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空白の3ヶ月
経営学部マネジメント総合学科 4年
土田康太
こんにちは。今年の引退ブログのトップバッターを任されました土田康太です。いつもふざけてる僕ですが、今回は真面目にいきます。でも、正直文章を書くのが苦手すぎて、下手な文章だと思うけど最後まで読んでくれると嬉しいです。
ここでは主に大学4年間を振り返ろうかなと思います。
特に今年を多めに、、
大学4年間を振り返る前にまず、サッカーとの馴れ初めから、、
いつも保育園で仲良くしてた友達のお父さんから「サッカーのフェスティバルあるから、一緒に行くか」
その言葉につられて参加したしたのが初めてだった。
元々足が早かったから、めっちゃ活躍してサッカーにハマったのを今でも覚えています。友達のお父さん、誘ってくれてありがとう。ここまで続けてこれました。
少し飛んで、
「高校三年生」
そろそろ進路を決めないといけない時期になり、大学でサッカーをやるか、普通に大学に進学しようか迷っていた。自分の高校のサッカー部(水戸葵陵)は大学まで行ってサッカーを続けるという選手が少なく、みんな辞めると言っていたこともあり、本当に迷っていた。そんな中複数の大学から練習会の誘いがあり、参加してみた。高校の練習では体感できないレベルの高さにもっとサッカー上手くなりたいなと思い、城西大学に入学を決めた。今ではこの選択は本当に合っていたと当時の自分を褒めてあげたい。ナイス自分。
「大学1年生」
カテゴリーはAチーム。担当のスタッフはめっちゃデカイ人、こうたろうさん。まじで怖かった。当たり前のように怒鳴られて、走らされて、最初はビビりながらプレーしてた。
「下手くそ!」
「オープン持ってBゾーンだろ。」
色んな罵声が今でも思い出すけど1番自分の中で覚えてるのは
「1年のせいで練習にならねーよ!」です。終わった。これヤバいやつだ。たぶんこうたろうさんは覚えてないと思うけど、同期の僕たちはみんな覚えてると思います。
いつしか、あの白い車があるかないかチェックするようになっていた。でも、言われているうちがまだ花だし、こうたろうさんの怒鳴り声はすんなりと心に響いていた。間違ったこと言ってないし、ただ自分の実力不足だとわからせてくれた。今では本当に感謝しかない。ありがとうございます。
「大学2年生」
春の彩の国カップのメンバーにドッキリで入ってるのを修平から聞いた。でもカテゴリーはAだった。1年生の時よりも出場出来たし、それなりに手応えはあった。夏にTOPチームの遠征に呼ばれた。嬉しかった反面、ちょっとまだ早いんじゃねって思ってた。案の定何も出来ずにAチームに即戻り。正直悔しいとか思わなかった。また頑張ろうと思えた瞬間だったのかも、
この年はTOPチームが関東リーグに所属してたから新人戦があって、結果は1勝4敗。何も出来ずに終わったけど、いい経験が出来た1年だった気がする。
「大学3年生」
「この年が個人的に一番きつかった」
ある意味勝負の年だと思って望んだ3年目はTOPチームだった。彩の国カップでは試合にも出場できて、チームは埼玉県大学予選を優勝した。人生で初めて県優勝して、めっちゃ嬉しかった、けど決勝は体調不良であんまり喜べてない、
この年は関東3部リーグでチームはほぼ負け無し。
前期はほぼベンチで試合を見てた。そんな中、東京学芸大学戦でまさかのスタメン。緊張。同じくやなこうも、初スタメン。チームとしては3-0で勝てて、個人的にも良かった試合だった。試合後にりんさんに褒められた時、おれとやなこうは鼻の下伸びまくってた思う笑
しかし、後期リーグになり、1試合も出場出来なかった。不貞腐れてた。システムが変わったから、とか矢印が違うところに向いてた。出れない中チームは順調に勝ち続けて、優勝した。個人的には悔しい気持ちが大きかったけど、当時の4年生には本当にお世話になってたし、飲みにもよく参加してたから、サッカー出来なくなるのは寂しかった。お世話になりました🙇♀️
「大学4年生」
ようやく自分たちの代になって、気合いを入れて望んだ1年だった。サッカーだけでなく、人としても、先輩としても、どう振る舞うべきかよく考えるようになった。舞台は関東2部リーグ。この上ない環境でサッカーができる、ワクワクしてた。関東リーグ開幕前、遠征だったり練習試合でスタメンで、結構手応えはあった。全然やれるそう思ってた。迎えた開幕戦。絶対チームを勝たせる、そう思ってた。でも、ベンチ。正直なんでって。今年もこれか。正直きつかった。でも、やるしか無かった。そこで腐らなかったのが、3年生の時より成長できた部分だったかな。そこから徐々にスタメンで出れるようになった。でも、チームとしてはなかなか勝てなかった。出れてる嬉しさと負けの悔しさが入り交じって難しい感情だった。
"空白の3ヶ月"
いつの日かグランドに行くと吐き気や頭痛があった。そんな日が続いてた。みんなはチームが苦しい状況の中頑張ってるし、なかなか言えなかった。夜は寝れなくて、体はずっと筋肉痛。食欲も出なくて、ほんとに生きてる心地がしてなかった。今野さんとも話して、休むことを勧めてくれた。実際に休んでた期間は3ヶ月間。みんな心配のLINEをくれたり、電話で近況報告をしてくれたり、ほんとに優しくしてくれて、最高の仲間に恵まれた。ありがとう!
少しずつ体調も良くなってふと、ボールを蹴りたいと思った。少しずつでもいいから復帰できるように頑張ろうと思うようになった。正直、復帰して試合に勝ちたいというよりも、みんなとボールが蹴りたいな、その思いだった。久しぶりにグランドに行ったときに、みんなが快く迎え入れてくれて、泣きそうになった。やっと復帰できた。心の中では復帰できないで終わるんだろうなとも思ってたから、自分の中では奇跡だと思ってる。改めて、みんな本当にありがとう。
リハビリでは、田島トレーナーにブチ切れたり、ほんとに自分勝手でした。ごめんなさい。それでもたじさんは「復帰するぞ康太」と毎日鼓舞してくれました。内心無理だろと思ってたけど、たじさんのおかげで復帰出来たよ。ありがとう!
復帰してから試合にも出れて、本当に嬉しかったし、楽しかった。
でも、結果としては、降格。正直悔しい。
大学最後の年でなかなか勝てない。ほんとに後輩たちには申し訳ない気持ちしかないです。でもすぐに2部に上げてくれると信じてます。なんなら1部まで。
ダラダラと書いててもキリがないので、
後輩たちへ。
本当に仲良くしてくれてありがとう。
いつでも、なんかあったら連絡してきてね。
多少なりともアドバイスくらいは出来ると思う、、、たぶん。
これからの活躍期待してます。
同期へ。
本当にこのメンバーでよかった。1年生からあっという間に4年間終わったけど、ほんとにみんなのおかげで楽しかった。学校でも部活でも仲良くて、卒業したくない。これが本音。みんな卒業してからも、定期的に集まって盛り上がろうね。
そして何より、マネージャーとしてチームを支えてくれたしの。本当にありがとう。いつもだる絡みしても優しく受け流してくれて助かりました。感謝です♡
スタッフの皆様へ
東海林監督をはじめ、スタッフの皆様。こんなにわがままで生意気な自分を4年間指導して下さり、ありがとうございました。サッカーとしても人間としても、成長出来た4年間でした。お世話になりました。顔出しに来た時に誰だっけみたいな顔しないでくださいね。笑
お父さん、お母さんへ
これ読んでるか分からないけど、これまで18年間サッカーを続けさせてくれてありがとう。ずっと自分の味方でいてくれて、ずっと応援してくれて、感謝してもしきれないです。少しでも親孝行できてたらいいかな。
これからはサッカーじゃないけど、違う形で親孝行できるように頑張るね。本当に今までありがとう。
最後に、18年間サッカーに青春を捧げた自分にお疲れ様。
そして、僕から次の人にバトンパスしたいと思います!次の人は、、、高田です!
意外と真面目な一面がある高田のブログに期待してください。それではよろしく高田。