手放すもの。入ってくるもの。
フェースブックのアカウントを、今月月が新月を迎える日に削除しようと決めた。(なんか新しいことが始まったり、なかったり)
やっと。頭の片隅で悩み続けていたことにドロンできる。ふぅ。
フェースブックは長いこと使ってきたけれど、飽きたのもあるし、何よりカタチばかりの友達に虚しさを感じてしまったからだ。
みんなの現状に、全く共感できなくなってしまった。なぜか?多分それは、会わないからだと思う。
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、みんなそこで発信する。まるで生きていることを、なによりも素晴らしいと、言い聞かせ、自分を奮い立たせるように。
一定期間、私はいろんな発信をしてみた。テキストだけのもの、写真をつけてあるもの、内容も、悲しいかったこと、大変だったこと、嬉しかったこと、仕事のこと。
反応があるものは、その人の喜怒哀楽が見えるものなのかもと思った。それは恐らく、共感できるポイントをみんな想像しやすいからだろう。
一方で、マニアックなものや、仕事についてなど、専門性があることは反応が薄かった。これも理由は明白で、共感するポイントが小さいから。
必要な情報が入ってこないのは、自分の責任というのもあるけれど、このフェースブックの存在は、私に必要ないものだととりあえず理解した。
共感が欲しいのではない。けれど必要な情報が欲しい。専門性のあるプラットホームの方が私には今必要なのだと思う。
これって、仕事でも話題に上がったんだけど、より専門性の高い展示会の方がオンラインにおいては集客しやすいんじゃないかって話。
多分、その方向に進んでいくと思う。
自身のSNSだけど、今後はLINEやインスタでプライベートは繋がり、ビジネスはLinkedin、eightなんかで補おうかなと思っている。
何だか、いろんないらないものをとりあえず手放す行為をコロナ禍になってから少しずつ進めている気がする。
この3、4年は変化を自分から起こした期間だった。
転職と転居、出会いと別れ、大きな再会。自分の至らなさや未熟さと向かい合い、しかしそれも自分だと気付いた。
だからこそ、満たされている、という考えにも至った。
全ては満たされていて、失うものもないと分かってから毎日を、瞬間瞬間を幸せだと感じるようになれたこともある。
コロナに、言葉は合っていないかもしれないけれど少しだけありがたいと思っている。
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