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西村修さんの生き様に、プロフェッショナルとは何かを学ばせてもらっています。

使命感こそが己を突き動かす原動力なり!


昨日書かせてもらったのは、8月24日開催、テリー・ファンク1周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会「川崎伝説2024」における私からのメッセージでした。

今朝はこの方について書かせてもらいたいと思います。

西村修さん。

1991年に新日本プロレスでデビューしたプロレスラーで、一時代を築いた私の好きなレスラーの一人です。

さる8月24日の「川崎伝説2024」では、ドリー・ファンク・ジュニアさんのタッグパートナーとして、大仁田厚さん&雷神矢口さんとの電流爆破マッチ・メインイベントに出場しました。

詳しいことはさておき、正直、西村修さんなくして、この日のメインイベントは成り立ちませんでしたね。感謝、感謝、感謝の言葉しかありません。

実は西村修さん、この日が約5ヶ月ぶりとなる復帰戦だったんです。

ご存知の方も多いと思いますが、西村修さんは2度目のガンとの闘病中で、食道がんステージ4の状態、抗がん剤治療が功を奏してがんは「7割消滅」したというものの、7月には脳への転移が判明し、一時意識不明の重体にまで陥っていたんです。

絶対安静の状態が続き、体重は100キロから94キロまで減少していたんですが、食事とトレーニングによって10キロ増量して、この日の試合に備えてコンディションを整えていたことには驚きました。

僅かな期間でこれだけの調整をやってのける、やっぱり凄い方ですね。しかも、この日の試合には万が一を想定してドクターに誓約書も書いていたとか。

まさにプロ中のプロですよ。

西村修さんは文京区の区議会議員という肩書きもありますが、まさに自分の体で命の大切さ、生きることの大切さを政治の場とリングを使って訴えていく、この使命感が突き動かす原動力になっているんだと思います。

この日の試合開始前には、西村修さんに子供たちからの花束贈呈セレモニーも行われましたが、その中に西村修さんの5歳の息子さんもいたんです。

リング上で息子さんの肩を抱き寄せる姿を目の当たりにした時,グッと込み上げてくるものがありました。

ファンのXより

まさに覚悟のリングだったんでしょうね。

西村修さんのインタビュー記事も目にしたので、抜粋して紹介しておきます。

「もちろんうちの親だって嫁だって大反対ですよ。じゃあ試合なんかやめりゃいいじゃないかって言うんでしょうけど、そこじゃないんですよね。だからこそ戦う。プロレスは生きる糧というか、モチベーション。ここまで上げてもらえるプロレスにはもう感謝しかないですよね。私には治るのを待ってから出ようなんていう気持ちはさらさらない。そのために一生懸命トレーニングするし、飯食うし、体も休めるときは休めるし、だからもう目いっぱい元気に闘病していますよ」

至極共感。学びですね。

「元気に闘病」こそ、本質なんですよ。


おまけの写真は8月24日に開催された「川崎伝説2024」からの一枚です。

テリー・ファンクに捧げる10カウントゴング

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