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私が見つけた一つの喜び

経営学部マネジメント総合学科 4年
福山詩乃

歩から紹介いただきました。
マネージャーの福山詩乃です。
歩とは部局が同じで、教えたことをすぐに吸収し、プラスで個人の考えも出してくれる頼りになる選手でした!
フットサルの広報とっても助かってましたありがとう。


日頃より城西大学体育会サッカー部への多大なる
ご支援、ご声援、誠に有難う御座います。

このブログでは思うことを正直に書こうと思います。
拙い文章ではありますが、ぜひ最後まで読んでいただけたらと思います。


遡ること4年前の5月。

悩みつつもサッカー部のInstagramにメッセージを送り、数回の見学を経て、4年間やり切ると覚悟を決めて入部を決めました。


LINEの同期グループでみんなに知らせた時、暖かく迎え入れてくれた事を今でもすごく覚えています。
あれから4年経った今も、変わらず仲良くしてくれてありがとう。



自分にマネージャーが務まるのか不安で、そんな時に関一サッカー部のGKコーチからこんな言葉をいただきました。

「どんな大人でもミスしてる。
始めからできる人なんていない。出来るために努力してたら見てる人は助けてくれるよ。」

この言葉は4年間ずっと頭の片隅にありました。
できないことがあったとしても、日々の行動で助けたいと思ってもらえるような人でい続けようと。

初めは右も左も分からなかったのに、今では何が起こっても怖くないくらい色々な経験をして成長しました。
色々なリスクを考えて動けるようにもなった。
分からないこともスタッフや先輩たちにたくさん聞いて、いろんな人に助けてもらいました。

入った当初はなかなか名前も覚えてもらえず、先輩選手からマネージャーさんと呼ばれることもあった。
もちろん頼られることもなかった。
そりゃそうですよね。
入ったばかりの子に仕事任せてもできないと思うだろうし、先輩マネさんといれば先輩に頼むでしょう。
その方が早いだろうし。

でも早く仕事覚えて貢献して、チームの一員って思われたかった。

とにかく名前を覚えてもらえていないことが悔しすぎて、ホームページ見て全員の名前と顔を覚えて、何か聞く時は必ず名前を呼んでから聞いた。

私はもう貴方の名前覚えてますよ‼️‼️
ってアピールしてた。

仕事を貰う為にグラウンドに毎日来たり、何していいか分からない時は、とりあえず練習終わりの選手たちの負担が少しでも減るように、当時毎週のようにみんながやってた草むしりを最初から最後のカテゴリー練習が終わるまで1人でやってみたり。笑

当時は色んな選手に心配されたし、今考えると結構やばい。笑

だけど確立された仕事がないなら動くしかないので、当時の私はそういうところから信頼を少しずつ得ようとしてました。

気付けば、名前で呼んでもらえるようになったし、顔を覚えてもらえるようにもなったし、いきなりできた仕事をスタッフから頼んでもらえるようになりました。

1年生の時は仕事を貰うことにも苦労したけど、そこから私の考え方が変わっていった。

やりたいことをする為にやりたくないこともする。

やりたくないことも頑張っていれば
いつか自分のやりたい事ができるようになると思います。
やってみると意外と楽しかったりもするよ。

4年間で起きた辛かったことも全て今の自分を創り上げているし、メンタルも気付けば1年生の頃よりはとても強くなりました。

ずっと先輩マネさんたちに言われていたこと。
「4年間もいたら嫌でもメンタル強くなるから大丈夫だよ。」

上級生になるにつれ、その意味が分かりました。

今の自分があるのは、これまでに引退されてきた先輩マネージャーの皆様のおかげで、必要な時には指導してくださり、自分を信じていろんな仕事を任せてくれて、同じモチベーションで一緒にマネージャーをすることができた。
プライベートでも仲良くしていただき、そのような環境でマネージャーができたことがすごく誇りで、とても恵まれていたと今でも実感しています。


グラウンド業務の他に、2年生から私が主に担当していた広報。毎週の試合予告や試合後の結果作成、SNSやHP更新、1年生の新入生ブログに4年生の引退ブログ、イベント投稿や個人ページ作成。パンフレットに載せる広告も。
試合が終わっても仕事しなきゃいけないし。
だけど、部の窓口を担う業務はとてもやりがいがありました。

今では選手も沢山手伝ってくれて感謝しています。
そして、毎回広報の企画に協力してくれる部員たち、本当にありがとう。

広報は私の中で一番大変だったけど、引き継ぎ期間になると手放したくないって思えたし引き継ぐことも私には勇気がいりました。
それくらい、どんなに意味ないんじゃないかって感じても、信頼して任せてもらった仕事はどんな仕事も本気で取り組んでました。

だから、広報に限らずですが、
無責任に仕事をする人がいればほんとに悔しいし悲しい気持ちになります。
いろんな人が少しずつ創り上げてきたものを簡単に壊したりしないで意地でも守っていってほしいです。

本気でやっていれば誰だってそう思うと思います。

この引退ブログを全員投稿したらマネージャーとしての私の仕事は遂に終わりを迎えます。
いろんな仕事経験できて大変だったけど楽しかったなあーって感じです😌


みんなが思っているよりも多くの保護者の方や一般で城西大学を応援してくれている方々が沢山見てくれていて、結果を楽しみにしてくれていて、今では応援メッセージをくれる方もいて。
コロナが明け、少しでも試合に来てくれる方が増えるように。
1.2年生の時はそんなことを考えながらひたすら仕事をこなしていました。

そこから広報業務を通して、チームを良くするには、選手のモチベーションを上げるためには、自分に何ができるのか、見ている人たちに何を届けたら嬉しく思うのか。試行錯誤した。
自分が広報の先頭に立ってからは、シーズン前に全選手の速報画像を作成して、できるだけ全カテゴリー速報して、試合予告を作成・投稿し、少しずつやり方を変えながら活動してきた。

試合の写真も、昨年までは部のカメラは無くて全て自持ちのカメラだけで撮影していた。
それによってカテゴリー間で生じる写真の量の差。
その差をできるだけ埋めるために、試合が詰まっている土日には1日中グラウンドにいたこともあった。
そんな環境が当たり前になりつつあった時、少しでも写真を撮らなくなれば、速報を無くせば、ネガティブな声が聞こえてくる時もありました。

どんなに頑張っていても、精一杯を尽くしていても伝わらないこともあります。

だけど、それってポジティブに考えればそんなネガティブな声が聞こえてくるということは、自分が良いと思ってやってきたことはみんなにとって実は嬉しいことだったんだと、確信できるきっかけでもあった。

モチベーションビデオも、少しでもみんなのモチベーションが上がればそれでいいんです。
広報は裏の仕事で、誰にも見られない仕事だけど、3.4年生になって、辛くてもやり続けていればちゃんと見てくれている人がいることも分かった。
嬉しい言葉を沢山貰って、時には伝わらないこともあるけど、それでも続けていて良かったと思うことの方が多くありました。
それは4年間やり切ってみて、自信を持ってそう言えます。
自分の求める答えは、4年間やり切らないと分からなかった。

3年生の時には、マネージャーの1番上となり、後輩への指導方法も分からず、その上にのし掛かる責任感や重圧。
マネージャーの1番上は私しかいないし、頼れる人もいない。
マネージャー内にルールがあまりないことが1番きつい。
困ってるならもっと大人に相談していれば解決したこともあったのだろうか。
悩み通した1年間だったと思う。
マネージャーがいない1つ上の代とは、3年生になるまであまり話したことがなく、どうしたら気を遣わず頼ってもらえるか。そんなことも考え、気付けば終わってた。
関東3部 初代優勝。IB 1部昇格。
悩みもあったけど沢山勝って沢山喜んだ1年だった。

そんな偉大な先輩方が引退する時に沢山の感謝の言葉をかけてくれて、その言葉で全てが報われたような気がした。
もちろん他の代の先輩方や同期、今いる後輩たち。
みんなから貰った何気ない沢山の嬉しい言葉は、挫けそうになった時にあと少し頑張ろうと思える理由の一つだった。


4年目のこの1年間は、例年よりもイレギュラーなことも多く、4年としての責任も重大で、昨年と同じことで悩み続けていて。
同期はだんだん減っていって、毎週練習に来るたび、次は誰がいなくなるんだろうと思っていた。
でも、残された同期が沢山頑張ってるのを見て、私も頑張らなきゃって思った。

夏にTOPチームの遠征に参加した時には
4年生が今年もサプライズで誕生日を祝ってくれた。
誕生日が被った遠征。遠征先でも毎年お祝いしてくれてありがとう。

その日はひと段落してみんな1人ずつ気持ちを伝え合いましたね。
私にとって、抱えていたものをやっと吐き出せた唯一の時間でした。
なんかみんなも泣いてて、TOPにいない同期のこともちゃんと考えていて、やっぱりこの人たちと一緒に最後までやり切りたいなって思えました。

いろんなことに気を配り、言いたくないことも言って。
4年目ってこんなに大変なんだって思った。

だけど、グラウンドに行けば笑顔にしてくれる同期や後輩たちが沢山いた。
関わり方が分からなかった後輩たち。
土田康太(私に1番絡んでくる同期)を見て、気付いたら同じような絡みをしてくるようになっていました。笑
おかげで後輩たちとも仲良くなることができました。
みんな絡みに来てくれてありがとう。
そんなこんなで、楽しかったり辛かったりした4年目ですが、そんな状況下だったからこそ改めて大切だと感じれたことが沢山ありました。


"ありがとう" と声を掛けてくれたり、気に掛けてくれたり、ちゃんと名前で呼んでくれたりする部員がいるのも、円陣に入れてもらえることも、集合写真に写れることも、毎日みんなの頑張る姿を1番近くで見れることも、グラウンドに行けばみんなと会えることも。怒ってくれる人がいることも。
ベンチに入れてもらえることも。マネージャーとしての誇れる仕事が沢山あることも。

全てにおいてどんな立場でも当たり前ではない。



"詩乃がマネージャーやろうと思った理由ってなに?"

色んな人によく聞かれてました。
マネージャーをやっていれば、1回は聞かれたことのある質問だと思います。


1番大きな理由は、

サッカーを本気で頑張る人たちを1番近くで本気で支えたかったから。

サッカーは自分を変えてくれたスポーツで、だからどうしてもサッカーが良かったんです。

みんなにとって私という存在はどんな存在だったでしょうか。
1年目のブログでは、
「自分がいてくれて良かったと思ってもらえるようなマネージャーになる」
と綴っている。

その目標は達成できたでしょうか。
"私" がいてくれて良かった。
そう思ってもらえるようなマネージャーになれていたのでしょうか。
私も完璧ではありませんが、少しでもそう思ってもらえていたら嬉しいです。

私にとってみんなは、
頑張る理由を与えてくれて、辛い時に引き上げてくれるような存在でした。
それはきっとこれからもそういう存在であると思います。


私は4年間を通して一度だけ、休部しようか迷った期間がありました。
頼り方も分からず誰にも相談できず、気付けばサッカーを観るのも、グラウンドに行くのも、部活の連絡も、大好きな部員と話すことも嫌になってしまった時が一度だけあった。
休部しようかと思ったけど、それよりもみんなが嬉しい時に、チームが苦しい時に一番近くにいれないことを想像してみるとすごく悔しかった。
だから気合いで無理矢理乗り越えました。マネージャーの人数も少なかったし、休部したら行けなくなると思ったから。

最後までみんなと走り切れたのは、
4年間絶対にやり切ると決めた覚悟と、みんなと勝って喜びたい。この気持ちが常に心にあったからだと思います。
そう思わせてくれるような人が沢山いるチームだったから、沢山自分と向き合って乗り越えました。

どんなに辛くてもみんなが勝って喜ぶ姿を見る為にやってきました。
それが私にとっては頑張り続けられる一つの理由でした。

大変だったけど、本当はもっともっとこのチームでマネージャーしていたかった。

同期には沢山感謝しています。
どんな時も諦めずに最後まで走り続けていたみんなを誇りに思うし、4年間も1番近くで見ることができて幸せだった。この4年間は一生の宝物です。
フットサル部門でも沢山頑張っていましたね。
試合があったりして、なかなかフットサル部門に顔を出すことができませんでしたが、みんなの活躍は陰ながらとても嬉しくて応援していました。
この4年間、すごく楽しくて貴重な経験ができて、みんなと一緒に沢山の瞬間を目の当たりにしてきた。
みんなが頑張ってくれたし、私も頑張った。
だから何にも変えられない宝物ができました。

スタッフの皆様、4年間お世話になりました。
1年生の時よりは成長しましたでしょうか。
納得いかないことはとことん反抗したり顔に出たり、そのなかで気持ちに寄り添っていただいたり、おかげで私は楽しかったという気持ちを持って終わる事ができたと思います。
ミスしてご迷惑をお掛けした時もありました。
そんな自分でも信頼して色々な仕事を任せていただき、心より感謝しています。本当にありがとうございました。


両親へ
マネージャーやりたいけど勇気が出なかった時、背中を押してくれてありがとう。
実家も通える距離なのに、部活を理由に一人暮らしさせてくれてありがとう。大切な同期とも仲良くしてくれてありがとう。
コロナが明けてからは、沢山試合観に来てくれて、SNSも沢山見てくれて、時には投稿のミスにまで気付いてくれてました。
城西サッカー部を1番に応援してくれてありがとう。
3.4年になって増えた弱音も毎回ちゃんと聞いてくれて、1番の強い味方でいてくれてありがとうございました。
これからもよろしくお願いします🫶


改めて最後に、大好きな同期たちへ📨
みんな4年間お疲れ様。本当にお世話になりました。
カメラの無茶振りにも沢山応えてくれてありがとう。
色んな景色を見せてくれてありがとう。
最初から最後まで学年マネージャー1人で、なかなか試合にいけないカテゴリーもありました。ごめんなさい。
最後はだいぶ人数も減ってしまったけど、練習に来なくなってしまった人たちや辞めてしまった人含め、みんなのおかげで、同期マネージャーいなくても寂しくなかったし、凹んでもいつの間にか笑顔になってたし、みんなの為に何度も頑張ろうって思えたし、最後までやり切ることができました。
沢山話した選手もいれば、少ししか話さなかった選手もいるけど、会えば挨拶してくれて、名前を呼んでくれて、絡みに来てくれて、私は1人1人に思い入れがあって、全員に感謝しています。
頼りなかったかもしれないけど、みんなのマネージャーになれてこの4年間本当に幸せでした。みんなに出会えて、沢山の感情を共にできて本当によかった。
引退しても沢山仲良くしてください。みんなありがとう。
これからもよろしくお願いします🙂‍↕️


次回、ブログを担当するのは、愛されいつも面白く、みんなを笑顔にする小島嵐です!
嵐とは3、4年でゼミが一緒で、嵐のユーモア溢れる性格のおかげで毎週のゼミが楽しかったです。
どんな無茶振りにも応えてくれて、面白くて毎回笑わされてました笑
同期が減っていく中、ILで4年生として最後までチームを引っ張り鼓舞し続けた嵐。
そんな嵐が綴るブログとは、、

乞うご期待です‼️

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