完璧じゃない私たちへ / 下道 千晶_モデル・俳優
下道 千晶 モデル・俳優。
2015年に、房総半島へ移住。自然に寄り添う暮らし方を実践中。
また、天然藍を使った染め直しの活動「meets BLUE project」を始め、
活動を通して持続可能なライフスタイルを提案している。
この冬から春にかけて、Joscille skin&mildのローション、トウキ葉と米糠を使用していました。
私にとって化粧水って実は選び方がむつかしく、その後に使う美容液や乳液によって大きく左右されてしまう存在です。シャバシャバ過ぎても物足りないし、とろみがありすぎるのもトゥーマッチ。ちょうど良くて年中使える、相棒のような化粧水はないものか… そんななか出会ったのがこのトウキ葉と米糠のローションでした。
ポンプから手のひらにプッシュすると、おや?君はシャバシャバ系かい?と思うほどサラサラとしたローションなのですが、手のひらから顔に馴染ませると、びっくり。しっとりすいつくようなテクスチャーなのです。かと言って、ネッチョリし過ぎて次の美容液や乳液の邪魔になるわけでもなく、なんだかとっても「ちょうどいい」感じ。冬のスペシャルケアにも、春先の紫外線が気になり出したケアにも、どちらの私にも寄り添って味方になってくれるような存在でした。
どちらの私にも味方になってくれる、このことについて、最近感じたことがあります。
ここ数ヶ月、私はアドラー心理学をゆるゆると学んでいる最中です。
学ぶといっても、隙間時間にアドラー心理学について解説しているポッドキャストを聴くというくらいの、なんともマイペースな学びなのですが、子育て・教育のなかでアドラーの考えをどう活かすかという回で私にとって大きな発見がありました。
例えば子供が失敗してしまったとき。
私たちは「どうして〇〇しちゃったの」「なぜ〇〇できなかったの」とついつい原因を探ってしまいがちです。原因がわかることによって、同じ失敗を繰り返さないようにしてあげたい、という親心なのですが、実はこの声かけは子供の自尊心を低下させてしまう恐れがあるんだとか。
でも考えてみればそうなのかも知れません。「どうしてできなかったのか」を考えるとき、「できなかった自分」を同時に見つめ続けることになるからです。そう思うと「どうしてできなかったのか」を考え続けることは、「できない自分」にとどまり続けることになってしまうことなのかも。
では、失敗を放置すれば良いのか、というと、そういうことでもないのです。
大切なのは、失敗を糧にして、未来に向けて進むことができるように、子供たちを勇気づけてあげること。そのために私たちができる声かけは「どうすればよかったのかな」なのだそうです。この言葉には、失敗してしまったことがダメなことだと否定するのではなく、そんな自分を受け入れつつも成長するために考える、という前向きなニュアンスを含んでいるように感じます。
「何故できなかったのか」と「どうしたらよかったのか」。
微差のように感じますが、心のとらえかたは大きく違ってくるようです。「どうしたらよかったのか」は今の自分が否定されることなく前に進むことができる。子供たちにとって安心できる声かけだなぁ、と、この小さくて大きな違いにとても感動したのでした。
この感動をかみしめているうちに、ふ、と、気がついたことがありました。あれ、わたしはわたし自身にいつも「どうしてできなかったんだろう」「何故あんなことしちゃったんだろう」と声かけしてはいないかしら、と。
私たちは成長していくなかで、社会人としての自分、誰かの友人やパートナーとしての自分、親である自分、子である自分…、と様々な役割を担うようになりました。そしてその役割を一生懸命にまっとうしようとしています。その役割がよくできた時には自分を褒めたい気持ちになって、できなかった時には「どうしてできなかったのか…」とひどく落ち込んで、自分のことが情けなくって、価値がない人間のように思ってしまいがちです。
でも本当にそうなのでしょうか。何かが達成できたときにだけ自分には価値があり、失敗したり何もできない自分には価値がないのでしょうか。自分のことを価値のある人間だと言うのはとってもハードルが高いことですが、では、家族や友人や恋人は、自分に何か利益をもたらしてくれるときにだけ価値のある存在でしょうか。きっと、そんなことは、ないですよね。
だとしたら、自分にだってその優しい眼差しを向けても良いはずです。
頭の中のわたしが、今ここに居るわたしに、「どうしてできなかったの」「何故あんなことしちゃったんだ」そんなふうに声をかけそうになったら少しだけ言葉を変えてみて。「どうしたらよかったんだろうね」「これから何ができるかな」そんなふうに少しずつ自分を勇気づけてみるのはどうだろう。
失敗しない自分だけじゃなく、失敗しちゃう自分でも、信じて味方になってあげる。
完璧じゃない私たちが、それでも前に進むために。
わたしからわたしへ、ささやかなエールを。