映画に見る黒人奴隷制度の歴史
昨日、待ち合わせが東京駅で20時30分だったので、その前に映画を見ようと、ふと思った。
なかなか時間通りのスケジュールの作品が見つからなかったのだけど、唯一上野御徒町のtohoで上映している作品があった。
〜20時10分まで。ちょうど良い。その作品は、『ハリエット』。黒人奴隷制度に一人で立ち向かった、強き女性のお話である。実際の人物で、彼女は91歳の命で天国へ旅立っている。
特にこれを見よう、というわけではなかったけれど、今抱えている差別への課題が心の中で頭をもたげている。
過去、こういうテーマの映画を度々みてきた。特に自身の中に問題意識として強くはなかったが、どこかに種として、それはあったのかもしれない。
他にも映画を見ていると、黒人が白人の警官に虐げられ、不当な扱いを被っている場面を多く見てきている。あれは、フィクションなどではなく、"ノン"フィクションなんだろうと思う。
元々手にしていた自由を、ある時突然奪われ、人間としての尊厳を持てぬまま、一生を終えた黒人がどれだけいたのだろう。
そしてそれは、今も彼らの文化となって残っている。ブラックミュージックは、"忘れるな"と聴こえる。
いつか、差別がない世界は訪れるのだろうか。人種や学歴、貧富の差。二極化が叫ばれて久しいが、すでに人種という格差が存在している。
人間は、差別しなければ生きられない生き物なのだろうか。周りがあるからこその自分。自分があるからこその世界。
宇宙レベルで、もう少し刮目すべきだよなぁと、映画を見終わって思った。学べ、学べよ人類。わたしも。
亡くなった、ジョージ・フロイド氏に哀悼の意を。安らかにお眠りください。アーメン。
映画館はソーシャルディスタンシングでひと席開けての着席。なんとなく安心&贅沢。
ふと、見終わってから気づいた。瞑想をし始めてから、集中力が格段に上がった気がする。これもコロナの棚ぼたである。
今日は夏至。そして327年ぶりの日食。
全て変容の時。