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Twitterには希望が詰まっているかも

みなさま、どうも。里佳子です。年末ですねー。お忙しくされていますか?なんだかあったかいし、年末感がありません。なので雰囲気だけでも、年末を。

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人形町は新しい一年へ向けて、町が動いていました。今年は小伝馬町の風物詩、「べったら市」もなくてなんだかのっぺりした一年だったな…。

体感が薄いと、こんなにも厚みのない時間認知になるのかと、驚いています。それは、人との心の関わり。悲しくとも、うれしくとも、戦っても、辛くても、全て私たちの時間において流れゆく感情。

それは重ねれば重ねるほど、重厚な厚みとなり、心の層となり、いつかは想像力という名の優しさになるんじゃないかなぁ。

だから、人と関わって生きて、いつか死ぬその時まで、その今を今しかないなと思って、私は生きています。自分を楽しませよう。

そう、本題です。たまにTwitterで呟いています。で、私の好きなメディアがいくつかあるんですが、中でもハフポスト、WIRED辺りはよくチェックしています。

たまたま、ハフポストのポストをリツイートしたんです。コメント短いのをつけて。

今まで私のツイートがバズったな、ってのは過去一回だけあったんですけど、今回もかなりのスピードで拡散されました。ちょっと恐怖を感じますよね。

ちなみに過去にバズったのは、お知り合いの川内イオさんがツイートしたもの。確か、象牙の乱獲が内容でした。アレは写真も掲載されていてかなりインパクトがあったから、皆さんかなり刺激に対しての反応をしてしまったんだと思います。乱獲、SDGsとか言ってるけど減っているのだろうか…。SDGsのことも、別に書こうかな。

こちら。私の中でバズった今回のもの。通常運転上の私のポジティブなツイートへの反応はほぼないです。しかし、共感を呼びやすいネガツイートには人はかなり敏感に反応するんだな、と理解しました。

人とは不安や恐怖にこそ、強く反応する。それは、共感の反映、叫び、祈りを誰かに知ってほしい。

その根底には、何かを「変えたい」欲求が詰まっている。そのエネルギーが社会を動かすことがあると私たちは知っているはずです。

ならば、その声はネガではなく、実はポジなものだと言うこと。

愚痴も言い続けて、何かを変えるきっかけになればポジなものに通じる。それと同じだと考えます。

今回の私のツイート上の言葉、"本当に厳しいです。未来も見えません"には、主語がありません。実は敢えて実験的な部分もあったんです。

と言うのも、私が尊敬する澤円さんが、Twitter上で同じ実験をされていました。主語がないツイートをすると、それをみた人は自分に置き換えてしまう心理を持ちやすい、と。

私は主語をツイートしなかったのですが、反応はさまざま。私が厳しいと感じているのは、あくまで社会、世界の世相に対してであって、私が、厳しいと言う視点での発信ではないんです。

人への伝え方、そして今ここに書いていることを受け止めている方全てに伝わる書き方って、可能なのかなぁ。

仲がいいと思っていた人も、文章でのコミュニケーションを一度失敗するだけで、案外脆く縁が切れてしまうことも、ありますよね。まだまだ精進いたします。

せっかちな私は、来年は一個をゆっくり進めること。年頭に今年と同様、掲げることにします。




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