空を見上げると、月
「月は女性で、太陽は男性なんだよ。」いつだったか、すごくロマンチストな彼が言っていた。
その前から私は夜空に浮かぶ月をぼけーっと眺めるのが好きだった。
でも二人で見上げるその月はことさらに素敵で、もっと好きになったのだった。
太陽と月のモチーフリングをつけていたくらい。それくらい、好きだったのだ。
太陽の光を受けた月は、とても静かに私たちを照らしていた。柔らかく優しさ120%の空気が包む。今までにない幸福感を、月がくれた。
"同じ月を見上げる"
他者とはわかりあえない。
でも、同じものを見て美しいと思う心はきっと、一瞬でも通じているとその時から信じている。
フランス語では、月は(la lune)女性名詞で、太陽は(le soleil)で男性名詞らしい。
とんでもなくロマンチックな空気の中で、古代の男女も空に浮かぶ星々に思いを馳せていたのかしらと、夜空を眺めて思う。
一人になってしばらく経つ。あの大好きなリングは、2人で銭湯に行った時無くしてしまったんだった。どうしても見つからないものって、あるのよね。
月を見るたびにいろんな想いをしたなぁと、なんとも感傷的になる。
そう言えば子供の頃、私は神奈川県に父親の仕事の関係で住んでいたことがある。
今思えば面白いなと気づくのだけれど、お月見の時期、そこに住む子供たちの『お月見』イベントがあった。
各々すすきを手に持ち、みんなで一緒にその地域の各家をまわるのだ。
そしてお菓子と引き換えに、お礼にその手に握っているすすきを渡す。
『お月見くーださい!』
そのセリフも覚えているのだけれど、改めて、ちょっと変かも?でも、その言葉をキーワードに、結構みんな楽しみにしていた。
"お月見くださいの時、どんな服着てくー?"
いろんなお家を回るので、少し可愛らしくしていきたい子もいた。
そんな話をその時同じ小学校だった友人に話してみたら、
「俺は喘息持ちでその頃。参加できなかったんだよねー。悔しかったなぁ、子供ながらに」
と、少し切ない困ったような表情をしていた。そんな彼は今やアーティストだ。
喘息が治ったのは、水泳をはじめてからだろう。立派な体軀で、今は喘息の微塵も感じられない。
お月見くださいに参加できなかったことも、それでもう忘れていただろうな。
夏が終わり、空と雲は秋の様子を帯びてきた。夜の月は、静かに秋を、自分を見上げる人たちを密かに楽しみにしているのだろうか。
スマホばかりに目を落としている人たち。空を見上げるということで、自分を思い出して欲しい、なんて。
また今年も秋の十五夜がやってくる。
月にあるウサギも、餅米を用意していることだろう。
そして、今年は誰と月を見上げようか。
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