甲子園の理想的な開催方法
さて今日は甲子園はどういう大会になれば理想的かというお話をしていきたいと思います。
「甲子園という病」の著者なので、甲子園についての意見をお話させていただく機会があります。どうやるべきか。酷暑の中で試合をやったりすることとか、ピッチャーの顔面にボールが当たったりとか、投手の登板過多問題であったり、あるいは教員が働きすぎであるとか、いろんな問題が最近は語られるようになってきています。
甲子園というものを無くせばいい。 そういう人もいるんですけども、僕はある意味、それは簡単な選択肢かなと思うんですよね。簡単だけど、失われることも実は多いんじゃないかなって思っています。僕は甲子園廃止論には反対派なんですよね。あっていいと思ってる。
それは日本的部活動のあり方だったりとか、まあ一つの大会があるっていうのは別に悪いことじゃないんじゃないかなっていうのは、このWBCの盛り上げを見てもらってもいいと思うんですよね。
ただ僕が一番に思うのは甲子園の存在をできるだけ小さくすることが理想だと思います。これは間違っちゃいけないのは大会が小さくなるって意味じゃないです。大会を小さくしろっていう意味じゃなく、甲子園という存在が本当に大きすぎると思うんですよ。その大きすぎるものをいかにして、今より少しでも小さくなってほしいなっていう風に思いますね。 メディアからもあんまり注目されないというか、高校球児が目指してるけれども、世間の人はそんなに甲子園に関心がないと言わないまでも、そこまで興味がない存在になるのが理想なんじゃないかなっていう風に思うんですよね。
観客から喜ばれるためにやる大会である必要はない
甲子園の大会が改革を行う時にしばしば問題として指摘されてきたことがあります。 それは新しいルールを作る際に、「観客が喜ばないからやめた方がいい」と。いう意見がありました。 例えば、タイブレーク始まって、球数制限っていう流れが続いたと思うんですけど、タイブレークや球数制限を導入しようかっていう時に、まず最初に言われたのが、「9回、10回の延長戦が面白かったんじゃないか」というような意見です。 今までと違う野球の形になってしまうと、お客さんが喜ばないんじゃないかとか。盛り上がらないんじゃないかとか、球数制限あったら大会自体がしょうもなくなってしまうんじゃないかってね、そういう風に言うんですよ。
僕はそういうニュースや、そういう論調があった時にいつも思ったのは、高校野球の魅力はそんなもので失われるものじゃないってね。それくらいで評判が悪くなったりするものじゃなくて、本当に、高校球児が一生懸命やってる姿っていうのが打たれるのであって、それはルールが変わっても僕は変わらないと思う。
だから、そういう論調は当たらないなと思ってたんですけど、でもね、逆に言えば、そういう風に「観客が面白くないんじゃないか」とか、「興味持たないんじゃないか」ってなった方が、むしろ僕はいいと思うんですね。
そうなって、タイブレークつまんねえやって、お客さんが思うかもしれない。思うかもしれないけれども、でもそれは、選手たちの体を守るためにルールとして作ってることで、これは球数制限しかりですけど、これじゃ面白くないやって、客が離れて行ってもいいんですよ。
それは何のためにやってるかって、子どもたちの健康面とかね、将来のことを考えてやってるルールなんで、甲子園の大会が大きくなったから、それに合わせてルールを作るんじゃなくて、子どもたちのルールに合わせて作って、それが観客が気に食わないっていうんだったら、それで良くてね、だから何が大事かっていうのは、そうやって観客の興味から、なるべく薄くなっていくっていうか。
なくなる必要はないんだけど、やっぱり甲子園が大きくなりすぎるところを防いでいくことが、僕は一番大事だと思うんですよね。 でも高校球児はあの舞台でやりたいと、あの舞台、甲子園に行きたいと思うものが残っていれば、それはそれで今までのものが失われるものではないんじゃないかなっていうふうに常に思っています。
どうしても甲子園の存在が大きいと、やっぱり指導者の采配もそうだし、親たちの興味とかもそうだし、すごく、甲子園、甲子園、甲子園ってね、なりすぎてしまうんですよね。甲子園に出ないと大学に行けないとか、甲子園に行けないと、もう何も得られないとか思っちゃうじゃないですか。
指導者も、甲子園に近づくような成績を残さないと俺は指導者として失格だとかね、そういうふうに思っちゃったら困るわけですよ。甲子園がデカすぎるからこそみんなが思っちゃうので、そうならないように、甲子園の存在が小さくなれば、指導者も親もそこまで力まなくて済むわけなんですよね。
だからそうやって小さく、世の中からね、小さいような存在に思われてやっていくのが理想だなというふうに思いますよね。
最近、高校野球の中では、リーグ戦構想みたいなのが流行ってきて、リーグ戦が世の中各地で行われるようになってきてるんですよね。リーグ戦についての考え方と、甲子園との関係性、リーグ戦の在り方についてはスタンドFMでみっちり配信を来週にしようと思ってるから、ここでは細かくはお話しはしないんですけども、そのリーグ戦に関してもね、素晴らしい取り組みであって、リーグ戦にはものすごく魅力が詰まっている。
甲子園もリーグ戦にするとかいう考え方もあると思うんですけど、これも必要ないんですよね。リーグ戦にしてしまったら出場校が増えたりもするし、日程が長くなったりもするじゃないですか。そうなっていくとまた注目を浴びちゃうんですよ。それだと意味がない。
だから僕が高校野球界の理想とするのはリーグ戦が主流になること。例えば秋から春までリーグ戦があって、それが主流になっていって、で、「あ、甲子園もあるんだ」、みたいなね。「甲子園も出てみようか」。リーグ戦をみんながやり切ったって感じで終わって、6月から甲子園もあるらしいよ、とか言って、出てみるか、みたいなぐらいになるのが理想。
でも、これはこの5年でできることじゃない。20年30年くらいかかると思うけど、それぐらいにして甲子園がね、目指す者たちにとっては大事な大会であり続け、でも世間は、そこまで「甲子園」とはならずに、野球界が盛り上がってくれればと思います。
WBCみたいに年度によってはしゅくしゅくとやってても全然問題なくやっていけばいいのかなと思うし、ただ大会の作り方とかも変えていけば全然いいと思うし、例えばWBCの方式は真似てもいいと思いますよ。
全国大会の見直しについて、WBCや地方ブロックについての提案
全国各地のなんとかブロック、日本ラウンドとか台湾ラウンドとかがあるように、札幌ラウンド、仙台ラウンドとかあっていいと思うんですよね。それを勝ち抜いた人たちが準決勝・決勝に臨む。 同じ全国大会という舞台の華やかさというか、大会としての楽しさを残せばそれでいいと思うんですよね。
昔は甲子園が必要だったと思うんですよ。そうなってほしかった、甲子園がすごい存在になってみんな勇気づけられたし、戦後復興とかね、いろんなものを勇気づけるという意味では大事な役割を果たしたと思うんですよね。
でも、もうその役割は終えたんで、じゃあこれからどうなっていくかというと、大きくなりすぎた大会をなるべく世間の目から離れるように、そういう風になっていくことが子どもたちの将来とか、指導者の頑張りすぎないことにつながると思う。
これからのやり方としては、なるべく、甲子園が目立つようなことはやめましょう。それが理想的かなというふうに思っております。ということで今日はそんなお話をさせてもらいました。
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