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中動態と生きるためのデザイン

デザインというとあなたは何を思い浮かべますか?

私は5年前に出会ったTSUGIの新山さんのお話を聞いてから、デザインへの見方が変わりました。

デザインというと私は、最近の感覚で言うと「設計」や「計画」に近いものでとらえています。

街や国や、企業のデザインはそっちに近い。

今日デザインに携わっている後輩と色々対話をしていたのですが、デザインという言葉に含まれる意味が多すぎて、「デザイン」という日本語に落とし込んだ。その結果、デザインをアートと混同してしまう人も世代によって多いんだなということでした。

デザインをするということは、設計すること、つまり俯瞰すること。その行為を通じて全体性をとらえ、細部の具体に落とし込み動かす。

結果、本当に成し遂げたいことを動かす。そういうロジックなのだと思います。

また、デザインは文章についても言えることです。例えばTwitterの140文字という枠内に収める。そのためにはデザインをし、本質の部分だけを伝える。

受動した方にとって、この内容は何を言いたいのか?がわかるようにする。それはまんべんなく伝わりやすいもの。になります。

全然関係ないかもですが、先ほどの受動態、そして能動態の間についても、後輩とお話していました。

そこに「中動態」という態があることに衝撃を受けたのです。知ってました?!私はお恥ずかしながら知りませんでした。

する/されるの間。そこには何があるのか。まだ理解できずにいるけれど、「中庸」である感覚なのか?

する/される、の状態ではないということは、そういう状態にあるという意思がないということ。そこで考えることは、わたしはこうなっているけれど、どうしようかな。のような…。ふんわりとしている(笑)

國分功一朗氏が著者である下記2点は、未来を模索するのに必要な感覚かもしれないと思う。

生きるデザインの中に、中動態のような状態を仕込むことで、少し、生きることが楽になるんだなと言う学び。

そして、素敵な後輩に感謝です。ありがとう。

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