山口浩勢の東京五輪までの道のり、そしてこれから。
城西大学OBの山口浩勢が2月12日の実業団ハーフをもって第一線から退きました。ラストレースで自己ベストを出したのは見事というしかありません。最後まで成長した姿を見せるあたりは、何ごともやり遂げる生真面目な彼らしいと思う一方で、もうそんな年齢なのかと、時の過ぎる早さを感じました。
2018年の暮れに彼から電話をもらいました。そこで「競技生活の集大成として東京オリンピックに出場したい、そのための指導をして欲しい」と相談されたのです。愛三工業に所属する選手ですので、所属先の承諾を得ないと引き受けることはできません。しかしすぐに井幡政等監督からも連絡があり、「彼の夢を叶えて欲しい」と言われました。こうして山口との二人三脚での東京オリンピック挑戦がスタートしたのです。
標準記録突破を狙うのか、ワールドランキングでの選出を狙うのか。当時の山口の3000mSCの自己ベストは8分30秒98、標準記録が8分22秒00だったので、可能性の点からワールドランキングで上位に入り出場権を得ようというのが当初の戦略でした。
2019年2月から本格的に強化を開始し、成果が出始めたのは2020年になってからです。ポイント獲得のために海外のレースへ積極的に出場するようになり、2月のニュージーランド選手権で優勝しています。その後、コロナ禍で海外の試合には出られなくなったものの、ベストを着実に更新していきました。12月の日本選手権は三浦龍司選手が欠場した中での戦いでしたが、8分24秒19の自己新で初優勝も果たしました。
ただ2021年1月のニューイヤー駅伝で膝を故障してしまったのは想定外でした。オリンピック前の日本選手権に向け、最後の強化をしなければならない重要な時期でしたのでまずいと思いましたが、幸い、私が日頃からお世話になっている医師に相談し、ハイドロリリースの治療法を施したところ間もなく完治しました。あくまでも私見ですが、整形外科の領域は他の医療分野と違い、進歩が乏しい印象を持っていましたがそうではないなと感じたところです。ランナーを預かる身として、今後もさらに発展が進むことを期待しています。
三浦選手が圧倒的な潜在能力と成長スピードで、どんどんと世界に近づく記録を出していましたが、山口もそれに追随する走りができていたと思います。5月に国立競技場で行われたテストイベントで8分22秒39と標準記録突破まであと少しのところまで迫り、6月の日本選手権では8分19秒58で2位入賞、見事に突破して代表内定を決めました。やってきたことが実を結んだと思えた瞬間でした。
約2年少々のオリンピックへの挑戦は、「従来のトレーニングにどのように高強度トレーニングを取り入れるか」というテーマと向き合いつづけた時間でした。単純に足し算するだけではトレーニング過多になるので、何を優先して取り組むべきか、常に取捨選択しなければならなかったためです。3000mSCは8分20秒ほどの競技時間ですが、走速度は決して速くありません。しかし障害を跳ぶ動作が入るため筋への負担が大きく、特に大障害を越える際にはエネルギーも多く必要になります。よって5000mよりも中距離種目に近いと言えるでしょう。通常のトラックにおけるスピード練習に加え、低酸素環境でのインターバルやレペテイションなど従来よりも高強度の負荷を計画的に取り入れたことが好結果につながりました。
当初は競技レベルが高いため、逓減性を考慮すれば標準記録突破までは難しいと考えていましたが、新しい刺激を入れたことで30歳を過ぎてからも成長が進み、自己ベストを10秒以上短縮し、突破にたどり着きました。理論を現場での実践に融合させることをテーマに指導する私にとって、コーチングの大きなヒントにもなりました。
しかし練習内容を変えたことだけが、オリンピック出場につながったのではありません。彼はトレーニング時に難度の高い設定タイムを毎回、必ずクリアしてきたのです。非常に苦しく、厳しいメニューの連続でしたので、心身ともに厳しかったことは間違いなく、事実、彼が練習後に悶絶する姿を何度も見てきました。これまでもレベルの高い選手を何人も指導してきましたが、山口ほど安定してハードなトレーニングをこなせるランナーはいません。それを支えたのは彼のオリンピックへの思いの強さと強靭なメンタリティーです。それを備えていたからこそ、夢をつかむことができたのだと思います。
日本の実業団チームは伝統的に駅伝を重んじる文化があります。しかし井幡監督をはじめ、愛三工業のスタッフ陣は世界レベルの海外選手らと共にトラックで世界を狙うことにも積極的でした。そうしたチーム方針があったからこそ、私のコーチングにも理解を示してくれたと思います。そのことにも深く感謝しています。
山口は春から高校生の指導を行うと聞いています。これからも走り続け、背中を見せながら、コーチングをするそうです。自分のトレーニング経験だけでなく、彼自身も今後、新しいことを学びながら、世界を見据えた指導を行って欲しいと願っています。
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