんなに遅くご主人が帰宅しても、きちんと身支度を整えて待っていた。きっと突然のマリアッチの訪問を歓迎したに違いない。

マリアッチは、バイオリン、ギター、トランペットと歌い手からなる五人から10人ほどの小規模な楽団で、普段はメキシコ市の中央広場から徒歩で十分ほどのガリバルディ広場にたむろしている。

体にぴったりしたチャロと呼ばれる黒い上下の服をまとい、つばの広い帽子、ソンブレロをかぶっている。「シェリトリンド」や「ラ・バンバ」などのにぎやかな曲から、「ベサメムーチョ」などの愛の歌まで幅広いレパートリーがあり、2011年にユネスコの無形文化遺産に登録されている。

昔、若い男性が愛する女性の住む窓辺に行き、愛を告白するときにマリアッチを連れて行く習慣があった。すると、何事かと思った女性が、時には母親を伴ってベランダに現れる。男性の愛の告白に女性がにっこり笑って応えてくれればいいが、愛が伝わらずにバケツの水をかけられることもある。気の毒な男性はとぼとぼと去っていく。

真夜中のマリアッチのパフォーマンスは三十分ほど続いただろうか。やがて、にぎやかな話し声が聞こえて、彼らは去っていった。私は再び眠りに落ちた。

あれから四半世紀経ち、メキシコは遠い国になった。それでも、日本で時折テレビから流れてくるマリアッチの音楽を聞くと、セレナータを聞いた夜がむしょうに懐かしくなる。
 



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