ベッドの上で考える。
誕生日の次の日に40度の高熱が出た。
それまでの3日は世界遺産で観光という素晴らしい日々を過ごした後のダメージに相当効いた。原因といえば、生ダコかビールで薬を服用したかのどちらかだ。
意識が朦朧とした。とりあえず慣れた手つきでマラリア検査を済ませ、結果を待つ間に勤務先に欠勤の休みの連絡をする。
人生で2回目の40度。とりあえずマラリアではないことを確認し、薬を飲みまくる。オーバードーズくらいに。
それくらいしないと悪寒と頭痛と腹痛で耐えられなかった。
普段はうるさいバギーカーやマフラーから火が出るバイクもウーハーを積んだ車も気にならないくらいに寝た。
それでも定期的に起きる。しんどさに抵抗しようと寝るしかない。
ほぼ一日中そうしていただろう。脳みそがほぼ機能せずに1日が過ぎていった。
2,3日は完全回復せず、ほぼ無音の状態で過ごす。
痛みを読書で忘れ、物思いに耽る。
文学を漁ると、普段写真を撮れないことの不平不満を言っていることに嫌気がさしてきた。
文字と写真はイコールだ。
文字は語りかけ、想像を人に任せる。人々はそれぞれの考えで文字を解釈し、批評する。その文字からまた人は繋がってこの文字にたどり着く。そして時に文字は人を駆り立ることもあるし、反対に書き手の意図とは違う方向へ向かう。
写真をとる必要は大いにあるけれども、文字という方法を用いても写真を撮れることは確かだと、ベッドに横たわりながら気づく。
文字を咀嚼することが人間には必要で、生活習慣病にならないためにも知識は十分な栄養になる。