現金とか体感とか
2020年を振り返る④
今年のコロナ禍で加速したモノの一つ、キャッシュレス決済。しかし、私は体感を戻したい感覚が大きくあります。手と手から受け渡しされる現金について。
私個人のことになると思うのですが、キャッシュレスになってから、すごく決済は早いけど、それだけ、になってしまった感覚があります。これは、ちょっと怖くて。
そして、決済時に急かされているような、なんか早く立ち去らなければならないような。私だけ?
"お釣り"を手で渡される時、店員さんの顔を少し覗くと頑張って働いてるな、というか、がんばってください、というか。コンビニだけど。
トレーの上でお釣りを渡されるけど、あれってなんかとても寂しい。ハイタッチを、拒否られたもしくは無視された感覚笑
現金を出して、お釣りをもらう、この行為ってとても人間の原始的な行動だと思っていて。
キャッシュレスの便利さに、私たち人間は何か置いてきてるんじゃないか?
それは、寛容さの心の一部を、どこかなくしているんじゃ無いか。なんて思うと怖くなりました。
自分が。
もう戻れないけど、なんというか、寂しさも加速しそうで。人類の、孤独。
人は生まれてきてから死ぬまで、一人の思考で生きて、大いなる孤独の中にいるけれど、そこを癒しているのは、大地であり、宇宙であり、そして、人の手だと思うのでした。
12月4日の日記
1週間が早い。多分それは、前しか見ていないからだ。
最近人が怖い。肯定してくれないからだ。
だからこそ思う。私のbeはなんだろう。私は私を守り愛する義務がある。自然の母と、実の母にもらったこの命、なるべく健全な状態で地球に還したいとは、私が今とてもすごいなと思う人である四角大輔さんが話していた。
2.3年前に私も同じことを考えていたことがあった。
その時は、あるアートギャラリーで見ていた作品から得たものだった。
たまたま足を運んだのが、幡野広志さんの"いただきます、ごちそうさま"の作品展だった。
命を殺して、食べて、その命をもらった私たちは、その生き物のエネルギーを、地球にどう還元できるんだろう。還元できるとしたら、何ができるんだろう。それは、子供を産んだり、育てたり、次世代に良い未来を残すことなんじゃないか。
それしか、ないようにも思っていた。私のいい今日の日は、未来へとつながる。そして、次世代にとってもそれは良い未来であればいいなと、考えるのだった。
私は女王蜂が大好きで、やっぱりよく聴く。存在がマイノリティにはいるから、歌に説得力がある気がする。
出会った時、目が離せなかった。強く強く、応援してるよ。