つまらない男。と8月26日の日記。
つまらない男性と、一緒に食事をしたお話。
その人はとりあえず、無感動、無関心、イエス。イエス、イエス。おしゃれにも無頓着で、会話のネタがない。
最近少し無気力だ、という話題を振ったら、家族が居ないとね〜と、自分は実家暮らしというマウントをかけてきたことにイライラしていた。
どうやらこの人は、共感力や創造力が私とは違った感覚らしい。薄々感じてはいたけれど。
そしてなぜイライラという嫌悪感を抱くのか?二十代の頃の私を見ているようで、とてもよろしくない。(その人はもうすぐ50近い)
コミュニケーションを取ろうにも、相手が知らないことが多い。知らないの一点張りで、自尊心を傷つけかねない。ならば相手から話を聞こうと思っても、どうにもこうにも、ネタがない。
沈黙を楽しめる私にも、限界はあるのだと悟った。そして、お腹が痛くなり結果、食べている美味しいものも、美味しくなくなってしまったのだった。
料理を一緒に食べているのだから、共通の感想があるかも?と思って引き出そうとするも、全く反応が薄い。
この人には、目の前にいる人を少しでも笑顔にしようとする心がないのだと悟った。
しかしふと思いました。仮にこう言う性格の人がいて、その人が年収1,200万円以上だったらどうたろう、と。また、私の見方が違うのか?と。
でも。刺激つまり感動があっての人生だから、わたしにはその1,200万円の年収は羨ましさも何もないのであった。
要するに、"人"の時代。資本主義経済は、人の価値と信用の経済に。
その人がたまらないなぁといつも思う理由は、変わらないから。ずっと、変わらない。
最近キニナル音楽とかあった?美味しいお店見つけた?仕事どう?
ぜーんぶ、ないと答える。嫌われているのか。と思うくらい。
日常で、小さなことでも観察する私は、変化に敏感なので感動は毎日起こる。それは、人生のワクワクにつながることも度々ある。
それがあったからどうなんだ?と言われればそれまでなのだけど、少なくとも、たのしい。
同じ感覚を相手に求めているわけでは決してない。相手の感動を、その会っている貴重な私の時間に共有したいのだ。
会っている時間の価値、そのコスト感覚を持たない人とはうまくやらなそうだと改めて思った。
目の前の人を、笑わせたり楽しませたり、私もまだまだ気持ちが足りないのかもしれないけれどそこでギブギブをし合うのも、いいと思いませんか?
とにかく、つまらない人間でいるのは嫌だ。特に、誰かといるとき。
そのためじゃないけど、誰かを楽しませるために日々生きている、そういうことも考えている。
ちなみになんでそんなつまらない男と食事に行くのか?そこは女心です。
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8月26日上弦の月の日の日記
今日は午前中事務処理や連絡をしてから午後は久喜まで工場取材。同行して色々お話を聞いてきた。
ランチは久喜駅の周りをぐるっと回って何もなかったため、駅前の蕎麦屋へ。イカ天丼ともりそばセット。ガッツリ行ってしまった。
そこからご馳走様をしてタクシーで工場まで。滅多にならないため、タクシーの運転手さんにその土地のことを色々話を聞くことにしている。
久喜駅は商工会議所がネックになり、新幹線も通るはずだったのを蹴ったらしいということ。久喜駅がなるはずだったターミナル駅は今の大宮駅になったらしい。
東京理科大も撤退したこと。理由としては、学生の反発が当時実はあったらしい。バイト先がない。横浜から通えない、そりゃそうなる。
先方の工場に到着。
私は広告営業メインなので今回も記事は書かない。少しリラックスして後方の方とお話をする。
ベテラン社員の方の中に、もう少しで80近い方もいらっしゃった。なんというか、哀愁を感じる。
今日はなんだか体がねむいなぁと思っていたら、22時半には就寝していた。熟睡。
こういうの時々ある。