「どの世界にいたいか」。
最近、いろんな人と食事会を開いたり、飲み会に参加したり、プロジェクトに参画したり、読書会に顔を出してみたりという日々を過ごしています。一方で、プライベートなどでもいろんな人と出会う。
性格はそれぞれあるし、年齢の違いもあったりして、合う・合わないというのは当然あるけど、一方で、年齢などに関係なく、人を隔てることってあるよなってつくづく思います。
それが「自分はどの世界にいたいか」というもの。
僕は一度、離婚を経験している。ちょうどコロナ禍の時。あの頃はみんな目的を失って生きていたようにも思うけど、僕自身も色々彷徨っていた。離婚原因はよくわからないんだけど、おそらく、わかりやすく言えば「性格の不一致」になるんだけど、それは結婚する前からわかっていたことで、だとすると、「世界観の不一致」なんだろうなと思います。
どちらの世界がすごくて、どちらかがダメなのではなく、みているものの世界が違う。今、違っていてもあっていくこともあるけど、ずっとそこを理解できなければうまくいかない。そんな結末だったと思う。
大好きな子どもたちといると、自分の地位やもっと良くなりたいみたいなものより、この子達を守れるんであればなんでもいいやという気持ちにもなります。幸せの手段が何であるかはどうでも良くなり、この子らの笑顔をずっとみていればそれでいい。
そのためには仕事を頑張らないと叶えられないのでやることは変わらないのだけれど、ただ、彼らの笑顔を見ていく中で、離婚近辺にあった憤りや性格の不一致みたいなものはどうでも良くなり、この子らが幸せになる方法を考える時間が増えたのは紛れもない事実です。
僕は大勢は嫌いだけど、一人で生きられるほど強くなくて、誰かといたい人間。なので、やっぱり再婚したいし、家族も作りたいなんて思います。そんな相手もいなくはなかったけど、常に、子供のことがチラついて、この子らを置いて、再婚というのは現実的に捉えることはできませんでした。
ならば、元の鞘に戻るしかないとも考えるわけですけど、いろんなものを自分が我慢して、受け入れられればなんとかなるだろう。と思う一方、この「どの世界を見るか」においては全く着地点が見当たらなかったです。
性格不一致以上にこの部分は大きい。なので諦めました。
この「どの世界にいたいか」という気持ちは現代を生きていく中では極めて重要だなと思います。
僕は野球のトップの人たちと関わる立場にいますけど、自分がこれからどんな人生を歩んでいこうかと考えた時に、どの人と付き合うかで変わっていきます
「人生を変えたければ出会う人を変えなさい」、とよく言いますけど、これは本当にその通りだなと思います。今、僕はメジャーリーガーの菊池雄星選手と 接していますが、彼と知り合わない人生を考えたら、全く人生が変わっていただろうなと思います。
もともとは、取材で知り合った選手ではあるけれども、彼からいろんな話を聞くうち、たくさんのことを見聞きできました。プロという世界、アメリカという舞台、成功者とは。僕の見る世界は広がったと思います。それが良いかどうかの話ではなくて。
普段から誰と接するか、どのようなコミュニティに属するかもとても大事で、そのチョイス次第では人生を大きく変えることができる。
世の中にあるオンラインサロンコミュニティにおいても、高校野球界の世界しか見ないのか、日本のプロ野球しか見ないのか、プロ野球と教育を掛け合わせてみるのか、高校からメジャーリーグを育成視点でものを見るのか、属したコミュニティによっても大きく変わる気がします。
「僕といれば広い世界に連れていくことができます」
そんな大それたことを言うつもりはありません。
けれど、僕が見ている世界は菊池雄星選手のおかげで広がっていくのは間違いないので、それを共有することはできるし、同じように感じてもらえることができるのではないかなと思います。僕はその役割を担っている。
ただ、同時に、この世界を見れば見るほど、欲も目標もなく、友人関係も深く作らず、家族と数人としか接することのない人生だけを見ている人との距離は残念ながら交わることはないのかなと思います。
どっちの世界を見たいかといえば、当然、僕は前者です。これはどうしようもないのかなと思います。相手の性格をきっちり見なかったのではなく、世界観を見てこなかった。それが僕の間違いだったかもしれない。
今朝、長男が病院にいくとのことで、1時間ほど娘と遊んでました。実子でなくてもパパと会いたいと思ってくれる長男と会うたびにパパ好きが増していく娘を見送りながら、
いつか、僕が見ている世界にあの子らを連れていけるのだろうか。
そう思うと涙が止まりませんでした。
でも、きっといつかは。。。
パパが見てきた世界を見せてあげたいです。
「どの世界にいたいか」
みなさんもその視点で人生を選択してみてください。