小さなカケラ vol.16 / この頃しみじみと思う「特になし」 カヒミ カリィ_ミュージシャン、文筆家
年が明けてから何度か雪の日が続いて、しばらくの間、窓の外は銀世界が広がっていました。都会は雪が積もるとすぐに除雪しますが、田舎は誰にも踏まれずに残っている場所も多く、そこにまた新しい雪が積もり重なります。
我が家の裏に普段誰も気に留めないような小道があるのですが、その深雪の上には動物達の小さな足跡だけがずっと遠くまで続いていて、庭に置かれた沢山の植木鉢に積もった雪がアイスクリームのようにモコモコとしていたりなど、どれも何気ない光景ですが穏やかでとても良い雰囲気でした。今年のお正月からこの1ヶ月はあまり遠出せず、そんな素朴で静かな冬景色の中で過ごしました。
小さな丘の上にある家に住むようになって、一年半が経ちました。我が家から見える毎日の景色、普段は見慣れてしまっているけれど何となく特別に感じた時に写真を撮っています。先日、そういえばけっこう溜まったかなと思い、裏庭の風景写真を見返してみました。こうして改めて並べてみると、どんな一日だったか覚えていないような何気ない日も、実はとっても特別で良い一日だったように思えてきます。ふと、子供の頃に好きで観ていた、向田邦子脚本のドラマを思い出しました。そのドラマは下町にある老舗の足袋屋さんが舞台なのですが、その女将さんは毎晩、一日の終わりに茶の間で家計簿を付けます。その帳面の最後に一言メモをする欄があるのですが、女将さんは毎晩、『特になし』と書くのです。ある日、浪人生の息子が家計簿をペラペラとめくって「なんだよ、毎日特になしなんて、つまんねぇなぁ」と言いました。すると女将さんは「それがいいのよ、今日も何事もなく無事に一日を終えることができたなぁって思うのよねぇ」と答えたのでした。私はそのドラマを観た当時まだ小学生でしたが、子供ながらに何だか心にジンときて、今までずっと忘れずにいたのでした。
自分もすっかり大人になり人生も長くなってきた今、その『特になし』をしみじみ実感、共感するようになったなぁと思います。そういえば私はあの女将さんとちょうど同じ歳頃でしょうか。娘の寝顔を覗き、娘が閉め忘れたカ-テンから今夜の月を探します。
何気ない景色もその日の自分の気持ちと重なって滲んでいき、それはいつのまにか心象風景となっていくようです。
今年は年始に悲しいニュースが重なってとても胸が痛む一ヶ月でした。一日も早い回復、復興を心より祈念しています。
今年も何気ない毎日の中から大切な小さなカケラをたくさん見つけて行けたらと思っています。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします!
カヒミ カリィ
カヒミ カリィ
ミュージシャン、文筆家、フォトグラファー 。91年デビュー以降、国内外問わず数々の作品を発表。音楽活動の他、映画作品へのコメント執筆、字幕監修、翻訳など幅広く活躍。これまでカルチャー誌や文芸誌などで写真や執筆の連載多数。2012年よりアメリカ在住。
http://www.kahimi-karie.com
Instagram : @kahimikarie_official