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18年の思い出
経営学部マネジメント総合学科 4年
川崎 涼介
小島 嵐から紹介を頂きました川崎涼介です。
嵐とは海とか富士急とか行った仲だし、練習終わりは車で坂戸駅まで送って貰ったりとか色々お世話になりました!3年になってからはカテゴリー離れちゃって練習終わりとかはあまり話せなくなったけどAチームでみんなを引っ張っていく姿は見ててかっこよかったです!まぁ三國ゼミ行けば学校で会うししなんだかんだ4年間意外と近くにいた存在です。ありがとうございました!
とうとう引退ブログを書く時期になりました。良い事を書いてやろうなんて思うものの、いざ書くとなると何を書いたらいいか分かりません笑
これまでのサッカー人生を振り返りつつ、自己満にはなりますがこれまでのことを書いていきます。
拙い文章で長くなると思いますが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
サッカーを始めたのは4歳の時。大宮アルディージャのサッカースクールで始めました。
自分がやりたい!って言って始めたかどうかなんて覚えていませんが、おそらく言っていただろうし、父や兄の影響で始めたのだと思います。
小学生になって三原FCという地元の少年団に入りました。この頃は、小学校に行く前にお父さんが仕事へ行くタイミングで一緒に家を出て、近くの公園でラダーや、リフティング、ドリブルの練習をしていました。そして家に帰ったら朝ごはん食べて学校に行くという生活を送ってました。ラジオ体操をやっているおじいちゃん、おばあちゃん達と毎朝顔を合わせていたので少し仲良くなったりもしました。
今でも朝早く出てその公園を通りかかるとその人達はラジオ体操をやってて、継続力えぐいです。
名前も分からない人達だけどこれからも元気に頑張って欲しいです。笑
脱線したので話を戻します。
三原FCでは仲間にも恵まれ、少年団の中では高いレベルでやれていたと思います。
しかし、学年が上がるにつれて中学受験のための勉強で辞める子や別のチームに行く子が増えたので、自分も4年の頃に少年団を辞め、プログレッソサッカークラブに入りました。
クラブチームはレベルも一気に上がり、少年団じゃあまり無かった素走りもやるようになりました。
それでも、トレセンに呼ばれたり試合に出れる喜びやクラブユースで県2位にれたことでサッカーでの喜びを知りました。
大学までサッカーを続けたのはこの時期に良い思い出が作れたのがいちばん大きいと思います。
中学でも良い思い出、
良い結果を残したい!
そんな思いでFCフェスタに入りました。
1年の夏から2年に混ざってサッカーをさせもらうことが出来ました。
ただ、どんだに頑張って思い返しても練習していた記憶より走った記憶ばっかりです。
吐くか足を攣るまで続く走り。夏の遠征なんて5時に起きて20キロ。
朝ごはんを食べてお昼まで走る。お昼を食べたら夜まで走る。
対外試合を組めても、パス禁止のドリブルのみでボールを取られたら1番近くのラインからでて、1周まわってきてから試合に戻る。走ってばっかりです。
そんな6泊7日。
逃げ出してしまいたい記憶しかないです。笑
それでも夏を抜けるとボールを蹴れることもあって、そうなるとやっぱりなんだかんだ楽しくて。。
そんな日を過ごして、気づいたら3年目。3年目はちゃんと思い出あります!
クラブユースでは関東大会に出ることも出来たし、その舞台でハットトリックすることも出来ました。この時期が全盛期だったかもしれません。きつい思い出ばかりだったけど、この経験があったおかげで報われたという様に思ったし高校でも頑張ろうと思えました。
埼玉栄高校に入学し、2年生からトップチームに呼んでもらえたものの、出場時間は少しだったし、相手GKとの接触で半年間の怪我をして全然出れませんでした。
今年こそはと意気込んだ3年目はコロナの影響で大会が無い。選手権は開催されたもののベスト16で敗退。
まだやりきれてないという気持ちが強かったので大学でもサッカーを続けることを選択し、城西大学のサッカー部に入部することを決めました。
入学前に集まったメンバーを見て不安になったのは今でも覚えてます。全国大会でよく目にするチームの選手や、Jクラブのユースの選手が多く、そんな中「自分なんかが通用するのかなぁ」そう思ったのが1番でした。
1年目は当たり前のようにBチームでサッカーをしていました。
でもあまり悔しさなんてなかった気がします。Iリーグに出れていたし、何より勝ててたから楽しかったです。
なんか高校の延長みたいだななんて思ったりもしていた気がします。
今思い返せば、この頃からもっと本気でやるべきだったのかなーって少し後悔しています。
本気でサッカーに向き合い始めたのが2年目。
この年はAチームに入ることができたが、3ヶ月あまりでBチームに落とされました。
今までのサッカー人生で初めてのチーム降格、挫折を味わうとともに、ふと
「4年生の時にAチームでスタメンで出れるようになれればいいなぁ」
なんて甘い考えをもった自分が生まれました。
その意識が変わったのが1.2年生のみで行う新人戦。
皆には言ってこなかったけど自分の中ではこの大会が転機になりました。
前日はフットサルでサッカーの練習に参加しておらず、場所が分からなかったので陽生に聞いたら試合会場を嘘つかれて遅れました。笑
そのため出場したのは後半からだけど、日体戦に右のアウターで出場しました。
1年ちょいぶりにトップチームや、Aチームの同期と一緒に試合に出て楽しかったのを覚えています。
Iリーグで戦う相手より上手いし強くて、それでも味方も同じくらい上手かった。そんな中で自分が出れる喜びを感じるとともに、こういう中でもっとサッカーをしたいって思うようになりました。
その後は股関節の怪我をして、あまり長引かなかったものの、復帰する頃には新人戦はもちろん、Iリーグも終盤に差し掛かっていて、あまり出場することが出来ませんでした。でも、「4年の頃にはAチームで」なんて甘い考えはなくなっていました。そこからはトップチーム以外で編成されるフットサルにも本気で取り組み、キャプテンなんかもやらせてもらっちゃいました。
今では自信をもてる守備能力を身につけることが出来たのはフットサルのおかげだし、本当にやって良かったと思います。柴さんありがとう。この年は怪我もあり、昨年に比べて試合に出ることは少なかったけど、サッカーに本気で向き合うようになって、今の自分の立ち位置まで登れたきっかけになった年だと思います。
3年目のカテゴリー発表。
昨シーズンがBチームだったからまずは
「Aチームに入ってちゃんと試合に出てプレーレベルを上げたい」
そんな風に思っていました。送られてきたカテゴリー分けを見るとなんと、トップチームに名前がありました。自分でも驚いたけど素直に嬉しかったのを覚えています。
でも、それと同時に昨年のことを思い出し、絶対に落ちたくないと強く思いました。でも、そう思えば思うほどプレーは上手くいかくなって、トップチームの練習の雰囲気もBチームとは全く違い慣れなくてビビってサッカーをやってました。上手くいかないまま昨年のカテゴリー昇降格がある時期。
「あー、落ちるのかな」
部活後、最寄り駅に着いてから自宅まで歩いてる間にそんなことを考えていたら、ふと涙が出ていました。普段サッカーに対してあっさりしてるって言うか熱いことを言うようなタイプじゃないし、みんな驚くと思います。なんなら自分でも驚きました。
「俺ってサッカーで泣くんだ」って。
小学生の頃に必死に朝練していた公園で泣いて、そのままの勢いで今野さんに連絡して、次の日の練習後少し時間を貰って相談したのは今でもはっきり覚えています。今野さんは自分の話を1度聞いたうえで、ちゃんとオフ明けのプレーを見てメンバーを決めているし自信を持ってプレーしていい。
という言葉と共にアドバイスを少しもらいました。
そこからは何かが吹っ切れたようにがむしゃらに頑張れました。トップチームには何とか残れたものの、関東リーグはメンバーに入れず悔しい思いをしました。
けど、やり続けるしかない。
そう思って頑張り続けたことで、後期からは安定してメンバーに入り途中出場ではあるものの試合に関わることも多くなりました。
チームも勝ち続け関東3部優勝とともに関東2部昇格を決めました。この年は試合に出れない悔しさを感じながらも、努力と結果が繋がり始めて充実した1年でした。
4年目は、今年こそ試合に多く絡みたいと意気込んだ中始まったものの、怪我をしてリーグ開幕前にアピールが出来ませんでした。
ただ、春休みのスタッフとの面談で守備能力と走力に関して評価してもらえてる話を聞けたので、復帰後はそこを意識して練習に取り組みました。
ギリギリの復帰だったこともありスタメンでは出れませんでしたが、途中から試合に出ることが出来ました。この試合は落ち着いて試合に入ることができたし、それ以降の試合は前期の立正戦を除いた20試合全てでスタメンで出ることが出来ました。
2年の頃に思った4年の頃にはAチームで出たいと思ったものをはるかに超えた結果に個人としては本当に嬉しかったです。
これまでのサッカー人生で1番本気でサッカーに取り組んで、本気で喜んで、本気で悔しがって、1番サッカーを楽しむことが出来たと思います。
でも、個人の状況とは違いチームの状況は良くなくて、失点が抑えられなかった。前期で積んだ勝ち点は7。
夏の中断期間の遠征でマネージャーの誕生日だったこともありそれを祝うために4年生が部屋に集まった。
お祝いをした後に残り半年の意気込みを言い合う会が始まって、それぞれの想いを述べました。
誰の話を聞いても残留したい。みんなで勝ちたい。
という言葉が出てきて、チーム愛あふれる塚田が涙を流し始めた時には11人いる中で半分は涙を流しながら本気で半年頑張ろうと誓った。
まぁ元輝は泣いてるみんなを見てニヤニヤしてたし、高田は目の前のケーキにしか目がいってなかったけど。。。
中断明けは早稲田に勝利、順天に引き分けと上位相手にも戦えたし、何よりセットプレーの失点が減ってこのままいけると思ったものの、法政に1-2で負けると続く産能にも負けてしまった。
その後の立教に勝てたりしたものの、第20節 慶応戦の0-1で敗北し、降格が決定した。
本当に悔しくて、中学の関東大会よりも高校サッカーの選手権予選よりも今までの中で一番悔しかった。
あぁこれで終わりかぁ。って。
でもその直後の練習試合前の円陣で康太が
「降格は決まったけど4年生は残り2試合で後輩たち何を残せるか、3年生以下は来年に繋がるために何ができるか考えてやっていこう」って話をして、
その時に結果はダメだけど最後までやり切ろう、それが何か残すきっかけになるんじゃないかと思い残りの2週間の練習に励みました。
最終節は勝つことが出来てみんな泣いてたね。引退するってことも含めて。もちろんそれに自分自身もうるっとは来たけど後輩が泣いてくれたり寂しいって言ってくれたことが嬉しかった。
康太が言ってた4年生は何を残せるかって部分で何かしら残せたのではないかなって思います。
結果として降格させてしまったことは本当に悔しいし来年戦う後輩たちには申し訳ないと思う。
でも、ここまで熱くみんなで戦って何かをやり切ったことは自分の中で本当に大きなものになったし、人生において忘れられない思い出になると思います。
なにより、ひとつの目標に向かって皆で戦っていくのが楽しかったし、その一員として戦えたのが嬉しかったです。
18年間のサッカー人生がやっと終わったーってそんな気持ちもあるけど、いつも通りグランドに行って、みんなの顔みて、週始めは走ってっていう当たり前だと思っていたものが無くなるのは寂しいです。
4歳から始めたサッカーには、ここには書ききれないほどの多くの思い出と共に自分をここまで成長させてくれました。
18年間のサッカー人生は辞めたいと思う時も沢山あったし、辛い・苦しいことも多かったけど、それでも誰が決めても喜ぶ瞬間、勝った瞬間はそれらを忘れるくらい本当に最高でした。楽しかったです。サッカー大好き!
スタッフの方々へ
東海林監督をはじめ、スタッフの方々。さらには、大学に入ってからではなく、小学校からのスタッフの方々。未熟な自分がここまでやってこれたのは皆様おかけです。充実したサッカー人生を送る中でのご指導とサポートありがとうございました。
後輩達へ
Aチームから落とされても、昨シーズンが1番下のカテゴリーでも、シーズン途中でも、このチームは上のカテゴリーを目指せます。自分を信じて最後までやりきってください。上でも書いたけど自分自身が無理だと思ってた事でも頑張り続けていれば評価してくれる指導者がいます。チャレンジし続けて頑張ってください。応援してます!何か相談事あったら連絡してください!
同期へ
ありきたりな言葉だけど4年間本当にあっという間でした。誰かしら騒いでていつもうるさいメンバーだけど本当に楽しかったです。自分が辛くてもクラブハウスに行けばみんなのうるささがあって、笑顔があって、最高でした。それぞれの道に進むけどみんなで集まってワイワイしましょう。では、また。
最後に両親へ
まずお母さん。いつも家ではこれやってーあれやってーってわがままばっかり言ってごめんなさい。そして、自分でやりなさいって言いながらもなんだかんだで協力してくれてありがとう。大学入ってから一人暮らしの学生もいて、部活後にご飯作る人がいる中で自分は帰ったらご飯があること、サッカーに本気で取り組む環境があることのありがたみを感じました。辛い時期があってもここまでサッカーに全力でぶつかってこれたのは間違いなくお母さんのおかげです。ありがとうございました。
次にお父さん。小さい頃から自分が好きなことをやる為に沢山の時間とお金を使ってくれて迷惑かけてごめんなさい。そしてありがとうございました。お父さんには、高校入る前?入ったあとも?それくらいの時期までサッカーでもサッカー外でもよく叱られてきました。18年間のサッカーの中で考えてもいちばん怖い指導者はコーチではなく、お父さんでした笑笑 やっぱり怒られる時はなんだよ、とか分かってるよ、って思うこともあったけど今思えばここまでサッカーをやり続けられたこと、ちゃんと人としても成長してこれたことはお父さんのおかげだと思います。ありがとう。こんなこと言ってこなかったけど、就活の面接の時は将来像とか聞かれるんだけど、父親に憧れていて私も父親のような立派な人間になりたいとか言ってたんだよ。まぁ具体的にどういう部分かはここでは書かないけどね。すこーーーーし、いやけっこう尊敬してます笑
2人ともここまで育ててくれて、18年間サッカーをやり続けさせてくれてありがとう。これまで沢山のお金を使ってもらったし、家族の時間も奪ってきたと思います。高校からはあまり目指せてないって話をこの前したけど、ここまでやらせてもらったのにサッカーを始めた頃のプロサッカー選手になるという夢を叶えられなくてごめんなさい。それでも、サッカーではサッカー外のことも多く成長するのとが出来たので、これからはサッカーで学んだことを活かし、立派な社会人になって恩返するので楽しみに待っててください!
ps.地元の友達h君へ
引退試合の日、大学サッカーの辛かったこととかを話した時に俺以上に泣いてそしてやり切ったこと褒めてくれたの嬉しかったけどこれ読んでまた泣かないでね
明日の引退ブログはモンスター大好き鉾 修平君です。
彼は、私がエナジードリンクを飲むと「また飲んでる!」って騒ぐくせに彼が1番飲んでます。じゅんせいの報告によれば家の冷蔵庫にもストックしてるらしいです。恐らく自分が飲んでる時にみんなに反応して欲しくて飲んでる人を見つけたら騒ぐのだと思います。このエピソードから分かるようにとてもかまってちゃんなんです。いつも周りと比べてちょっと浮いて、、じゃなくてスター性抜群です。そして何よりサッカーに対してはとても本気で信念持ってサッカーに取り組んで来たと思います。これまでのサッカー人生の熱い話を読むことが出来ると思いますので彼のブログも是非読んでください!
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