「引退」
城西大学経営学部マネジメント総合学科4年
背番号5番相澤優斗です。
小学校1年からサッカーを始めて大学4年生までサッカーを続けさせてくれた親にまずは感謝を伝えたい。本当にありがとうございます。
今までのサッカー人生を振り返るとものすごく長くなってしまうから大学4年間を振り返りたいと思う。城西大学に入学をしようと決めた理由としては、一個上の青森山田の先輩である伊澤先輩に城西どうなのって声をかけてもらったのが最初のきっかけだった。1年目からトップチームの試合に出たかった自分は城西大学なら関東リーグも狙えレギュラー争いに食い込めると思ったから城西大学に入学を決めた。
最初は高校との練習のギャップがあったり軽い肉離れでスタートで出遅れてしまったが前期の後半くらいからメンバーに選ばれ始め後期にはスタメンで3試合出ることができた。先に言ってしまうがこれが城西大学での1番よかった時期だった。
2年生になった時、猿山監督から東海林監督になった。フォーメーションも4-4-2から3-4-3という今までやってきたことがないフォーメーションでの挑戦となった。何もかも城西大学では無くなってしまったと感じた。監督が変わることは今までなかった経験だったのでここまで大きくやることが変わることを実感した。そして、トップチームからも外され2.3年生の前期はAチームとして活動することになった。その期間は『認めてもらうしかない、腐らないで頑張り続けるしかない』と自分も鼓舞して毎日頑張り続けていた。やはり一年目でトップチームでの活動が長かったからかその期間は相当落ち込んだ。しかしアイリーグで活躍し続けていたら3年の後期にようやくトップチームにあがることができた。しかし公式戦にはベンチに入るが一度のチャンスもなかった。他の選手は飼っている試合などで試されていたように感じる時もあり、なぜ自分は試してもらえないのかとものすごく悔しかった。でも、チームとしては関東昇格という目標に達成することができていたが悔しい気持ちだけが残り喜ぶことができなかった。そして、最後の年副キャプテンとしてチームをサポートしていきたいと思い浅賀主将を全力でサポートした。新体制が始まり最初の合宿で自分自身では中々の仕上がりになっていて自信があった。関東リーグ開幕戦の前日、練習終わりにセンバの3人が呼ばれそこに自分もいた。リーグ戦のスタメンが呼ばれたのかと思い開幕戦だったため期待していた。しかし当日はスタメンではなくベンチ、本当に悔しかった。なぜならリーグ戦が始まってしまったらバック陣は一年通して変わることが滅多にないことを1番理解していたから。次の試合もベンチ、その次も。モチベーション維持もキツくなってしまった。さらに就職活動でも中々上手く行くことは出来ずそれがサッカーにも影響を与えてしまいサッカーをやることがつまらなくなってしまった。そして夏休みに入り親と相談し後期はサッカーをやらずに辞めようと考えた。たけど、トップチームの4年生に相談し1ヶ月就活に専念するという形にしてサッカーから離れることにした。本当に仲間に相談してよかったと思っている。そのおかげもありとりあえずサッカーを続けることができた。その時、出れなくてもいいからチームのためにとかではなく、まずは自分が一番サッカーを楽しむことを決めた。やりたいことをやって正直監督やコーチの話を聞いていないことや自分がしたい守備をして怒られていた。だけど関係なかったしむしろ何言ってんのってそれを活力にして頑張っていたし自分のやり方が上手く行った時が楽しかったし気持ちよかった。そのようなことを繰り返していたため後期はメンバーに選ばれることはなかった。リーグ戦でいっぱい失点してるのになんで変えないんだよとか村田と長谷と一緒に正直愚痴ってた。そうじゃないとやっていけなかったのもあった。なんとかチーム自体はプレーオフに繋げたが自分自身はリーグ戦が終わったらサッカーを辞めようと思っていたため監督に言っていた。なんでそこで辞める、今まで長い期間やってきたのにたったの3週間だけなのに投げ捨てるの?ってことを言われたがあんまり響いてなかった。自分でも投げ捨てることはしたくはなかったけど、不満と悔しさが限界に近かった。しかし、最終節がおわった日に先輩の伊澤から電話がきた。そこで色々と自分の思いを話した。そしたら伊澤はプレーオフでお前が出てる姿見に行くし活躍してその日飯行くぞって言ってくれた。城西大学に誘ってくれた伊澤からの言葉は自分にとって大きかった。そして頑張ろうと決めプレーオフで試合に出るには試合最後のパワープレーしかないと考えていた自分はプレーオフまでの練習後シュート練習をやり続けた。練習も今まで以上に声も出したしとにかく全力でやりきった。そしてメンバーに入ることが出来た。やってやるっていう気持ちしかなかった。迎えた当日、相手は作新大学で青森山田の同期が二人いた。絶対に負けられないし試合に出たら点を決めるし守り切る気持ちで準備していた。試合は前半1点を奪われ後半に向かった。後半は均衡していてどちらもパッとしない状況が続いていた。残り時間が段々となくなっていくが俺が呼ばれることはなかった。そしてそのまま0-1という結果で3部降格という結果で終わった。あれだけの準備をしたのに、やっぱりチャンスは平等には来ないし一度も公式戦でのチャンスは来ない人もいることを実感した。試合に負けたが正直降格して悔しいというより『なんで俺を出してくれなかった』という気持ちが強すぎて監督やコーチを苛立ちを隠せていなかった。なんかここまでやってきた意味はあったのかという風に思ってしまう終わり方をしてしまった。でも、続けたからにはやりきりたい気持ちが強すぎて次の日引退試合では前半はセンバでプレーしたが、後半はフォワードでプレーした。前半はセットプレーで先制点のアシストをして、後半では2点取られてしまい後がないがなんとか今までのシュート練習の成果や前日の苛立ちを晴らしたかった。その思いが通じたのか相手のセンターバックがトラップミスをしてくれペナルティエリア外からのキーパーと1対1の状況になった。逆サイドには稲葉が相手のマークを振り抜きそうだったがここで俺が撃たなきゃなにも晴らせないし誰になんと言われようが点が決めたかった。そしてシュートを打ちキーパーの届かない位置に打ち込むことが出来決めることが出来た。みんなが俺のところに来て喜んでくれた。その時本当にこのみんなとやってきてよかったって言うふうに感じた。結果は2-3で負けてしまったが前日試合に出さなかったのを後悔させてたと思うし1ゴール1アシストという個人としては最高の結果でサッカーを終わることが出来た。最後の最後まで監督をはじめとするコーチの皆さんには迷惑をかけたし、同期のみんなには本当に感謝してる。本当にありがとう。
最後に、こんなに書くつもりはなかったけど書いていて気づいたらこんなに書いていた。長々と読んでくれた人はありがとうございます。
そして、トップサブの人に向けて次の年になった時に試合に出れてなくて上手くいかなかったりした時は同期や先輩にまずは相談してほしい。そしたら気持ちも楽になるしまた頑張れると思う。来年関東3部から関東2部に昇格できることを陰ながら応援してます。
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