
与えられる人から与える人に
経営学部マネジメント総合学科 4年
浅見竜輝
西村洋人君の次のブログを担当する浅見竜輝です。
洋人とは地元のトレセンも中学のクラブチームも高校も一緒で1番一緒にサッカーをしました。体力オバケで半分くらい分けて欲しかったな〜笑
Iリーグでチームを引っ張る姿はめちゃくちゃかっこよくて輝いてた!
これからもサッカー続けるみたいだし応援してるよ!頑張れ!
では引退ブログスタートします!
「一歩ずつ与えられる人から与える人へ変わってゆけたなら」
これは福山雅治の"家族になろうよ"という曲の中にある歌詞で、自分の今までの人生とこれからの人生を表している。
22年間家族,仲間,指導者など多くの人からいろいろなものを与えてもらった。
それは環境であったり、礼儀や挨拶、サッカーの技術など数えきれないほどある。
多くのものを与えてもらったのでこれからの人生では人に何かを与えることができるような人間に成長していきたいという思いを込めてこの言葉をタイトルにしました。
一歩ずつではあるかもしれないが与える立場の人間に変わっていきたい。
タイトルの説明はこのくらいにしておいて本題に入ります笑
幼稚園の年長から始めたサッカー人生が17年目にして幕を閉じた。
17年間のサッカー人生で1番自分を支えてくれたのは間違いなく家族です。感謝しています。
文句一つ言わず送迎をしてくれて、家に帰れば温かいご飯が用意してある。
両親が仕事で家にいなくても祖父と祖母が家で待っていてくれる。
尊敬できる兄がいる。
そんな幸せすぎる家庭で育ててもらいました。本当にありがとう!
引退ブログということで人生を振り返ることもなかなかないと思うので今回は 浅見竜輝 の人生を振り返っていこうと思います。
幼稚園の年長ぐらいかな?兄の影響でボールを蹴るようになった。
時間があれば庭でボールを蹴って、車にぶつけて怒られたり、家にぶつけて怒られたり、隣の家の庭にボールを入れて兄ちゃんとどっちが取りに行くか喧嘩したり…
この頃からサッカー中心の生活が始まった。
小学生では地元の高篠サッカースポーツ少年団に入り楽しくサッカーをすることができた。
少年団は土日に活動していたので土日が来るのが楽しみで仕方なかった。
サッカーが大好きで「プロサッカー選手になりたい!」という思いが強くなった。
中学生は中学校の部活に入ろうと思っていたが勿体無いと言われ、渋々兄が入っていたFC.CORUJAという埼玉県上里にあるクラブチームに入った。
中1ではメンバー外が3人とかなのにその中に入っていて公式戦は多分出てない。
中2はロングシュート打とうとしたら地面を蹴って足首を怪我してほぼやってない。
中3は少しずつ試合に絡めるようになったが、中2の時の怪我で半年やってないせいで+10kgぐらい増量してしまい全く走れない。
まじでこの頃はサッカー辞めたいが口癖だったね笑
高校は中学のクラブチームのFC.CORUJAと繋がっていた埼玉県の正智深谷高校に入学した。
頭悪いから勉強では高校に入れないし、兄ちゃんもいたしここでいいやくらいで高校を決めた。
高2からTOPチームで試合に絡むことができ、最高の経験をすることができた。
高2のインターハイ予選 vs昌平高校
この試合は今でも忘れることはない
同じポジションの先輩が怪我で自分が左サイドハーフでスタメンだった。
誰もが昌平高校が勝つと思っていたであろう試合で左足ボレーのスーパーゴラッソを決めた。
結果は格上相手に見事勝利!
あれは確実にサッカー人生1のゴールって言えるね

高3はコロナウイルスで関東大会もインターハイも無くなって辛い思いをいっぱいした。
活躍の場がコロナのせいでどんどん奪われていった。まあ辛いのは自分だけじゃなかったし、しょうがない。
選手権はなんとか開催できて、個人としても準々決勝、駒場スタジアムで聖望学園相手に1ゴールを決めることができた。
家族の前で点を取れたことはめちゃくちゃ嬉しかったな〜
けど準決勝で昌平高校に負けてあっさり引退。
小見選手がバケモンすぎてびびった。
小見半端ないって〜って感じだったね笑笑
そして大学は高校のサッカー部のコーチ(担任)が城西大学サッカー部OBだったこともあり城西大学の門を叩いた。
中学のクラブチーム,高校とずっと兄の背中を追いかけてきたが、勉強をしてこなかったツケがここで回ってきて同じ大学は目指せなかった。
⚠️重要 勉強は大事
大学初のカテゴリー発表ではTOP,A,Bと3つある中のAチーム
ここで今までのサッカー人生で1番怖いコーチこうたろうさんに出会った。
練習中何回下手くそって言われたことか笑
怒られて不貞腐れて、フルコートゲームの時みんなはチームで話し合いをしているのに1人だけ水を飲んでいて話し合いに参加しなかった。
まあ俺なりの反抗だったんだよきっと笑
その日の練習終わりクラブハウス前に呼ばれ練習態度を指摘されて、号泣した。
ここでも何回もサッカー辞めようとした。
でも現チームメイトの土田康太が
「辞めちゃダメだよ」と声をかけてくれた。
そのたった一言がめちゃくちゃ嬉しかった。心を救われた。
最高の同期を持ったなって改めて感じた。
そこから自分なりに頑張ってみようと思ってがむしゃらに頑張った。
すると、大学2年から少しずつ試合に絡めるようになり、大学3年時にはTOPチームとして多くの公式戦に出場することができた。
大学3年のアミノバイタルカップvs明治大学では、Jリーグのスカウトの方にいいプレーだったと褒めて頂いた。
諦めずに頑張ってきて良かったと感じた瞬間だった。
自慢話はさておき…
ラスト大学4年は怪我もしたし、なかなか試合に絡めなくて辛いことの方が多い1年間だった。
同じポジションに元輝や佐藤遼などスーパーなやつしかいなくて正直スタメンで出れる気はしなかった笑
後期の立正大学戦で関東リーグラスト4試合くらいなのにメンバー外になった時は「あ〜俺の大学サッカーここで終わりか」って思ったね笑
けど最後の2試合はスタメンで出ることができて本当に嬉しかった。
ただただみんなとやるサッカーが楽しくて仕方なかった。
大学ラストのリーグ戦 vs神奈川大学では2得点を挙げることができた。
みんなが駆け寄ってきて喜んでくれた
最高の瞬間だったな〜
これだからサッカーは面白い!!!
この試合は4年生が点を取って勝った試合
4年生全員が意地を見せた試合だと言っていいだろう
後輩達に最後の最後でかっこいい姿を見せれたかな?笑
最後の笛が鳴ってホッとした気持ちや寂しい気持ちなどいろんな感情が込み上げてきた
一輝と康太泣くからもらい泣きしちゃったよ〜笑

この4年間でいろいろな経験をして多くのことを学びました。
こんな最高の環境でサッカーをすることができたのは家族、指導者、チームメイトみんなのおかげだと思います。
ありがとうございます。
いっぱい書いて疲れたので 浅見竜輝 の人生の振り返り終了します!
最後に…
家族へ
両親、兄ちゃん、祖父、祖母 悔いなく最後までやり切ったよ!
どんなときも1番の味方でいてくれてありがとう!
少しずつかもしれないけど恩返しできるように頑張ります!
父母の老後はちゃんと面倒見るから任せてね笑
後輩へ
人見知りだからあんまり後輩と関わりを持たなかったけどいい後輩ばかりで楽しくサッカーできました!
試合に絡めなかったり色々あると思うけど、絶対チャンスは来るから腐らずに最後までやり切ってください。
降格させちゃって申し訳ない。絶対2部の舞台に戻るんだぞ!
同期へ
毎週火曜の走りとか辛くて苦しいこともいっぱいあったけどみんなと一緒にサッカーできて楽しかった!みんなに何回も救われました。ありがとう!間違いなく世界一の同期です!
読みにくい引退ブログになってしまったかもしれませんが書きたいことは書けたので満足です!
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇
次の引退ブログは関東リーグ3部ベストイレブンにも選ばれた男!城西大学のエースストライカー吉川元輝くんです!
元輝は優しくて、かっこよくて、サッカーもうまくてダメなところがない完璧な人間です。
元輝とはラストの合宿で同部屋になったり、ゼミが一緒だったりいっぱい思い出があるけど1番の思い出は関東リーグ最終戦でスタメンでお互い点を取れたことかな!
引退しても仲良くしてね笑
それでは元輝の引退ブログお楽しみに〜