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感慨無量

経営学部マネジメント総合学科 4年
野口新太


タケシ(本多祐希)から紹介していただきました。
なんでタケシかというと(-_-)こういうことです。
これ以上いうと、いやすでに殴られそうなのでやめときます。
小学生のチームから一緒のゆうきからバトンを受け取ることができて感無量っす!!
ゆうきー!❤️


みなさんお久しぶりです。
4年目にして8月頃に辞めてしまった野口です。
自分が引退ブログを書くのはなんかおかしいと思っていたのですがみんなから書けと言われたので書かせていただきます。
まず、サッカー選手が終わるということで17年間のサッカー人生を振り返ります。



・幼稚園年中〜小学6年生(城北アスカFC)
姉や友達がサッカーをやっていたため興味本位で始め、地元で1番強い城北アスカFCに入りました。ここが自分のサッカー人生の始まりです。
とは言っても試合に中々出れずベンチで座って見ている中、目の前で負けているのを見て自分の無力感を感じ悔しい思いをしていましたね。
でもその時の自分は向上心があり、毎日1人で朝練したりとにかく努力してました。
その努力がみのり北区大会の決勝で点を決めたこと、新聞に名前がのり、どんな選手になりたいかという質問に「リオネルメッシになります」と答えてたことは忘れられない思い出です。
ちなみに本多くんとはここで出会いました。
今と全く変わらない本多くんとかわいい野口くん探してみてください↓


・中学生(田口FA)
多分サッカー人生で1番上手くいった時期ですね。3年間一度もスタメンから外されることが無く、調子良すぎて自分が1番上手いんじゃねえかと勘違いするほど上手くいってました。
でもこの時も努力してたと自信持って言えますね。
チーム的にはあんまり良い成績を残してなくスタッフからは「最弱の代」などと言われてたけど、仲間とは仲が良く楽しくできてたからオールOKということで。
栁原光汰君もここで一緒でした。
ここでも本多くんと野口くん探し↓


・高校生(山梨学院高等学校サッカー部)
栁原光汰君との同部屋(2人部屋)からスタートした高校。この時から仲良くなり今ではお兄ちゃん呼びですね。
正直、この時期は1番振り返りたくない時期です。
「日本一」という普通じゃとれない称号を手に入れてしまいました。日本一なのになんで振り返りたくないの?という疑問の声が聞こえるので答えます。1試合も出ることなくスタンドにいる中、チームがあの青森山田に勝ち日本一になったからです。そうなんです。何もしてないのです。ただ試合を見ていただけで金メダルとチャンピオンTシャツが手に入ったんです。
多分この立ち位置の自分にしかわからないぐちゃぐちゃな気持ち。嬉しいのか悔しいのか。
一緒に頑張ってきたメンバーが日本一なのはすごく嬉しかったけどなぜそこに自分がいないのか。
この時はまだなんでそうなったのかわかりませんでした。



・大学生(城西大学サッカー部)
ここでやっと城西での振り返りになります。
お待たせしました。
成功も失敗も全部味わった4年間です。

1年目は主にフットサルでの活動が多くIリーグには一度も出たことがないそんな1年間でした。
サッカー部なのにフットサル?ってなると思いますがサッカーと共通する部分がたくさんあり学ぶことが多くやってて正解でした。

2年目からはTOPチームに上がることができましたが、前期はチームに馴染むことができずにいました。そこで助けてくれたのが、稲葉のアニキ!
無茶振りぶち込んできたりして大変だったけど、そのおかげで少し馴染めるようになりました。プライベートでは2個上の東実メンバー(しゅうとくん、あらたくん、なんよう、りゅういちくん、るかんくん)に遊びに連れて行ってもらったりして色んな面でアニキです。祐希とノア(俺らしか勝たんの会)ともよく集まり気づいたらサッカーの話しをしていました。
そんな人達のおかげで後期からスタメンででることができました。
そしてなんと我ながら関東大学選抜にも選ばれて、あんな透かしてる感じだったけど、プロいけるんちゃうとか本気で思ってて大天狗になってました。
この時は来年俺かりょうが10番じゃね!とか斎藤くんと語ってました。
そんなりょうくんはしっかり10番。器の大きさに差がでましたね。

3年目、そんな思いは束の間、一気に調子が悪くなりとうとうメンバーにも入らなくなりました。富士急の高飛車くらい急降下でした。

4年目になり最後の年となりましたが、正直なところ出れないことに対しての疑問や不満がありました。
ここが自分の弱いところなのですが耐えることができず辞めてしまいました。
最後まで一緒にできず、仲間には申し訳ないです。ごめん。

サッカーと離れてからサッカー人生を振り返ると失敗してきた原因が明確に見えてきました。
高校で出れなかったのも、大学で出れなくなったのも。そうなんです。

「気分屋」だったのです。

調子が良ければ頑張るし、調子が悪いと不貞腐れるし。サッカー以前の問題でした。
周りからよくガキと呼ばれていた理由がわかりました。

17年間のサッカー人生が「気分屋」で終わってしまったのです。

多少なりともプロという道が見えかけていたのにも関わらず、「気分屋」で終わったのです。

結局最後まで後悔することになったのです。
でも楽しいものだったし幸せだったし。
なんとも言えない感情です。


それでもこの17年間は充実したものであり、叶わずとも夢を追いかけていた人生は最高でした。
それも、遠くから試合を見にきてくれたり、試合後にご飯行ったり、アドバイスくれたり、何より自分の成功を1番に願ってくれた家族、応援してくれていた友達、一緒にプレーしてくれた仲間たち、サッカーを教えてくれたスタッフの方々のおかげです。
夢を叶えられずすみません。
本当にありがとうございました。

辞めた身にも関わらず長文になってしまい申し訳ありません。やりきりました。
サッカーを通して人としても成長できたのかなと思うので、後はガキっぽいことなくして、大人になります。

最後まで見ていただきありがとうございました。


次は、近江海星くんです!
城西のプリティーボーイ!
オープンからのBゾーンは世界一!
特徴は「歯」です!
海星ごめん笑

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